古縁流始末記銘板

至弱の弟子

 古縁流第二十七代には五人の免許皆伝の伝承者が居た。その中でも一番下の弟子である風内又造は歴代伝承者の中でも最弱と言われていた。
 古縁流では同じ免許皆伝者でも幾つかの階梯に分かれる。古縁流の最低限度の技を使えるようになったものに与えられるのが初皆伝。それより先にも色々な技があり、それらを修練することで弐の皆伝、参の皆伝、そして終の皆伝へと至る。
 第二十六代の伝承者、つまりは師父はすでに亡く、残された五人の弟子たちはみな本当の兄弟のように一緒に暮らし、技を高めあっていた。
 その中でも風内又造は出来が悪く、ようやく初皆伝には漕ぎつけたものの、そこより先には一歩も進めていなかった。もちろん古縁流であるから、初皆伝でも相当なもので普通の剣術者には引けを取らない。それでも兄弟子たちが自分より遥かに先に進んでいるのを見ると、又造の心の内には深い蟠りが生じるものである。
 一番弟子は斬撃の名手だった。その磨き上げられた一撃は大岩を真っ二つにできるほどであった。それは又造がいくら試してもできなかったことであり、これからもできないであろうと思わせるものであった。
 二番弟子は手裏剣術の名手であった。その手が閃くと宙は無数の手裏剣で満たされた。十本の手裏剣を投げて、拾い集めると十一本の手裏剣が集まった。その余分な一本をいつ投げたのかは又造には決して分からなかった。
 技というものの奥の奥に進むためには、生まれながらの才覚というものがいるのだと又造は理解していた。それは体格であり、もって生まれた素早さであり、天性の勘であり、筋力の強さであった。勘の良さであり、目の良さであり、生き残る力の強さであった。
 それらの差は修練である程度埋めることはできるものの、それでも限界があるのだ。
 その他の兄弟子もいずれも一芸に秀でたものを持ち、まさに古縁流の伝承者を名乗るに相応しいものであった。そして又造だけは古縁流の端に食らいついているだけの惨めな存在であった。

 その龍は閃火王と呼ばれていた。龍には王と名がつくものは多くいるが、閃火王こそは本物の龍の王と言えた。
 その力は風を呼び、雲に乗る。
 ある湖を縄張りとしていることが分かったのが数年前。第二十六代伝承者は後を五人の弟子に任せて出ていき、そして消息を絶った。
 強い師匠であった。五人の弟子たちのいずれも遠く及ばぬほどの。それでも十二王の中でも最強の存在である閃火王の力はそれを上回ったということになる。
 実を言えば今までに歴代の古縁流の伝承者の多くが閃火王に殺されていた。

 長い長い修行の日々が過ぎた。厳しい厳しい修行が繰り返された。弟子たちは自ら弐の免許皆伝、参の免許皆伝へと進んだ。ただ一人、又造を除いて。

「師父の仇を取ってくる」
 ある日そう言い残して一番弟子は出ていった。
 三日が経過し、探しに行った伝承者たちは真っ黒に焦げた遺体と半分熔けた刀の残骸を見つけた。
 それからしばらくは重苦しい日々が続いたが、ある日、二番弟子が言った。
「兄弟子の仇を取ってくる」
 やはり三日待ち、残された弟子たちが探しに行くと、引き裂かれた遺体が見つかった。持っていたはずの刀はどこにも見つからなかった。
「きっと速さが足りなかったからだ」
「いや、力であろう」
 残された兄弟子たちは口々に言い合い、さらに修行を続けた。
 そしてある日、兄弟子の二人は言った。
「今度は二人掛かりで行く。師父と兄弟子たちの仇を取る」
「俺も行く」
 そう又造が言うと、兄弟子たちは拒否した。
「お前は残れ。残って古縁流を次へ伝えるのだ。お前まで死んだら、我が流派は途絶える」
「行かせてくれ。兄者」又造は縋りついた。
「初の免許皆伝の者など足手まといにしかならぬ」
 限りなく冷たい真実の言葉とともに、又造はそのまま捨て置かれた。
 もちろん、こっそりと後をつけた。
 二人の兄弟子に気取られぬように離れた場所から決闘の場を見守る。刀は持って行かなかった。刀を持てばどうしても剣気が漏れてしまうことを知っていたから。
 龍の潜む湖に木でできた果たし状を投げ込む。それが龍の呼び出し方だった。そうして待つことしばし、二人の兄弟子が待つ草原に黒い雲が近づいてきた。
 閃火王は、風を呼び、雲に乗る。その黒雲の中に龍の体が見えた。大きい。まさに龍王だ。雲の中に長くうねる体。その鼻先から伸びた長い髭が風の中を泳ぐ。大きな目は爛々と輝き、頭の上に生えた角の周囲を閃光が駆け巡る。開いた口の中に鋭い牙が並び、その青金色の鱗がぎらぎらと光った。
「閃火王。待ちわびたぞ」
 兄弟子たちの声が風の音に混じってかすかに聞こえる。
「古縁流参る」
「いざ尋常に勝負せよ」
 龍はその言葉に動じなかった。兄弟子たちの頭上を揶揄うかのように悠々と旋回する。兄弟子の一人が手裏剣を投げたがその高さまでは届かない。
 そうであったか。又造は舌を鳴らした。龍は空を飛ぶ。ただそれだけで、刀を持って地上を駆け回ることしかできない人間の敵ではないのだ。
 人間の如何なる攻撃も龍には届かない。
 これが第一の関門だ。
 では龍はどうやって地上の人間を攻撃する?
 このまま空を飛んでいるだけでは埒が明かむだろう。
 その答えはすぐに分かった。龍が潜む黒雲から、雷が落ち始めたのだ。それは強烈な閃光と共に周囲を万遍なく覆い始めた。林立する雷の柱が兄弟子たちの周囲に立ち並んだ。
 兄弟子の一人の刀に雷電の一つが落ちた。閃光。爆音。絶叫とともにその体が燃え上がる。
 第二の関門は雷か。又造は舌を巻いた。なんと圧倒的な力か。心の片隅で兄弟子の死を悼む自分を感じてはいたが、それとは別に冷静に分析する自分もいた。自分はこれほどまでに冷たい人間であったのかと改めて驚いた。
 もう一人の兄弟子が刀を捨てると逃げ始めた。古縁流では勝ち目のない戦いから逃げることは恥とはしていない。
 だが遅すぎた。
 龍の周りの雲が消えた。龍は兄弟子の前に着地するとその鉤爪を振るった。刀を持ってこその修行であり、本来の免許皆伝なのだ。素手では成すすべもなく、龍の一撃を受けて兄弟子の体が宙を舞う。
 これを即死と見てとって又造は伏せた。一切の気配を断ち、地に同化する。又造が人並み以上にできるただ一つの技。
 一つの岩となりながらも又造は考え続けた。
 空を舞い、雷を落とす龍を倒す方法を。



 兄弟子たちは好きだった。力の劣る自分に対しても平等に当たってくれた。それは師父があくまでも万人に対して平等な人間であったということもある。それ故に、兄弟子たちいもいつも又造の身を気遣ってくれた。成果の出ない又造の修行にも快く付き合ってくれる、仲の良い弟子たちであった。
 だがそれでも兄弟子たちは馬鹿だと又造は思っていた。相手の力を測りもせずに挑んだのが馬鹿だ。何の仕掛けもせずに挑んだのだが馬鹿だ。手に余ると思ったときにすぐに逃げなかったのが馬鹿だ。
 兄弟子たちは強かった。いずれも常人の剣士の域を遥かに越えた強さだった。日ノ本のどの剣士も兄弟子たちには敵わなかっただろう。だからこそ、その強さを過信して何の工夫もなくただ挑んだのだ。自分が恐ろしく強ければ自然と勝ちが転がり込んでくるとそう信じていたのだ。
 力ある者は真剣に物事を考えるということをしない。
 だが自分ば違う。そう又造は思った。自分は古縁流最弱の剣士だ。力が無い分、頭を使わなくてはならない。兄弟子たちはそんな又造の考えを姑息と笑ったこともあったが、それでいいのだと又造は信じていた。敵に卑怯と罵られるぐらいが古縁流としては理想なのだ。
 相も変わらず独りで修行は続けていたが、そこには期待していなかった。自分が初の皆伝以上になることはないと見切っていた。
 第一の関門は龍である閃火王が空を飛ぶことだ。空を飛ばれてしまえばこちらには打つ手がない。古縁流の得意とする手裏剣では届かないし、弓を使っても無理だろう。だが空を飛ぶと言っても鳥のように鋭く飛べるわけではない。龍は雲に乗って悠々と飛んでいるように見えるが、その実はゆっくりとしか飛べないのだと又造は見てとっていた。飛ぶというよりは浮かぶという方が正しい。恐らく神通力を使っていてもあの巨体を浮かすだけで精一杯なのではないか。とすると簡単な錘でも巻き付けてしまえば空を飛ぶことは防げる。最低でも空に逃げられなくすることは可能だ。
 だがそれにしても、まず最初に空飛ぶ龍に近づくこと自体が不可能なのだが。
 そして第二の関門はあの稲妻。金物である刀を持っていては避けられぬ上に一撃でも食らえば間違いなく死ぬ。撃たれれば間違いなく負けになるものをどうやって撃たせないようにするのか。それもまた難しい。

 又造はまず山岳修験者のところを訪ねた。かって夜な夜な空を飛んだという役行者のような術がないかと思ったのだ。結局今の修験者の間にそのような術は伝わっていないと分かっただけに終わった。
 続いて又造は山を離れ街中で暮らすようにした。学問の師を求め、賢者と言われる人々の間を訪ね歩いた。南蛮の学問にも助けを求めた。よもや外国には人が空を飛ぶためのカラクリかなにかがあるやもしれぬと。その試みはやはり挫折したが代わりにあるものが手に入った。
 ある一つの考えが又造の中で固まり始めた。



 準備が整うまでには長い時間がかかった。
「古縁流最後の伝承者。風内又造。決闘を所望す」
 そう書いた木札を湖に投げ込み、指定しておいた野原にて待った。
 ほどなく青空を背景に怪しい黒雲が近づいてきた。閃火王だ。
「いざや、決着をつけようぞ。さあ尋常に勝負せよ」
 大声で呼ばわった。
 閃火王はその言葉を無視した。黒雲から雷光が閃き、又造の周囲に落ちだした。それは又造の周囲に林立した鉄棒に吸い込まれた。たちまちに周囲の草が燃え上がる。だが又造は平然としている。閃火王は次々に稲妻を落としたがそれらは悉く鉄棒に吸われて終わった。
「どうじゃ。南蛮渡来の招雷針じゃあ。貴様の雷はもう使えぬぞ」
 閃火王が歯噛みする音が地上からでも聞こえた。
「どうした。お前は十二王の中でも最強であろうが。それがこの至弱の俺に手も足も出ないか。そうかそんなに俺の刀が怖いか。それならほら捨ててやる」
 又造は刀を遠くへ投げ捨てた。
「どうだ。素手だぞ。武器も持たぬこの俺が怖いか。臆病な龍め。今後は閃火王ではなく臆病王と名乗るがよい」
 又造は大きな声で嘲り笑った。
「許さぬ」龍がつぶやいた。
 今まで閃火王を恐れこそすれ嘲った者は一人もいない。故に龍は激怒した。
 黒雲が消え、閃火王が舞い降りてきた。その青金の鱗がぎらりと輝く。
 予想したよりも大きい。又造は舌打ちした。この世のどんな動物よりも大きいのではないか。空を飛ばず、雷も使えなくしてもなお、閃火王は強敵であった。
「望み通りに降りてきてやったぞ。このチビ侍め」龍が叫んだ。「勇ましい言葉への返礼に八つ裂きにしてやろう」
「それは上々」
 そのまま地上に着地するかに見えた閃火王は地上に乱立する鉄棒に邪魔されて又造の頭上を通り過ぎかけた。
 今だ!
 又造は立ててある鉄棒の一つに飛びついた。鉄棒と見えたのはそのように装った槍。一振りして穂先を顕わにすると、又造はそれを頭上の龍の腹に突き刺した。逆鉤のついた穂先が龍の腹に埋まる。
 わけの分からぬ叫び声を上げると閃火王は宙に跳びあがった。その体が新たに雲をまとい、上空へと浮き上がる。
 又造は龍の腹に刺さったままの槍を掴むと登り始めた。その体に糸で吊るされた刀が一緒についてくる。予想通り龍の飛行は緩やかだ。でなければ振り落とされていただろう。又造は龍の腹まで登りきると、糸をつけた手裏剣を放った。古縁流に伝わる特殊な糸。それが龍の腹に巻き付くのを待って、わずかな手がかりを頼りに指先の力だけでよじ登った。
 龍の背に上った。苦労して体の平衡を取ると、刀の鞘を払い捨てた。ちょっと気のきいた者ならば、刀の鞘を捨てるとは生きて帰るつもりがないと批難するかもしれないが、元より又造には生きて帰るつもりなどない。
 龍の頭めがけて、器用にもその背の上を走った。剣を上段に振り上げ、裂帛の気合とともに、龍の首めがけて渾身の斬撃を放った。
 硬い音がした。火花とともに青金に煌めく鱗が数枚宙を舞う。だがそこまでだった。
 次の瞬間、龍が首を振り、衝撃で又造は宙へ放り出された。
「ワシの鱗は金剛の鱗。人間の剣など通しはせぬは!」
 閃火王が吐き捨てる。
 そうか、第三の関門は古縁流の斬撃すら通用せぬ不動の鱗か。又造は理解した。それが知られていなかったのは今まで閃火王に刀を斬りつけた人間がいなかったことの証でもあった。又造一人だけがここまで到達したのだ。
 龍が高らかに勝ち誇る中、又造は遥か下の大地へと落ちていった。
「古縁流との長きに渡った闘いもこれで終わりか。どれ、死ぬところを見届けるか」
 龍は身を翻しかけたが、眉根を寄せると自分の腹を見た。槍が刺さった部分が青く変色している。
「槍に毒を塗っておったか。なんと姑息な。急ぎ塒に帰って秘薬を飲まねば」
 黒雲とともに閃火王は去った。



 ごとごとと重い音を立てていた荷車が止まった。荷車は二台ほどでその上に大きな樽がいくつも満載されている。荷車を引いていた人夫たちが顔を見合わせる。
「ここでよい。ここに樽を下してくれ」
 荷車の端に腰かけていた枯れ木のような老人が言った。
「ここでいいのか。何にもない場所だが」
 荷車を運んでいた男たちが当然の疑問を口にした。そう言いながらも言われた通りにした。近くを流れる川の前に樽を並べる。
「これ、何だか酷い臭いがするな。じいさん、まさかこの川にこれを捨てるつもりじゃないだろうな」
「そのつもりだとしたらどうする?」と老人。
「止めときな。この川が流れる先の湖には龍が棲んでいると言われている。この川を汚した奴はみんな死ぬという噂がある」
「まあ気にするな。ご忠告には感謝するが、こちらもちょっと訳ありでな」
 老人は立ち上がった。片足は木でできている。杖をついていた。
 金を貰うとそれ以上は老人に構わずに男たちは去った。
 老人は杖を振ると樽を打ち砕いた。古縁流斬撃。又造の腕は落ちてはいなかった。だがそれでも体は無様に揺れ、反動で又造は転びかけた。もはや激しい動きができる体ではない。自分の命の火が尽きかけていることは又造にも分かっている。再戦のための準備に時間をかけすぎたのだ。だがそれは避けようのないことだった。
 あらゆる毒草を煮詰めて作った液体が川に流れ込む。川の見渡す限りの範囲で死んだ魚たちが次々と浮かびあがる。又造は決闘の所以が書かれた木札を川に投げ込むと、その場を去った。

 前と同じ場所で待つ。ただし今度の黒雲は恐ろしい速さで近づいてきた。雲の中から激怒した閃火王が恐ろしい目で睨んでいる。
「ワシの大事な湖に毒を流したはうぬか」閃火王は怒鳴った。
「苦かったろう。あれだけの毒を煮詰めるのは大変だったぞ」又造が涼しい顔で答える。
「おのれ、ワシに何の恨みがある」
「それを儂に尋ねるのか」
 又造は剣を振り上げて名乗りを上げた。
「古縁流第二十七代最後の伝承者。風内又造。古の縁により龍の王である閃火王に決闘を申し込む」
「無駄なことを。そうか、うぬは以前に儂を槍で刺した奴だな。もう相当な歳の癖に命を粗末にしに来たか」
「元より命など惜しんではおらぬ」
「ならば速やかに殺してくれよう」
 雷光が閃いた。無数の稲妻が宙を埋める。その悉くが又造の周囲に林立する鉄棒に落ちた。
「忘れたか。閃火王。俺に雷は効かぬ」
「そうであったな」閃火王が歯噛みした。「だがそちらもワシに手は出せまい」
「それはどうかな」
 又造はひょこひょこ歩くと、手近の茂みへと手を伸ばした。その茂みの偽装がばさりと落ちる。それは巨大な鉄弓であった。鋼鉄を平らに伸ばした矢がこれも鉄の弦に番えられている。
「南蛮の宣教師より図面を手にいれたものだ。名を大弩と言う」
 又造は体重をかけて大弩の向きを変えると、引き綱を引いた。短く激しい音と共に巨大な矢が宙に飛び出した。それは宙を駆け上がると閃火王に迫った。
「うおっ!」
 閃火王が叫ぶと、かろうじて矢を避けた。
「やはり宙では素早く動けないのだな。それにあれより高くは浮き上がれない」又造はつぶやいた。
 次の大弩が隠してある藪によろよろと進む。もう息が切れている。本来なら又造は動けるような状態ではないのだ。大弩が現れるとそれに縋りつくようにして向きを変える。
「今度こそ終わりだ」
 その言葉と共に、発射した。矢は閃火王のすぐ下を掠めた。
「どうしたどこを狙っておる」閃火王が又造を嘲った。
 最初の驚きが過ぎてみれば、弩の矢は避けられぬものではないことに閃火王は気づいていた。
 眼下では三番目の大弩に又造が取りつくところだった。そこに辿りつくまでに何度も転ぶ。又造の足元が覚束ないのは片足のせいではなく、年齢のせいで弱り切っているのだと閃火王にも分かった。
 又造は大弩にすがりつくと、必死の力を振り絞り空を舞う龍に狙いをつけた。
「これが最後だ」そう呟くと、矢を撃ち出した。
 最後の望みをかけた矢は龍の背を掠めると、空中でいきなり軌道を変えた。急に体が引っ張られて閃火王は慌てた。乗っていた雲が消散し、龍は墜落した。かろうじて地面との激突は免れたが、どういうわけか手足がうまく動かない。それを何とかしようとして必死で巨大な体をくねらせる。
「掛かったな。古縁流秘技忍び食み」
 龍の全身に透明な糸が絡んでいた。先ほどの矢は見せかけ。その矢じりに結び付けた無数の糸と鉤つき錘が技の本体だ。矢を避けようと注視すればするほど、その後ろに続く糸は見えなくなる。使われているのは山蛾から作った恐ろしく丈夫な糸だ。これがもし人間ならば身動きすらできない。
 戦国大太刀を杖替わりにして又造が龍に近づいた。
「今こそ皆の仇を取るぞ」
 龍の体が怒りに膨らんだ。
「この程度のものでこのワシを縛れると思うな!」
 言うなり龍は体に力を込めた。その巨体の周りで切れないはずの糸が次々に弾け飛ぶ。龍が自由になった。
「八つ裂きにしてくれるわ」
 閃火王が地響きを立てて迫って来た。弱点である腹を地面に擦り付けるようにして進む。その背は無敵の鱗で守られていて完璧な防御を形成している。
 又造は龍の進路に立ちはだかった。
「元よりそのような小細工で貴様を止められるなどとは思っておらぬよ」
 閃火王の顎が開いた。そこに並んだ黄色い牙がこれから起こることへの期待に輝く。龍は真っすぐに又造へと飛びついた。
 又造が足元の何かを引くと、空中に黒い大きな塊がいくつも飛んだ。隠しておいた大弩から一斉に打ち上げられたものだ。その塊は空中で開くと大きな網となって閃火王の体を幾重にも覆った。鋼鉄の線で編まれた網の端の無数の鉤が閃火王の体と言わず、地面と言わず引っ掛かり、閃火王の動きを封じた。
「見たか、閃火王。これが儂の本当の仕掛けよ」
 又造が笑った。
「むう。何たる卑怯。うぬ、それでも剣士か」
「抜かせ。空を飛び、雷を落とす怪物がか弱い人間に正面から来いという、そのこと自体が卑怯と知れ」真剣な表情で又造が返した。
「くく。何ということか。だが、まだワシは負けておらぬぞ」
 龍は力を振り絞った。網と鉤を引きずったままその体が少しづつ前進する。巻き込まれた周囲の木立が酷い音を立てて折れる。その頭が左右に振られ、又造に迫る。
「閃火王よ。今の貴様は龍というよりは亀だの」
「ぬかせ。すぐにうぬを引き裂いてやる」
「その前に、貴様の首が落ちるさ」
「若き頃のうぬでも切れなかったワシの金剛鱗。果たして今のうぬに切れるか」
「もちろん、切れぬ。だからこそ、準備に長い時間がかかった」
 恐ろしい膂力で網を引きずりながらじりじりと近づいて来る龍を見つめながら、又造は大きく息を吸うと叫んだ。
「宗一郎。名乗りをあげい!」
 林の中より若い男が一人駆けだしてきた。駆けながらも叫ぶ。
「古縁流第二十八代免許皆伝。本間宗一郎参る」
 叫びながら大太刀を上段に構えた。そのまま激烈な斬撃を龍の首へと振り下ろした。
 激しい衝撃と共に、閃火王は天地が逆さになるのを見た。その光景の中では、自分の切断された体から熱い血が滝のように流れ落ちていた。閃火王の首はそのまま地面に落ち、血だまりの中に転がる。
 閃火王の頭の中にようやく理解が訪れた。ただの一撃で切断されたのだ。自分の首が。鋼よりも硬い金剛鱗などまるで存在しないかのように。
「古縁流終の斬撃。秘剣、迷い星」宗一郎が技名を唱えた。
「見たか。閃火王。これが儂の弟子じゃ。儂は歴代伝承者最弱であったが、こやつは歴代伝承者にて終の免許皆伝者。儂の弟子じゃ!
 この儂が育て上げた最強の弟子じゃ!」
 そこまで叫んでからヨロヨロと前に転び出ると、又造は閃火王の首の前に立った。
「貴様との我が生涯に渡る闘いはこれにて終わりだ」
「なんと、なんと、なんと」閃火王はそれ以上は言葉にできなかった。
 又造は抜き放った大太刀を龍の目玉に突き刺した。自分の全体重をかけてそろそろと剣先を埋めていく。やがて確かに眼窩の奥を破った手ごたえと共に、龍の目から生気が失われた。
「師父さま。兄者たち。この又造、確かに仇は取りましたぞ」
 それを最後に持たれかけていた大太刀から手を離し、又造は崩れ落ちた。


 古縁流第二十八代伝承者本間宗一郎、龍の首と師匠又造の体を運び、兄弟子たちの眠る塚へと共に葬る。
 至弱の生み出した至高の弟子は、振り返ることなく、さらなる激戦へと歩みを進めた。