業が渦巻く怪談銘板

業が渦巻く 雨乞い

 その昔、雨乞いをやったことがある。

 その夏は暑い夏だった。雨は長い間振らず、連続十七日の猛暑日を記録していた。降水確率は0%に張り付き、容赦無い陽射しが夏を強く印象付けていた。

「暑いな」庭から晴天の空を眺めながら言わずもがなのことを兄が言う。空には雲ひとつない。
「お前、お経を読むんだから、雨乞いぐらいしろ」

 兄がとんでもないことを言い出した。
 お経と雨乞いに特に関係は無い。この人は雨乞いの祝詞とお経の区別もついていないのだ。
 もちろん兄は本気でこういうことを言っているのではない。単に難癖をつけて何時もの虐めを始めようと言うのだ。断ったら断ったで、俺の言うことが聞けないのか、と虐めが始まる。雨乞いをやって失敗すれば、それぐらいのこともできないのか、と虐めが始まる。
 仕方ない、形だけでもやってみせないと収まらない人だ。
 それに少しばかり興味もあった。果たして雨乞いというものはできるものなのだろうか?
 かなり怪しいものだが密教門に入っているとはいえ、雨乞いの儀式なんか教えて貰ってはいない。即興で何か作りあげるしかない。

 少し考えた。

 どのような魔術もパワーソースが必要だ。通常そのパワーソースには神々を当てる。つまり精霊もしくは精霊に目されるものにお願いをすることで魔術は働く。密教では真言という呪文を使うが、真言は元を質せば呼びかける相手の神仏の名前を並べたものに過ぎない。例えば弥勒菩薩の真言「オンマイタレーヤソワカ」は弥勒菩薩の名前マイタレイヤを唱えているだけなのだ。
 この場合は天候なので、呼びかけ先は龍神がよい。日本は、東海龍王もしくは東南海龍王が担当地域になるが、そもそも何の係累も無い人間の呼びかけを簡単に聞いてくれるほど龍王は気さくな存在ではない。だから、仏教に関わり深い難陀龍王にお出まし願うのが良い。

 適当に祝詞をでっちあげた。今思えば、恐ろしいことである。

「ナンダ・ウパ・ナンダ龍王。東海龍王。東南海龍王。謹んで申し上げる…」
 切々と歌い上げる。いかに大地が乾き、草木が乾き、人々が苦しんでいるのか。この辺り、絶対に自分の都合を挙げてはいけない。あくまでも大義が必要なのだ。間違っても兄の命令で、などとは言えない。
 唱え終えると急に恥ずかしくなった。まったくこれじゃどこかのバカガキそのものじゃないか。その場に残れば兄の虐めが始まるので、自分の部屋に引っ込んだ。

 やがて空が暗くなり始めた。いつの間にか青空に暗雲がかかっている。それも今まで見たことの無い厚みの雲だ。周囲が闇に落ちるほどの暗雲というのを初めて見た。最近は異常気象がごく普通になってしまったのでときたま見ることができるが、この時代には滅多にないことであった。
「おおっ。効きそうじゃん」兄が騒ぎ始めた。
 空はますます暗くなり、真昼だというのに夜へと変じた。暗闇の中で兄が電灯をつける。
 祝詞を上げて十五分後、ついに雨が降り始めた。慌てて窓を閉める。滝のような豪雨だ。轟音で何も聞こえなくなる。そのまま十分間ほど窓の外を眺めていたが…怖くなった。自分が何か触れてはいけないものに触れてしまったような。

 やってしまったら引き返せない、何か。

 本当なら、ここは青空に不動の太陽が輝き、何も起きずに、や~ダメだったね、で済むはずの冗談が、とんでもない結果となってしまった。
「ありがとうございました。もう結構です。十分です。感謝いたします」空に向かって叫ぶ。
 雲が集まるよりも、散る方が早かった。あっと言う間に元の雲ひとつない青空に戻る。びしょ濡れの地面が無ければ夢を見たのかと疑うほどだ。
「お前の雨乞いは凄いの」兄が感想を漏らした。

 その晩は天気予報が楽しみだった。今日の天気がどう報告されているのかを見たかったのだ。結果は降雨0%。あれれ。どこにも局地的豪雨の話は出てこない。どうやら気象庁でも気づかないほどの地域限定の豪雨だったみたいだ。



 それだけならただの変な話だが、話はそこで終わらなかった。今の私は、オカルトにおける非常に重要な原則を一つ知っている。いや、思い知らされたと言ってよい。
 その原則とはこうだ。

「すべての魔術は例外なく、支払いを要求する」

 一般的なことわざで言うなら、こうだ。「タダの昼飯は無い」
 私が行った雨乞いの支払いは、私自身がありとあらゆる雨に遭遇すること。
 この日より後、私は希代の雨男になった。行く先々に雲が集まって来る。誰かと行動しているときは何ともないが、一人で出かけるとどんな日でも雲が集まり、雨となる。それも傘を持っていないときに限って。
 なんだ雨に濡れるぐらい何でもないじゃないか、と思われる方も多いとは思う。いやいやそうではない。雨に濡れることは命に関わることだ。
 冬の最中に、氷点下に落ちた山奥でみぞれ交じりの雨にびしょ濡れにされる。駅に辿り着くのが先か、凍死するのが先かの勝負になる。どうして田舎とは言え、これだけ人家のあるところで凍え死ななくてはいけないのか、理解に苦しむ。
 そんな目にいったい何度遭わされたことか。
 やがて、どこに行くにも傘を持つようになった。すると雨の代わりに、集中豪雨に遭うようになった。集中豪雨では傘がまったく役に立たないのだ。傘が合羽に代わると、今度は豪雨は猛り狂う滝に代わった。合羽を着ていても下着までびしょ濡れになる雨というのを想像できるだろうか? それは近づく白い壁であり、下を向いていないと溺れ死にしかねない洪水である。

 ようやく雨の勢いが衰えるまで三十年の歳月がかかった。最近では一人の外出でも小雨が降る程度にまで衰えている。

 後少しですべての債務が払い終えることになることを、切に願っている。