幽霊は見える人と見えない人がいる。
河童は見える人と見えない人がいる。
赤緑の模様は見える人と見えない人がいる。
ヒマワリの花びらについている縞模様は見える人と見えない人がいる。
人間の眼には見えない色というものが存在する。
少し前の人類の脳には紫色を認識する部分が無かった。つまり紫色は見えなかった。
その逆に、現在の人間の網膜は三つの色素を使っているが、ごく一部に遺伝子の変異で四つの色素で見る人がいる。普通の人には同じ色に見えるものがこの特殊な目を持つ人には縞模様に見えたりする。ヒマワリの花びらがそれである。
人により見える世界には大きな差がある。
ここまで挙げた例は色に関するものであるが、人間の視覚はもっと複合的に動作する。眼は見た物を一度いくつかのカテゴリに分解する。色・大きさ・形・質感などの7種類である。そしてそれらの情報を脳に送り、そこで再現する。この辺りはカメラのように画像情報をそのまま加工なしに取り込む方式とは完全に違うメカニズムである。人間の神経系とはそれほどまでに機能が低い。
見えない色があるとすれば、見えない形や見えない模様などもあるのではないか。そう考えるのが普通である。
修験者の間ではムジナという生物はお馴染みである。動物の貉ではない、人を化かすムジナの方である。いわゆる『化ける・もの』の類である。
このムジナ、生きている間は修行をした人間の眼でしか見えない。ところが死ぬと誰の目にも見えるようになるという話である。
死体となることで毛色などが変化するのだろうか? そして見えない色の範疇から外れるのだろうか?
我々の周囲はそういった見えない物で満ちているのではないか?
人間だけが気づかずに様々な異形のものたちの間で生活しているのではないか?
光景を写真に撮ってもやはり見えない色で写るので見えないのは同じである。画面の色調を変換し強調操作を行えば色々と浮かび上がってくるのではないか。
AIソフトの中に画像上から人間の顔を識別するというものがある。このソフトで写真を精査してみると、何の変哲もない風景の中に無数の顔が浮かび上がる。これはちょっとした色の揺らぎをAIは人間の顔として捉えるのだと説明されているが本当にそうなのだろうか?
人間の眼のようないい加減なフィルターよりもAIが使うCCDカメラの方が優秀なのである。もしかしたらAIはそこにあるものを正しく認識しているのではないか?
ドイツのアウトバーンでは不思議な事故が頻発する。事故車が巨大な馬の蹄の形に踏みつぶされているのだ。あくまでも偶然に。
巨大な見えない馬がどこまでも続くアウトバーンを疾走する。
想像してみると実に雄大な光景だ。見えはしないのだが。