馬鹿話短編集銘板

別れの挨拶

 猫は死ぬ前に別れを告げに来る。
 私はそう信じている。


 昔の飼い猫のホワイトペルシャは真っ白な長毛の大猫だった。気の荒いオスで、周辺の猫たちからは恐れと共にハブられていた。よく道を悠々と歩き、通りがかる車の前を横切って止めていた。
 だがそれでも歳には勝てず、猫の宿命である泌尿器関係のトラブルが起きた。その手術で睾丸を失ってからは随分と大人しくなった。
 それでも手術から六年は生きた。寿命が近づくとやはり古い手術の痕が破れ、出血してしばらくの間生死の境をさ迷った後に、ひと時の寛解を得た。
 小便が常に漏れてアンモニアの臭いをさせていたので、母は猫を台所に隔離した。
 死ぬ前日、骨と皮だけになっていたその体を引きずって、しきりとなっていたダンボールの衝立を驚くべき力で排除すると、寝ている私の蒲団にまで来た。蒲団に臭いをつけてはいけないと分かっていたらしく、蒲団には足を踏み入れずに、頭を撫でてくれと要求してきた。
 次の日の昼、台所に横たわってあの世へ旅立った。


 次に飼った子はアメリカンショートヘア。
 うちに来た日から大騒ぎし、子猫のときにはヒゲのすべてが折れていたというヤンチャだった。
 齢十四歳で脂肪腫にかかった。腎臓を悪くしていたため手術はできず、膨れ上がっていくガンの塊りをぶら下げたまま、静かに余命を待つだけとなった。
 会社から帰るとお気に入りのネコベッドの中で死んでいる最中だった。
 ゆっくりと八時間かけて、死んだり生き返ったりを繰り返しながら、私の方を見ながらこの子は死んだ。


 次は保護猫団体からロシアンブルーの子猫を貰った。
 鉤しっぽに生まれたために兄弟猫と一緒にブリーダーに捨てられた子であった。兄猫が交通事故により死んだ後に団体に保護され、巡り巡って我が家に来た子だった。
 保護されたときにはすでに猫白血病ウイルスのキャリアだった。子猫がかかると百パーセントの死亡率を誇る恐ろしい病気だ。
 半年でその表れである胸腺リンパ腫が発症した。
 大人しい子だった。鳴くのは病院に行くときのキャリーバックの中だけだった。昼は私のベッドの上で寝て、夜はそのベッドの上で寝る私に遠慮して、ベッドの横で寝ていた。
 甘えるときもベッドに座っている私の横にそっと寄り添うように座るのがせいぜいだった。静かに人を愛する子だった。
 ある日、パソコンの横から登って来ると私の膝の上へと初めて乗り、撫でてくれとねだった。
 次の日の朝、押し入れの中で死んだ。


 だから猫は死ぬ前日、別れの挨拶をすることを私は知っている。
 だとすれば今のこの猫の甘えぶりはなんだろう。
 この子は健康診断でも問題なしと出たばかりだ。明日死ぬような体調とは思えない。
 テレビを見ながら、静かに撫でる。ごろごろぐーぐーとうるさい。テレビでは緊迫する世界情勢などと叫んでいたが、そちらに集中できない。
 色々と考える。ウチは完全室内飼いだから交通事故に遭うとも思えない。病気が怖いので外には出さない。
 それとも何かの拍子に家の外に飛び出てしまうのだろうか。
 その一日は猫に張り付かれて終わった。
 次の日、まるで憑き物が落ちたかのように猫は静かになった。いつもの自分の位置で丸くなってただひたすら寝ている。
 アラームが聞こえた。テレビをつけてみると半狂乱のアナウンサーが喚いている。某国から核ミサイルが発射されたとテロップが流れる。もう後数分で着弾する。
 そうか、そうだったのか。私はようやく納得がいった。
 寝ていた猫がむくりと起き上がると、私の前に座ってにゃあと鳴いた。
 最後の別れの挨拶なのか。私はその子を抱き上げた。そうして、最後の瞬間を待った。
 長くは待たされなかった。