渡る世間は銘板

渡る世間は 似て非なるもの

(ご注意:お子様には良くない表現が含まれています)


 友人の体験談。

 その日、友人の乗っていた電車はまだ若い女性を轢いた。
 止まった電車の中で彼は三十分ほど待たされた。
 電車事故の処理では青いビニールシートが張られる。たいがい電車内の乗客は一目でもみようと片側に集まりスマホを手に写真を撮ろうとする。実際に色々見てしまえば嫌な思いをするだろうに、そこまで深いことは考えもせずに人は惨めな好奇心を全開にする。
 友人はそんなことはせずに大人しく席に座って待った。そのお陰で死んだ女性の姿あるいはその断片を見ることは無かった。

 その夜のこと。友人は二段ベッドの上で金縛りに遭った。
 ベッドの下段で身動きもできずに上を見ていると、ベッドの上段の底一杯に女の顔が浮かんだ。

 死んだ女性だと直感した。

 どうして轢いた列車に乗っていただけの何の係累も無い彼の所に出たのかは不明である。あるいは、乗り合わせた乗客全員の所にも出たのかも知れない。あるいは単に若い男の所に最後に出てみただけかも知れない。
 逃げ出したいが金縛りで体は動かない。武道の心得があっても金縛りでは何もできない。ただ呻くしかできることはない。
 救いはあった。ここは寮の一室。二人部屋。同僚と暮らしているのだ。しかも同僚は同じ部屋に居て、資格試験の勉強の最中である。勉強机に向かう彼をこちらに振り向かせれば、あるいはこの金縛りから起こしてくれるかも知れない。
 声をかけることができれば簡単なのだが、金縛りのときは声は出ないものだ。出せるのは呻き声だけ。

 盛大に呻いた。呻いて呻いて呻き続けた。
 だが、同室の男は試験勉強に熱中しているのかこちらを向かない。
 やがて、女の顔は消え、金縛りも解けた。

 起き上がって同室の男に文句を言う。
「どうしてあれだけ呻いたのに起こしてくれなかったんだ」
 何が起きたかの説明を聞いて、同室の男は答えた。
「何だ。そういうことか。俺はお前がマスをかいているのかと思って、礼儀正しく無視していたんだ」