仔ライオン銘板

第五話:セールスマンと仔ライオン

 百獣の王ライオン。
 よく言われるセリフですが、それでもライオンたちに敵がいないわけではありません。とりわけ、まだ幼い仔ライオンたちは、大概の肉食獣にとっては良い餌にしかすぎません。

 そしてここにも、そんな食いしん坊たちの一人であるハイエナ君がいました。

 母ライオンの後を見つからないように追跡するという長く辛い苦行の果てに、ハイエナ君はとうとう秘密の巣穴の在処を知ったのです。
 そしてその巣穴の中には美味しそうな仔ライオンたちが一杯。思わず涎が垂れてきそうな光景です。
 しかしライオンの巣穴が厳重に警備されているのは周知の事実。ここは慎重に計画を立てねばなりません。
 ハイエナ君は狡猾で、悪賢く、慎重かつ大胆で、しかも矛盾するようですが、ちょっとばかしドタマが悪かったのです。当たり前ですよね。本当に賢かったら、ライオンの巣穴なんかには頼まれても近づかなかったでしょうから。

 まずは巣穴の様子を調べねば。

 ハイエナ君はセールスマンに変装することに決めました。
 背広を着て、仕事のバッグを持ち、インチキ名刺を印刷すれば、さああ、立派なセールスマンのできあがり。もっとも中身はハイエナですが、なに、そんなことはどうでもよろしい。セールスマンなんて、もともとハイエナみたいなものなんですから。

 母ライオンが出かけるのを見計らって、ハイエナ・セールスマンは巣穴の戸口に近づきました。
「坊ちゃん。嬢ちゃん」戸口の外で呼びかけます。
「わたしはセールスマンです。今日はおもちゃのセールスに参りました」
 巣穴の中で暇を持て余していた仔ライオンたちはこの突然の訪問者の出現に大喜び。さっそく扉の内側に集まりました。
「どの玩具もとっても素敵。さあ、ドアを開けてくださいな」
 猫撫で声でハイエナ・セールスマンはささやきました。
「でも、見知らぬ人が来たら、ドアを開けちゃ駄目って、お母さんの言いつけなの!」
 仔ライオンたちの中で一番優等生の長女ライオンが答えました。
「そんなことをおっしゃらずに」ハイエナは続けました。
「さああ、ここに玩具の見本があります。試しに遊んで見てください」
 そう言いながら、適当に作り上げた木彫りの玩具をドアの隙間から差し込みました。
 長男坊ライオンが玩具は無視して、差し出されたその手を調べました。
 ハイエナの手です。間違いありません。
「ハイエナだ! ハイエナだ!」仔ライオンたちは大声を上げました。

 作戦失敗です。ハイエナはただちに撤退し、一人っきりの反省会を開いた後に、次の作戦を練りました。

 今度はハイエナとばれないように、絵の具を使って自分の体をライオンの色に染めました。
 再び巣穴の前に立ちます。
「おうい、子供たち。ここを開けておくれでないかい。おれはお前たちの母さんの知り合いなんだ」
「ドアの隙間から手を入れてみてよ」長女ライオンが言いました。
「いいともいいとも。じっくりと見なさい。正真正銘のライオンの手だ」
 ドアから差し込まれたハイエナ・ライオンの手に、仔ライオンたちは思いっきり噛みつきました。
 広い草原中にハイエナの悲鳴が響き渡りました。
「この悲鳴はハイエナだね」
「うん、ハイエナだ」仔ライオンたちはお互いに頷き合いました。
 長女ライオンが声高らかに宣言しました。
「ハイエナは入れちゃ駄目って、お母さんに言われているの」

 またもや作戦は失敗です。ハイエナは痛む手を押さえながら、戦略的に撤退し、作戦を練り直しました。

 今度は警官にばけることにしました。直立不動の姿勢で、巣穴の前に立ちます。
「うおっほん。本官は見回りの警官である。どうも最近、この辺りで泥棒の被害が出ておる。お宅の鍵を調べさせてもらいたい」
 これには仔ライオンたちも逆らうことはできません。何しろいつもお母さんライオンから、悪いことをすると警察に捕まってひどい目に合うよと言われているからです。公権力の前にはさすがのライオンも弱いものなのです。
 ドアの内側からがちゃりと鍵が開く音が聞こえてきて、ハイエナ・警官は心の中でにやりと笑いました。ついに作戦勝ちです。
 まず最初の一匹は噛まずに一呑みにしよう、そうハイエナ・警官は考えました。一匹はお土産に取っておく。そして残りは踊り食い。
 涎が口の中一杯に広がり、お腹がぐうと鳴りました。賞品はもう目の前です。
 ハイエナ・警官はドアに手をかけ押しましたが、どうしたことかビクともしません。よくよく見ると、ドアの外側、つまりハイエナ・警官側にカンヌキがかかっています。
「どうしたことだ! この扉は! 外側に鍵がついているぞ!」
 ハイエナ・警官は叫びました。
「それはね」と答えたのは長女ライオンです。「やんちゃな仔ライオンが勝手に家出をするからって、お母さんがつけたの」
 奇妙なことだ、とつぶやきながらカンヌキを外すと、ハイエナは警官の衣装を脱ぎ捨てました。それからドアを大きく開くと、食欲という名の相棒を連れて、その中に突進したのです!
 ドアの中は真っ暗闇です。ガツンと何かがハイエナの脛に当たり、勢いよくもんどり打ってハイエナは巣穴の奥へと転がりこんでしまいました。
 痛む頭を押さえつつ、ふらふらと立ち上がったハイエナの背後で、バタンと音を立ててドアが閉まりました。それから恐るべき暗示を含んで、ドアの外でカンヌキがはまる音がしました。
 ハイエナが飛び込むと同時に巣穴の外に出ていた仔ライオンたちが、はしゃぎ声を上げました。
「やああ、やああ。ハイエナがひっかかったぞ! もう外になんか出してやらない」
「なんてことを!」ハイエナは涙声を上げました。このままお母さんライオンが帰って来たら大変なことになってしまいます。ハイエナは必死で懇願します。
「お願いです。お優しい坊ちゃん、嬢ちゃん。ここから出してください」
 それに答えたのは長女ライオンです。少しばかり、声に意地悪いものが混ざってます。
「ハイエナは出しちゃ駄目って、お母さんに言われているの!」
 ハイエナ君は泣いて、喚いて、脅迫して、出来るはずもない約束をいくつもしましたが、結局すべては無駄でした。
 夕暮れになりお母さんライオンが帰って来ると、巣穴の外にいる仔ライオンたちとカンヌキのかかったドアを見て、すべてを悟りました。
 それからドアを開けると、巣穴の暗闇の中へとお母さんライオンは降りて行ったのです。

 その日の夕食がご馳走で無かったなんて、誰にも言わせません。
 ハイエナがもともと持って来ていた玩具は一つだけでしたが、それでも仔ライオンたちはみんなが一つずつ玩具をもらいました。
 使い方次第では、ハイエナの骨もいい玩具にはなるのです。


 ハイエナはずる賢く、経験豊富で、しかも冷酷非道でした。彼は自分ほど悪い存在はいないとひそかに自負していましたが、たった一つだけ重要な点を見逃していたのです。
 それは、自分が子供の時代にどれだけズル賢く狡猾であったのかを、大人になると誰しもが忘れてしまうという、実に単純でしかも恐るべき事実なのです。