古縁流始末記銘板

立つ鳥

 古縁流第二十八代伝承者の本間宗一郎師匠は一人で囲炉裏を掻きまわしていた。
 三郎が仇討ちの旅に出立してしまうと、今までに比べて一段と寂しさが増した。まさか自分が死ぬ間際になって、兄弟子の兵庫之介が弟弟子の三郎の両親を惨殺して逃げるという暴挙に出るとは思いも寄らなかった。
 兵庫之介は乱暴なところもあったが、これほどのことをやる人間ではなかったはずだ。なのにあれよあれよと言う間に取り返しのつかない状況になってしまった。
「何という因果か。これは」独り言をつぶやいた。
 恐らくは弟弟子の三郎が先に免許皆伝を与えられたことが起因だとは感じていた。兵庫之介も免許皆伝の直前まで来てはいたが、生来のなまけ癖が祟り、今ひとつ伸びなかったのだ。
 自分は厳正過ぎたのかとも考えた。兵庫之介の修行不足は大目に見て、形ばかりの免許皆伝を兵庫之介に与えれば、少なくともこのようなことは起きなかったに違いない。だが、その段階に達していない者に免許皆伝を与えることは、師匠にはどうしてもできなかった。
 その結果がこれである。
 自分は今までにこのような罪をどれだけ犯して来たのかと思うと深い自責の念が沸き上がってくる。頑固すぎるのは罪なのである。
 師匠は二人の弟子の未来が心配であった。

 表が騒がしくなり、扉の外から声がかかった。
 師匠が答えると、黄金長者の使いである顔なじみの丁稚小僧が二人ほど扉を開けて入って来た。二人は師匠の前に正座すると黄金長者からのご機嫌伺いを告げた。それから背負って来た荷物を下すと、中からご馳走を出して並べ始めた。
「主より、心ばかりの御持て成しにございます。主さまはどうしても外せない用事にて、お伺いできないことを深く詫びておりました」
「これは有難い。遠慮なく馳走になる」
 一言応えると、師匠は箸を取り、玉子焼きを一つ食べてみせた。それから目を見開いて羨ましそうにみている丁稚小僧たちに告げた。
「これは老人には多すぎる馳走。残りはお前たちで食べなさい」
 台所から探し出した新しい箸を二膳差し出した。
「さあ、遠慮なく」
 わあっとご馳走を口一杯にほうばった丁稚小僧たちを優しい目で見つめると、師匠は何やら荷物をまとめた。
「ご足労だが食べ終わったらちょっと届け物をしておくれ。お駄賃は出すから」
 口に食べ物を詰めているのでただ頷くしかない丁稚小僧たち。
 荷物は三郎の妻であるお妙さんのためのものだった。お妙さんの預け先の主人への手紙と金子である。今回の事件で元々天涯孤独だったお妙さんは三郎の遠い親戚に預けられることになったのだ。兵庫之介の凶行は大勢の人間をその余波に巻き込んでしまった。
「いいか、こちらは相手の主人に渡すのだ。そしてこちらはお妙さんにだ。お妙さんに渡すところは決して誰にも見られてはならぬぞ」
 よく言い含めて丁稚たちを送り出す。
 残念ながら師匠の心遣いは欲深な預け先の主人により台無しにされるのだが、師匠にできるのはここまでであった。

 やがて丁稚小僧たちが用事を済ませて帰って来た。
「ご苦労だったな」
 師匠は気前よく駄賃を渡す。貰った過分なお金を見て丁稚小僧たちの眼が輝く。もちろんこのことは彼らの主である黄金長者には黙っておくつもりだ。もしお金を貰ったと知られれば主から本間先生に失礼をしたとひどく怒られかねない。
「ご苦労ついでに、帰るときに籠八へ廻ってカゴを一挺こちらに回すように言ってくれるかい」
 喜びを顔に浮かべた丁稚小僧たちが退去する。
「ふう」
 騒がしい丁稚小僧たちがいなくなると嵐が去ったようであった。また静かになると離れていた寂しさが押し寄せて来る。。
 子供たちは好きだが、相手をするのは疲れる。寂しさは耐えられるが、かと言って好きなわけでもない。人間とは何と矛盾した生き物なのか。
 とっておきの茶葉を出し、熱い茶を入れた。
 あの巳の王との闘いで受けた傷自体は治りかけているが、それは表面的なことで、師匠の体の奥深くは巳の王の神通力による呪いで蝕まれている。
 短時間ならば普通に動けるが、すぐに体のどこかの芯が抜けたかのようになって座り込んでしまう。多くの伝承者を殺して来た陶蛇の呪いなのだ。常人ならば本来動けることもできずに死に至るはずなのだが、なにぶん師匠は元から普通ではない。歴代伝承者の中でも終の免許皆伝に達した者は数えるほどしかいないが、師匠はその一人である。
 やがて家の表が騒がしくなり、馴染みの駕籠かきたちが到着した。
「や。ご苦労」
 師匠が不愛想な顔のまま乗り込む。
「先生。どちらまで」
 行先は人里離れた山裾にある今は亡き又造師匠の眠る場所だ。そこには師匠の剣の師である風内又造およびそのまた師匠と兄弟子たち、そして龍王閃火の首までもが眠っている。人知れぬ小さな小さな墓地だ。
 慣れない山道で疲れ切った駕籠かきたちを離れた場所に待たせておいて、墓前への挨拶を済ませる。
「お師匠さま」師匠がそう言うと変な感じだ。
「儂もそちらへ行く時分となりました。いまだ十二王の何匹かは残っておるのが心にかかりますが、儂はこれまでです。儂の弟子たちが今後も十二王と関わることになるのかどうかは分かりませぬが、そのようなことの無きようにと願っております」
 そのまましばらく墓前にて静かに過ごす。線香の煙が立ち上る。遠くでカラスが鳴いている。
 特に変わったことは何も起こらない。もしや又造師匠が化けて出て不甲斐ない自分を叱るかと期待していたのだがそのようなこともない。
 やがて風が出始めたのを機に、待たせていた駕籠に乗ると、家に帰った。

 師匠は疲れ切った体を囲炉裏の前に収めると、入れ直した茶を啜る。
 ほとほとと扉が叩かれる音がして男が一人顔を出した。近隣の百姓の一人だ。
「先生さま。朝に来たどもお留守のようだったので」
「ちと出かけていたのでな。まあ上がれ。そこの薬箪笥の一番上の引き出しを開けておくれ。紙袋があるはずだ」
「これですかい」
 男は引き出しの中から紙袋を取り出した。
「それだ。薬の使い方は紙に書いて入れてある。庄屋さんにでも読んで貰いなさい。それが無くなる頃にはお前の母の病は癒えておろう」
「先生さま。お体の具合が良くないようで」
「うむ。儂も歳でな。恐らく近日中に死ぬ」
「そんな」
「他にも幾つか薬を作っておいた。その薬箪笥に入れてあるので庄屋さまに箪笥ごと預かってもらいなさい。大事に使うのだぞ。代わりはもうないのだから」
「おらたち村の者はどうお礼を言ったらいいか」
「気にするな。儂が好きでやっておるのだ。それともし三郎が帰ってきたら、頼るがよい。あ奴も儂の薬作りを一通り学んでおる」
 茶をもう一啜り。
「さあもう行きなさい。儂は湿っぽいのが嫌いだ」

 ふう、とため息をついた。人間というのはどうしてこう煩わしいのか。世事というのはどうしてこう忙しく、また次から次へと尽きずに沸いてくるものなのか。しかし人の世界で生きる以上はまったく誰とも関わらないわけにはいかないのだ。
 自分がいつも不愛想なのはそのせいなのかも知れんなと思った。愛想良くしていれば生きるのは楽かも知れないが、やるべき事がどんどんと増えてしまう。それぐらいならば不愛想にしておいた方がよい。どちらかと言えばひたすら山奥で技を磨く方が自分の好みなのだが。

 入口に影が落ちた。犬ほどの大きさの白いもの。長く上に伸びた耳が見えた。
「長耳殿か」
「邪魔するぞ」そう言うと兎は家の中に入ってきた。「本間宗一郎。まだ生きておるのか。驚きだな。すでにあれより月が六回廻ったぞ。どんなに屈強な者でも三回が限度なのに」
「心配をかけて済まぬな。長耳殿。だが安心するがよい。もうそろそろ逝くでな」
 兎は囲炉裏の反対側にちょこんと座ってみせた。それは驚くべきことであった。そこは師匠の技の届く範囲なのだ。今何らかの技で攻撃されたら、長耳兎の神通力である縮地を使う間もなく死ぬ。それは長耳兎の師匠への深い信頼を示していた。
 かっては死闘を繰り広げた仲なのだ。もっとも最後は長耳兎の神通力である縮地で砂漠の中に師匠が三日間放り出されることで方がついたのだが。
「のう。本間殿」
「何だ?」
 どうせ飲みはしないと思ったが、師匠はもう一杯茶を入れると長耳兎の前に置く。
「ワシは考えてみたのだ。今まで長い間、十二王と古縁流伝承者は戦ってきた。そして長い間、決着はつかなかった。伝承者が死ぬか、十二王が逃げ延びるのかが落ちであった。それが数百年飽きることなく続いて来た。ところがここに来て、十二王が逃げられずに次々と死んでおる」
 師匠は長耳兎を見つめた。自分の生涯で知っている十二王の死は、龍、子、巳、戌だ。他にも居るのかという目であった。
「本間殿。滝が近づけば川はどうなる?」
「何が言いたい?」
「滝が近づけば川の流れは速くなる。つまり近年のこの動きの速さは我らの因果が解けかけているということではないかとワシは思うのだ」
「因果が解けるだと」
「そなたも同じであろうよ。弟子たちには古縁の縁起は教えていないのであろう。それもつまりは滝が近いことの証拠よ」
 しばらく師匠は考えていた。それから茶を一口啜ってからぼそりと答えた。
「その通りかもしれぬな」
 言葉が途切れた。
 長耳兎が立ち上がった。
「ではワシは行くぞ。お主と会えるのもこれが最後だろう」
「弟子のことは頼むぞ。長耳殿」
「約束はせんぞ」
「それでもお主はやってくれるであろうよ」
 師匠は深々と頭を下げた。頭を上げたときにはすでに長耳兎は消えていた。
「結局、茶は無駄になったか」師匠はぼそりと言った。

「何だか兎臭いな」
 次に来た客が感想を述べた。山伏の相異坊である。相異坊は無遠慮にずかずかと部屋の中に上がり込むと、先ほどまで長耳兎が座っていた場所にどっかりと座り込んだ。古びた山伏衣装から埃がまき散らされる。
 これも無遠慮にじろじろと師匠の顔を眺めまわした挙句に一言。
「死相が出ておる」
 師匠の手が動いた。片付けようとしていた茶碗を相異坊に投げつける。相異坊は空中でその茶碗を受け止めると、くるりと反転させて自分の前に置いた。茶碗の中には先ほど長耳兎に向けて出した茶が並々と入っているが、ただの一滴も零れてはいない。どちらも人外の技を使う者たちであった。
 すでに冷えているその茶を相異坊は一口で飲み干した。
「旨い。良い茶だのう」
「ヌシには勿体ないわ」ぶすりと師匠が返す。
「さて、話というのはだ」と相異坊、師匠の態度はまったく意に介さない。
「まずはこの間の金子の礼だ。助かった。恩に着る」
「なんの。山伏の宝たる薬草への礼だ。それと三郎を護るようにオオカミ様へ繋ぎをつけてくれたことへの礼だ」
「なんじゃ、分かっておったのか」
「分からいでか。お蔭で助かったぞ」
「こちらも助かった。なにぶんあれ以来毛海山からは山犬が消えて、また元のようになったからのう。いったいどうやった?」
 喋りながらも相異坊は目で催促した。しぶしぶという顔で師匠は立ち上がると、台所から大きな酒瓶を持ってきた。師匠は酒を嗜まない。あくまでもこの家に置いてある酒は来客用だ。従って瓶に入っているのは極めて上等の酒だ。相異坊はそれを知っている。
 相異坊は顔を綻ばせて酒瓶を受け取ると、茶碗に並々と継ぎ、これも一気に飲み干す。それから如何にも幸せそうな息を吐いた。
「飲み過ぎてここで寝たりするでないぞ」と師匠。
「なんの、そのような不覚は取らぬ。残りは持って帰って家で飲むとしよう」
「酒瓶ごと持って帰るつもりか」
「何を言う。そのつもりで出したのであろう」
「確かにそうだが」師匠はぶつぶつと言った。その実、相異坊の態度は全く気にしていない。相異坊は元からこのような男なのだ。
「それより気になるのはあの山犬どもの事だ。犬は群れるものだが、千匹も集まるとは尋常ではない。何かの術ではないか。お主、妖怪退治も引き受けていたな。それと関係があったのか」
 師匠はまた立ち上がった。箪笥の一つを開け、そこから布で包んだ何かを取り出すと相異坊に渡した。
 布の中には干からびた犬の前足が入っていた。
「野狐の行に達した行者が使っておったものじゃ。今は術は破れておるようじゃが、眷属の呼び寄せ、つまりは山犬の群れを呼び出す術に使われていたものだ」
 師匠は説明した。もちろん丸っきりの嘘だ。山犬を呼び寄せていたのは戌の王の神通力である。しかし古縁流の縁起は部外者には明かすわけにはいかぬ。
 相異坊の眼が光った。山犬の群れの呼び寄せとは今までに聞いたことのない術だ。術自体は消えたにしてもその残滓は残っている。うまくすれば新しい術が手に入るかもしれない。それは験力を求める修験者に取っては見過ごすことのできない話であった。
「本間殿。物は相談だが、この犬の前足と今ワシが持っておる薬草とを交換せぬか」
 いそいそと懐より薬草を取り出して、目の間に広げてみせた。それは三郎が探し求めていた薬草の最後の一つであった。
「配下の山伏たちに命じて、山と言う山を探させた。ようやくこの一本を見つけ出したのだ」
 師匠はその薬草を感慨深く見つめた。このために相異坊は配下の山伏を総動員したのだ。師匠を病から救うために。無遠慮な男だが、良き友人であった。そう考えながらも師匠は首を横に振った。
「その薬草は陰干しにした上でお主が持っておるがよい。貴重な薬草だ。きっと将来役に立つであろう。儂の病気はすでに膏肓に入っておる。もはや薬は効かぬ」
 実を言えば最初から薬は効かない話なのだ。病気ではない。神通にまで達した陶蛇の呪いなのだ。故に呪詛払いですら効きはせぬ。人間の呪詛師では払おうとした段階で即死するだろう。神通力と言われる段階に達した術にはそれほどの力がある。
「その犬の足は持って行くがよい。儂には何の役にも立たぬ」
 相異坊の顔が明るくなった。師匠の気が変わらぬうちにと、犬の前足と薬草をいそいそと懐にしまいこむ。一見強欲に見える行いだが、実は非常に合理的でしかも躊躇わないという相異坊の性格が成せるものなのだ。薬草一つを大変な労力の末に手に入れたのは、取引のためではなく古馴染みの師匠を救いたいというのが動機だ。そのついでに小判の一山でも手にはいればもっと良いという下心もありはしたが。
 なにぶん相異坊は聖人君子と言うにはほど遠い。
 師匠は熱い茶を入れなおすと啜った。相異坊は酒をもう一杯。二人とも何も言わないが、どちらも若かった頃の二人の関わりを思いだしているのは間違いなかった。その大部分は相異坊が問題の群れを引き連れて師匠の家を訪れ、師匠がその問題たちを叩きのめすことで終わったのだが。
「ではそろそろお暇する」相異坊が立ち上がった。「本間殿。始末は如何に」
「近くの百姓に頼んである。墓は元より作るつもりはない」
「そうか。承知した。では迷わずに成仏してくれ」
「これ、まだ死んではおらぬわ」
 誰も弔うつもりがないなら自分がやるつもりだったが、本間殿はそこまで考えるお人であったな。相異坊は最後にちらりと後ろを見て、囲炉裏の前に座る師匠の姿を瞼に焼き付けると、扉を閉めて立ち去った。



 歳を取るに連れて、独り寝の布団は温かみを失う。
 深夜である。家の外では空が荒れ始めている。冷たい隙間風が笛を吹き、やがて来る冬の予感をさせている。
 今日は慌ただしい一日であったなと思った。立つ鳥跡を濁さずというは言うが、その跡を濁さないために立つ鳥は大変な苦労をしているのではないか。自分の身を顧みてそう思う。
 ふと何かの気配を感じて師匠は起き上がった。それだけで体がひどくふらつく。まるで雲の上を歩いている気分だ。体の中心部にあるべき命の炎が消えかけていて、今夜中に自分は死ぬのだろうと感じた。
 枕元の大太刀を取り上げ、それを杖にして立ち上がった。今の自分には二貫目ある大太刀は重すぎるが、それに触れていると心は休まった。
 恐れることなく家の扉を大きくあけ放つ。

 じゃにさりてえ。異様な唱和がする。
 じゃにさりてえ。眼前にいたのは無数の小鬼の群れであった。
 じゃにさりてえ。無数の口がつぶやきを漏らす。
 じゃにさりてえ。それだけを繰り返す。

 小鬼たちの中心に、一際大きな異形の化け物が立っていた。
 牛の頭に人間の三倍はある巨人の体。その頭に生えた角の一本は折れていた。その全身を妙にのっぺらした金属の鎧が覆っている。背中に背負っているのは一抱えもある大きな鉄棒だ。その鉄棒には無数のトゲが両端に植えられていて、如何にも凶悪そうな外見を保っている。
 師匠が口を開いた。
「これは久しぶりだな。丑の王、夜吠」
 それに応えて異形も声を発した。太く掠れた声。
「今夜は十二王として来たのではない。地獄の獄卒牛頭としての用だ。本間宗一郎。冥界よりの呼び出しだ。大人しく俺についてくるが善い」
「ついて行こうにも何も、儂はもう死ぬ身ぞ。こうして立って居るがやっとの老人に何を期待する」
「だからぞ。そなたが死ぬ前に冥界の大王たちが用があるそうだ。足については心配ない。これこの通り乗り物を用意した」
 牛頭に指図されて小鬼たちが真っ黒に塗られた輿を担いできた。見方によっては祭りの神輿にも見える。
 じゃにさりてえ。輿を担いだ小鬼たちが囁く。
「それならばよかろう」
「待て。その太刀は置いていけ。大王さまに無礼だ」
「何の、杖代わりじゃ。それに寂しいことを言うでない。儂はこの太刀と生涯を共にした。いつ死ぬか分からぬ身なれば、せめてものこと死ぬときはこれを抱えて死にたい」
「仕方がない。それならうるさくは言わん」
 師匠はふらつく体に苦労しながら、輿に乗り込んだ。無数の小鬼たちが群がると輿を担ぎ上げる。
「では参ろう。さほど時間はかからぬ」
 小鬼の群れと牛頭の巨人という異形の集団は夜の闇の中を進み始めた。人通りがない夜道を選んで進む。偶に通りかかった人間がこの光景を見て驚きに腰を抜かし、声も出せないまま提灯と一緒に道端に座り込んだ。
 だが程なく道は無人の荒野へと入り込み、後は暗闇の中を輿につけられた小さな明かりだけが照らすようになった。
「前にお主に遭ったのは四十年ほども前になるか」
「ああ、そのぐらいだな。あのときは俺の自慢の角をお前に折られたな」
「もう少し修行が成っていたならば、角を折るだけでは済まなんだにのう」
「これのおかげで俺がどんな思いをしてきたか分かるか。見る人間、見る人間、どいつもこいつも片角を鼻で笑うのだ」
「仕方がない。冥界の仕事についたというに、夜な夜な仕事を抜け出して、現界に女を犯しに出てきておったのだからな。お主が悪い」
「それを言うか」
「言うともさ。それで儂が頼まれて、お主を待ち伏せした。女の姿に扮してな。よくぞまあ引っ掛かったものだ。この儂の女装なんぞに」
 牛頭が押し黙った。師匠が静かな口調で畳みかける。いつも寡黙な師匠にしては口数が多い。
「悔しさが忘れられなんだのであろう。だが儂は強かった。お主よりもずっと強かった。意趣返しをしようにもどうにもならなんだ。だから儂が死ぬ日を待った。冥界の帳簿に儂の名が載る日を待った。その日ならさしもの儂も弱くなっているだろうと」
 牛頭は答えなかった。前方を注視しながら。黙々と歩き続ける。小鬼たちもつぶやきを止めて、ただひたすらに輿を担いでいた。自分たちの主の不興を分かっているのだ。その巨体から殺気が漏れ出ている。
「陶蛇の神通力が儂に降りかかるを知ったときは小躍りしたのではないか? ついに儂に仕返しができると」
 ふと牛頭の足が止まった。輿を担いでいる小鬼たちの足も止まる。
 じゃにさりてえ?
「この付近に黄泉への地獄穴があるとは聞かんなあ」
 輿から顔を出して静かに周囲を見回しながら師匠が言う。無数の岩の塔が地面から突き出している。周囲には星明りすら無かったが、どこからともなく薄明かりが注いでいる。ひねこびた草が辺り一面を覆っている。
 人の世界ではない。そう感じさせる光景だ。
「冥界の用などと言って、儂を人気の無い場所に連れて来るのが目的だったのであろう?」
 今まで無言だった牛頭が師匠の方に振り向いた。
「だとしたらどうする?」
 師匠の顔が歪んだ。それが師匠の笑顔だと誰が知ろう。普段から不愛想なのには訳がある。師匠の本気の笑顔は怖いのだ。
「儂はな、嬉しいのだ」
「何が嬉しい?」
「あのまま布団の中で死ぬのかと思った。この儂には似合わぬ死にざまよ」
 師匠が大太刀の鞘で輿の床を叩いた。何を感じたのか、小鬼たちが乱暴にも輿を捨てて逃げ出した。
 ゆらりと師匠が投げ捨てられた輿から抜け出た。まとめていたざんばら髪が解け、以前に陶蛇に溶かされ焼けただれた頭の皮膚が顕わになる。
 幽鬼。その言葉がぴったり来る姿。
「やはり死ぬなら、闘いの中で死ぬのが善い」
「その体で何ができる。お前は死にかけているのだぞ」牛頭が叫んだ。
「死にかけておるよ。確かに」
 ふらりと師匠は一歩前に出た。だがそれは地を歩いているようには見えなかった。
「あの家でそなたと遣りあうわけにはいかなかった。なにせお前の神通力は馬鹿力。あのままあそこで戦っておったら多くの家が壊れ、多くの人が死んでおったろう。だからお主の策に乗ってみせたのだ」
 牛頭が背中の鉄棒を抜き取った。
「あのときのようにはいかんぞ。見よ、この金棒を。焦熱地獄の火で数百年に渡って鍛えられた金神鋼で作られている。何でも切れると自慢の刃も今の俺には通用せぬぞ。見よ。この鎧を。同じく金神鋼でできておる。この鎧にもお前の刃は通らぬぞ。
 この大力の俺以外に誰がこの金棒を持ち上げることができよう。誰がこの鎧を着て歩くことができよう。今の俺はまさに無敵の存在なのだ」
 牛頭は金棒で地面を叩いてみせた。大地が衝撃で揺れる。金棒が触れた地面を中心にして地割れが走った。
「お主。それは閻魔大王の秘宝であろう。勝手に持ち出して叱られるぞ」
「朝までに返せばどこからも文句は出ん」
「返せればな」
「この鎧がある以上、もはや貴様は俺を切ることなどできはせんのだ」
「そのようなもの。古縁流にとっては薄い紙のようなものに過ぎん」
 師匠は手にした大太刀の鞘ごと地面を叩いた。衝撃で大太刀の鞘が割れ、刀身が顕わになる。
「もはやこの刃を鞘に納めることはあるまい。さあ、参れや、牛頭。いや、十二王の一人、丑の王である夜吠」
 それに応えて牛頭が吠えた。大地がびりびりと振動する。ただでさえ大きな体がもっと膨らんで見えた。小鬼たちがわっと叫んで逃げ出す。
「古縁流第二十八代終の伝承者、本間宗一郎。いざやその力見せん」
「ぬかせ。このワシが二度と不覚など取るものか」
 牛頭が金棒を振り上げた。
 大太刀と金棒が激突した。火花が宙に舞う。
「見よ。この金棒には冥界の術が掛かっておる。貴様の剣の腕がどれほどのものか知らぬが、如何なる剣の動きもこの金棒は迎え打つ」
「さあそれは試してみねば分からぬのう」
 師匠が大太刀を頭の上で横に構えた。
「参の斬撃、炎弧」
 言うが早いか師匠の体は前に滑り出た。刀が無数の弧を描き、宙に光の残像を残す。後ずさった牛頭を追って刃は走り、途中に割り込んで来た岩をまるで大根を切るかのように輪切りにした。師匠にかかっては遮蔽物はそも無意味。
「前のときより素早いの」師匠が不満を漏らした。
 周囲に散らばった輪切りの岩を跳び越えながら師匠は言う。
「それぐらい俺にだってできるぞ」
 牛頭は金棒を手近の岩の塔に叩きつけた。塔が粉々になりはじけ飛ぶ。これも衝撃で大地が揺れた。
「馬鹿力め」と師匠。
「神の通力と呼べ」と牛頭。
 次の師匠の構えは珍しくも下段だ。
「弐の斬撃。独り独楽」
 大太刀が螺旋に踊った。金棒がそれに触れ激しく弾かれる。金棒のトゲがいくつか切断されて跳ね跳ぶ。
「その金棒、言うほど無敵ではないな」
 いつもは不愛想な師匠がにやりと笑った。周囲の小鬼たちが思わず後ずさりをする。見た者に身の危険を感じさせる笑顔。師匠の悩みの種である。
「抜かせ。トゲの一本二本切ったぐらいで生意気な」
 今度は牛頭が金棒を振り下ろした。師匠が横跳びにそれを避ける。師匠の左手から手裏剣が飛び牛頭の眼へと走る。
 それは牛頭に当たる直前に空中で何かに弾かれた。
「効かぬ。効かぬぞ。古縁流に飛び道具があることは知っておる」
「これも術の力か」手裏剣を封じられた師匠がつぶやく。
「貴様に仕返しをするために俺はひたすら努力をしてきたのだ」
「なんと無駄なことに時間を費やすものだ」
 そう言うと師匠は大太刀を腰だめに構えた。
「参の斬撃。ススキ刈り」
 言うなり、技を発動した。恐ろしい速度で刃が横薙ぎに走る。牛頭の金棒が素早く上がり、刃を弾く。弾かれた刃は角度を変え金棒を持つ牛頭の指へと走った。金棒が回転し刃を再び弾き飛ばす。
 続いて繰り出された突きは牛頭の着る鎧の表面で弾かれた。
「確かに硬い」
 師匠が感心したようにつぶやく。
「まったく。死にかけていたのではないのか」
 牛頭がほとほと呆れたという風に言った。
「死にかけておるよ。でなければとうの昔にお主の首は胴と生き別れになっておるわ」
 軽口をきいているが実のところ師匠の体は限界が近い。それが一時的なものでないことは分かっていた。次に休めばそのまま死ぬ。そう実感した。
 体重をかけた足先の感覚が無い。気を抜くと体がふらつく。握りしめた手の中の大太刀が滑り落ちそうになる。だがそれらすべてを隠し通して、師匠は戦う。
「終の突き技、滴抜」
 刃を上にして片腕に沿わせる。この技は古縁流突きの完成形。すべての物を何の抵抗も無く貫く。それが例え地獄で鍛えられた業物であろうとも。
 牛頭が動く間もなく師匠は走った。大太刀の切っ先が狙い通りに牛頭の心臓へと走る。と、その瞬間、師匠の足がふらついた。膝から力が抜け、手にした大太刀が揺らぐ。そこに牛頭は渾身の力を込めて金棒を振り下ろした。
 あまりの高音に大気が震えた。師匠が持つ戦国大太刀が根本から折れ、刃が無数の砕片となって四散する。師匠の体も激突の反動で後ろに弾き飛ばされ、地面に転がった。
 牛頭が高らかに笑った。
「これで俺の勝ちだな。刀が無ければいくら貴様でもどうにもなるまい」
 師匠は無言で体を起こした。
 体の主軸がおかしい。視界がぶれる。
「なんだ、お主。すでに死んでおるのか。魂が抜けだしかけているではないか」
 指摘されて初めて気が付いた。心の臓の鼓動が感じられない。視界がぶれるのは体から半分魂が抜けかけているためだ。
 師匠の指が上がり、自分の膝を打った。柳の小枝でもあればもっと簡単だったであろう。
 激痛が師匠の全身を駆け巡った。あまりの痛みに師匠の眼が覚めた。
「痛みは生きている証ぞ」
 師匠は立ち上がった。全身を廻る痛みを活力に変えて。
「しぶとい爺いだ。なぜ死なぬ。死ねば楽になるだろうに」
「武士が戦いから逃げて安楽に走ってどうする」
「古縁流などどの大名も雇いはせぬ。武士などとは片腹痛い」
「確かに武士ではないが、我らこそ真の侍よ」
 そう返すと、師匠は柄だけになった刀を上段に構えた。
「儂の最後の一撃、受けて見よ。終の斬撃、秘剣迷い星」
 師匠の手の中で柄がわずかに揺れた。まるでその先にあるはずの剣先で天空の星をなぞるかのように。
 無言で剣が振られた。もはや存在しない刃が空を裂く。牛頭がそれに釣られて金棒を頭の上に上げ、存在しない刃の軌道を受けた。
 虚空虚閃。
 虚ろな閃光が虚ろな空を過ぎる。そこにはただ、斬るという行為だけが残る。相手の金神鋼の丈夫さも、刀身が折れて無くなっていることも、その一点の前には負ける。
 存在しない刃は持ち上げられた金棒を通り抜け、牛頭の頭から足の先まで一気に斬り下げた。
 金棒が真ん中から切断され、牛頭の視界の左右がずれた。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! どうしてそれで切れる」
 続いて牛頭の体が縦にずれた。切り裂かれた鎧の中から血と臓物を振りまきながら、その巨体が左右に別れて崩れ落ちる。
「剣の理に従ったまで。ただの児戯よ」師匠はつぶやいた。
 それから息を大きく吸って名乗りを上げた。
「古縁流第二十八代伝承者本間宗一郎。ここにて十二王の一人、夜吠を討取ったり」
 言い終えると体から最後の力が抜けていく。師匠は地面に座り込むとあぐらをかいた。目の前に柄だけとなった愛刀を置く。
「我が刃よ、長い間共におったのう。儂もお前もここで終わりじゃ」
 座を組んだ。
「最後に三郎や兵庫之介に会いたかったの。まあ、それは欲深というものか」
 師匠は目を閉じて、最後の息を吐いた。
「これにてご免」


 じゃにさりてえ。

 遠目でこの戦いを見ていた小鬼たちが恐る恐る集まって来る。自分たちには分からぬ世界の住人たちの亡骸を囲んで、いつまでもそうつぶやいていた。