大正~昭和怪談銘板

第六話 見えず守

 空襲で町は火の海になった。祖父一家は当時まだ少女であった母と姉の手を引いてその中を逃げ惑った。
 第二次世界大戦中の和歌山でのことである。

 和歌山は大阪への空襲の帰りに重爆撃機B29が通るルートである。積んである爆弾が残っていると基地に帰ったときに怒られるので、途中で残った爆弾をすべて無造作に捨てていくその真下にあるのが和歌山市である。
 自ずからこれは絨毯爆撃となった。大量の焼夷弾が無数の燃え盛る炎の筒となって雨のように降り注ぐ。水では消えないナパームジェリーの塊りである。
 街の人間は自宅を捨てて逃げ惑った。

 母が語ったところによると、炎に追われて逃げていると誰でも例外なく段々と持ち物が重くなっていくそうである。そうしてその重さに堪らなくなって、背中に抱えた荷物を捨て、手に握りしめた荷物を捨てていく。
 最後に残るのは財布だけとなる。だがその財布までもが重くなっていく。大して中身は入っていない財布が恐ろしく重くなる。
 もう持っていられない。財布の重さに足が震える。もう駄目だ。お札が数枚の財布が何故こんなに重い?
 そうして最後には財布を投げ捨てるのである。
 逃げていく先の道にはそういった荷物が点々と転がっており、火を噴きあげている。
 それでも最後まで荷物を投げ捨てなかった人たちはみんな一人残らず焼け死んだ。倒れている死体はすべて背中に荷物を持っているか、胸元に荷物を抱えていて、それごと火に包まれている。

 母はそう語った。

 呪的逃走と言うそうな。
 黄泉の国よりイザナギが逃げ出したとき、髪飾りや櫛を投げて難を逃れる。世界中の神話にその類型を持つ、古い古い呪術である。
 多くの人が無意識のうちにそれを行い、命を拾っている。
 欲に負けてそれができなかった者はすべて死ぬ。例外はない。


 そんな地獄絵図の中を潜り抜け、それでも火の手に迫られて一家はついに川岸へと追い詰められた。
 川面には先に飛び込んで溺れた人々の死体が見渡す限りに浮いている。だが火が迫っている以上、最後はそこに飛び込むしかないのだと皆は悟っていた。火に追われて水の中で死ぬ。なんと皮肉なことだ。

 そのときだ。対岸から一隻のボートが流れて来た。
 誰も乗っていない空のボート。
 天の助けとばかりに一家全員でそれに乗り込んでから慌てた。オールが無いのである。何かオールの代わりになるものはないかと周囲の死体を見回しているうちに、奇跡が起きた。
 ボートが川岸を離れ対岸へと動きだしたのだ。
 ボートはそのまま止まることなく対岸へと着き、一家はほっと胸をなでおろした。いまや炎の壁は川の向こう側で、対照的にこちらの岸は静けさが支配している。自分たちがたったいま逃れてきた火炎地獄を見つめながら思いを馳せる。家も何もすべてを失ってしまったが家族は無事だ。

 すると誰も乗っていないボートは再び岸を離れて、元の対岸へと戻ったという。その後も河原に逃れてきた人々を乗せて、見えない渡し守に操られるボートは何度も両岸の間を往復したという。


蛇足)
 母の家は奇跡的に焼け残った。
 焼け出された近所の人々は政府の命令で焼け残った家に間借りすることになった。そして焼け出された人にだけ特別の配給が行われた。
 自分の家の中で小さくなりながら、隣の部屋で焼け出された一家が食事しているのを見ながら、空腹の母は自分の家も焼けてしまえばよかったのにと思ったそうだ。