馬鹿話短編集銘板

瑠璃子

 新造恭彦は新進気鋭の油絵画家だ。彼が描くのは人物画でそれもただ一人。

 瑠璃子。

 瑠璃子という女性は実在の人物ではない。新造恭彦が自分で作り上げた新造恭彦の心の内だけに存在する理想の女性だ。
 彼は画家として名が売れ始めた頃から、瑠璃子と名付けた女性を描き始めた。最初は赤ん坊を描き、それからは徐々に年齢を上げて描いていった。瑠璃子はあどけない少女から恭しい清楚な少女へと成長した。やがて美しい妙齢の女性へと成長した頃には彼の個展には大勢の観客が押し寄せるようになった。
 彼が描く絵はすべて瑠璃子であったが、あらゆる者がその絵を買い求めた。一度でも彼の瑠璃子を目にすればその理由は分かる。
 普通の人物画と比較すると、人物の存在感が明確に異なるのだ。瑠璃子の絵を見ているとそれが絵とはとても思えない。写真に比すなどという言葉ではなく、そこに窓があってその向こうに瑠璃子が佇んでいるかのように思えて来るのだ。それも、深い情感を持って。

 瑠璃子は見る角度により多くの顔を持っていた。
 清純。妖艶。家庭的。奥ゆかしさ。限りない母性。気高さ。溢れんばかりの優しさ。絵の中の瑠璃子を見ていると、それはどこまでも愛おしく、永遠に自分の手元に留めておきたくなる。悪いことだとは知りながら、それでも瑠璃子を独占したくなる。
 瑠璃子の絵はそんな魅力に溢れているのだ。
 瑠璃子は新造恭彦の娘であり、恋人であり、伴侶であり、母であった。彼の持つ瑠璃子への深い愛情がこの絵を支えていた。
 そして彼ばかりではなく、大勢のファンもが瑠璃子に魅せられていた。熱心なファンの中には瑠璃子の絵画との結婚式を挙げて話題になる者まで出た。

 まったくもって、狂っている。

 私が画廊という立場で彼の担当になったのはその頃だ。そのうちに、最初は仕事仲間として、最後は友人として彼の横に居るようになった。
 そういう理由で彼のアトリエに入れるのは私だけとなった。

 新造恭彦のアトリエは今は寂れた避暑地の中にひっそりと佇む別荘であった。彼は徹底した秘密主義者で未完成の作品は決して誰にも見せなかった。私以外には。
 だからこの家のことは誰も知らなかった。名義人もまったくの別名である。
 家の中央にあるかなり大きめの部屋はそのまま無数のキャンバスが並ぶ作業場となり、窓はすべてぴっちりと目張りされていた。ここを訪れる人間は皆無だが、それでも万一誰かが通りかかってもアトリエの中を見られないようにした。壁の一部には大型のファンが設置されテレピン油のにおいを全力で外へと排出していた。
 彼の描画手法は独特だ。キャンバスを横に何枚も並べて、そのそれぞれに瑠璃子を描くのだ。それらはすべて同じ瑠璃子なのだが、同時にすべて違う。つまり年齢と服装はすべて同じなのだが、表現される表情が異なるのだ。怒った顔の瑠璃子、笑った顔の瑠璃子、そしてもっと複雑な表情の瑠璃子。例えば好きになった男に振られた直後の辛さを内側に秘めたどこか悲し気に微笑む瑠璃子。朝の光の中に微かに物憂げな、ただ何かを覚悟して起き出す瑠璃子。そういった言葉にしていない感情そのもの一目で感じ取れるのが彼の絵の凄い所だった。
 すでに瑠璃子は絵画という領域を越え、実在の人物そのものをキャンバスに固定したようなものだと言えた。
 そのせいか個展に並べられた瑠璃子をお客は1セットで丸ごと欲しがった。描く端からすべて売れていくのは実に小気味良いほどであった。その値段も物凄いものだったが、客は一切の躊躇いを見せずに札束を積み上げる。そんな光景を何度も見た。

 これだけ長い間付き合っていると新造恭彦の絵画の目的というものが薄々分かって来る。
 ゴッホのヒマワリという作品には美術界の表には出ていない「枯れたヒマワリ」という作品があると言われている。好事家たちが密かに入手し、誰にも見せずに秘蔵していると噂されている。
 蕾のヒマワリ。咲き掛けのヒマワリ、満開のヒマワリ、そして枯れたヒマワリ。ゴッホはそこまで描いて初めてヒマワリを描いたことになると考えていたのではないか。いや、確かに噂の域は出ない。だがまあそういう伝説もあるという話だ。
 新造恭彦も似たような考えを持っていたに違いない。彼は瑠璃子をすべて描き切るには、赤ん坊の瑠璃子から始めて、醜く老いさらばえた瑠璃子まですべてを描くべきだと信じていた。そこまでいって初めて作品群は完成する。
 過去、現在、未来。運命の三姉妹は三人揃って初めて完全となる。瑠璃子もまた同じなのだ。

 清純な瑠璃子の先にあるのは艶やかな匂い立つような瑠璃子。その肌にはうっすらと脂がのり始め、やや湿った感じを与えている。美しさには性的な意味が加わり始めており、見る者をさらに強く魅了するようになっている。そこに佇んでいるのはまさに傾国の美女だ。
 そして新造恭彦はそのさらに先へと進もうとしていた。下書きに描かれた瑠璃子は少しだけ体重が増え、完璧だったプロポーションにはわずかな崩れが見え始めている。

 今回だけは新造恭彦はいつもと違う行動をした。

 瑠璃子の次の下絵まで描き始めたのだ。こんなことは今までなかった。
 次々に生み出されていく下絵の中で瑠璃子は歳を重ねていく。胸は垂れ始め、それに合わせてやや肩が下がっている。それでも瑠璃子はやはり美しかった。次の下絵はさらに瑠璃子の肌に増えていく皺という形で表現されていた。その肌の下から肉が溶け出し、明らかに痩せていく。自慢のプロポーションは崩れ、下腹の緩みは隠しようがない。
 最後の下書きに至ると、そこには老いさらばえ腰を曲げた瑠璃子が浮かび上がっていた。もはやそこには一般的に言われる美しさの欠片も無かったが、それでも今までの絵で表現されてきた瑠璃子の本質は隠しようもなく残っていた。そこにあるのは性的な愛おしさではなく、人間としての本質的な愛おしさであった。
 そこまで来て初めて、新造恭彦の絵画群の意味が私には分かった。
 絵画は本来は一つの光景を切り取ったものであるが、彼は本当に一人の女性の全ての人生を描き上げたのだ。そこには瑠璃子という絵画の女性を通しての膨大な背景の表現が含まれている。瑠璃子のシリーズをすべて集めることで、ある時期の歴史そのものが手に入るのだ。その絵画を見る者は瑠璃子の内面を通してそこには描かれていない世界を映し見る。瑠璃子の希望、欲望、そして最後に絶望を経ることで変わりゆく世界に押し流されるしかない一人の女性のすべての経験を得るのだ。
 静かな感動が私の胸の内に沸き上がってきた。
 凄い、と思った。この絵画のシリーズのすべてが完成したら、大金持ちの好事家たちがこぞって買うに違いない。何度にも渡るオークションに続く秘密の取引。争奪戦。場合によっては暴力沙汰もあるだろう。瑠璃子のシリーズを完成させるためなら大富豪たちはどんなものでも差し出すだろう。
 そしてまたそうではなくてはいけない。これらの作品が世界中にバラバラにあったままでは、真の理解は訪れない。これらは皆、一つ所に収められて初めて完成するのだ。

 一通りの下書きを終えると、新造恭彦は最初に戻り、やや歳を取った瑠璃子の絵の製作に入った。下書きの上に色がつき始める。筆は一瞬の躊躇いも見せずに動き、キャンバスの上に見る見るうちに命が描き上げられていく。
 こうなると新造恭彦は止まらなくなる。目を離すと食事さえ取らなくなる。そもそもが人嫌いなのでお手伝いを雇うこともしない。自然、彼の世話をするのは私の役目になる。これほどの芸術家が餓死などということになったら世界の損失だ。
 やることはいくらでもある。買い出しに行き、簡単な食事を作り、キャンバスに向かって忙しく筆を動かす彼の口に押し込んでやる。汚れた衣類を着せ替えさせ、彼の体温と血圧を測る。減った絵具を途切れなく補充し、投げ捨てられた筆を綺麗に洗う。
 部屋の中のゴミを片付け、別室に泊まり込んで彼の様子を見る。
 まったく手がかかる友達だ。恐らく周囲で忙しく立ち働いている私のことも意識はしていないだろう。

 だが彼は今世紀を代表する偉大なる芸術家だ。私の時間を使う価値は十分にある。

 ようやくほとんどの部分が描きあがり、最後の一筆を残して新造恭彦が寝室のベッドに倒れ込むようにして眠りにつくと、私は彼の上に毛布をかけ、アトリエに入った。
 彼の製作途中の絵を見ることが許されるのは私だけだ。
 『中年になりかけの』瑠璃子の絵は完成間近だった。少し形が崩れ始めた胸のふくらみ、脂肪がつき始めた腹、輪郭が柔らかくなり始めた顔に以前より少しだけきつくなった化粧。だがそれらを差し引いても、瑠璃子は依然として艶やかで美しく、なおかつわずかだけ増した知性の輝きが加わっている。
 今回の作も見事だ。私は満足すると部屋の電気を消し、眠りについた。

 翌朝、叫び声で目が覚めた。
 アトリエに飛び込んだ私の目に飛び込んできたのは、ズタズタに切り裂かれたキャンバスの前で呆然と佇む彼の姿だった。彼の咎めるような目が私に向いたがそれはすぐに逸れた。
 私がこのようなことをするわけがないとすぐに思い当たったせいだ。瑠璃子のシリーズをもっとも心から愛しているのは新造恭彦だが、二番手は私であることを彼は知っている。
 警察は呼ばなかった。アトリエには無数の下書きがあったからだ。これを部外者の目に晒すわけにはいかない。その代わりに二人で徹底的に調べた。
 キャンバスを切り裂いたのはアトリエに置いておいたパレットナイフに間違いなかった。それは余程の力で振るったのか、真ん中から折れて足下に転がっていた。
 大きな窓にはすべて鍵がかかっており、ガラスは割れてもいない。家中の出入り口もしっかりと鍵がかかっており、誰も侵入した形跡はなかった。この家の外は人気の無い林になっていて、そこも調べたが人が入った跡はなかった。もっともそういう仕事のプロではないので詳しくは分からなかったが。
 そもそも何のために絵を破壊したのだろう。彼の絵を欲しがる者は多いが、破壊して得をする者などどこにもいないはずだ。

 私の提案を彼が飲んだので、防犯機器を色々と買ってきて設置した。
 家の各部と林の中のいくつかのポイントに監視カメラを設置した。鍵はすべて二重に取り付けた。屋外には赤外線センサを配置し、何かあれば警報が鳴るようにした。
 もちろんアトリエは一番厳重に対策した。死角が生じないように無数の監視カメラを置いた。
 一通りの対策が終わると新造恭彦は再び絵の製作に入った。切り裂かれた絵と完全に同じものを瞬く間に描き上げた。寸分の狂いもないし、変更点もない。それが完璧な作りである以上、前と変える理由がないのだと彼は説明した。
 本物の天才というのはこういうものなのだと感じた。
 後一筆で完成という所で、やはり彼は眠りについた。最後の一筆は最高のコンディションで入れること。それが彼のポリシーだったからだ。
 私は今度は眠らないことにした。予感があったからだ。アトリエの中の椅子に陣取りコーヒーを啜る。何かの拍子にコーヒーを口に含んだまま咳き込んだらまずいので、問題の絵からは遠く離れている。
 やがて私は催してきた。利尿作用のあるコーヒーの飲みすぎだ。何も問題がないことを確認してからトイレに行く。要求を解消してからアトリエに戻って凍りついた。
 またしても絵がズタズタに切り裂かれている。
 大慌てで彼を起こして何があったかを早口で説明すると、二人で家中を探し回った。
 誰もいない。私たち二人だけだ。
 監視カメラの記録を再生してみた。時間を調整して私がトイレに立った直後に合わせる。二人で画面に見入ると、二人同時に驚愕して声を上げた。
 無人となったアトリエにいきなり人影が湧いたからだ。髪が長い。女性だ。どこかで見たようなと思った。
 その女性は道具入れの中からペインティングナイフを取り出すと、生乾きのキャンバスを執拗に切り裂いた。それは見ているこちらをぞっとさせるほどの悪意に満ちた動きだった。仕事を終えるとペインティングナイフを投げ捨て、その女性は上を向いた。
 あっと声が出た。その顔は二人とも良く知っている女性だったからだ。この世で一番良く知っている顔。
 瑠璃子だ。
 それから彼女は監視カメラの映像の中で静かに消えた。

「いったいどういうことだ。あれは」
 震える両手で温め直したコーヒーのカップを包むようにしながら恭彦は言った。
「瑠璃子だったな」と応えたのは私。
「幽霊なのか。にしても瑠璃子は元々生きてなどいない」
「ああ、君の頭の中にだけ居る存在だ」
 誰かの仕業ということは考えなかった。いったいどんなトリックを使えばあんなことができるというのだ。何者かが瑠璃子の顔マスクを作って装着し、犯行に及んだのか。だがそうだとしても突然の出現と消滅の言い訳がつかない。
 一応他の監視カメラも調べたがどれも何も映ってはいなかった。少なくとも彼女は外から侵入したわけではない。
「だがあの正体が何であれ、困ったことになったな。このままでは君の瑠璃子は完成しないぞ。描く端から切り裂かれるのでは」
 私は指摘した。

 あらゆる手を打ってみた。
 霊能者を片っ端から訪れ、拝み屋をすべて当たった。寺にも神社にも行ってみた。
 結論から言えばすべて無駄だった。その中の数人は身元を隠したこちらの状況を正確に言い当ててみせてから、どの人も同じことを言った。
「これは死者ではなく、生きている人です。だから私にはどうにもできません」

 どういうことだろう?

 二人で長い間話し合った結果、ある結論に落ち着いた。偉大なる芸術家が瑠璃子という作品に魂を吹き込み続けた。そして多くの人間が絵画の中の彼女に恋をした。その結果、瑠璃子は現実の中に存在するようになった。少なくとも現実の裏側に。そして彼女は何らかの意図を持って彼の絵の製作を妨害している。
 あり得ない話だ。絵の中の人物が命を得るなどとは。だが二人ともこれこそが真実なのだと確信した。

 だがそうなると困った。これでは絵が描けない。瑠璃子のシリーズは永遠に完成しなくなる。
 結果、次のような結論に達した。
 相手が幽霊などではなく現実の存在と仮定するならば、それに対処する方法も現実に即したものでなくてはいけない。
 考えた末、絵を描いた後に金庫にしまえばよいのではないかと思い当たった。瑠璃子も金庫の中には出現できまい。その金庫が十分に小さければ。
 恭彦はこの案に反対した。金庫の中では絵が十分に乾かないと。
 結局のところ、描き上げた絵をしまうための特殊なケースを特注する羽目になった。恐ろしく丈夫な金属で、しかも多層になった構造で通気性を確保している。ケースには太い鎖がつけられるようになっていて、アトリエから持ち出すことはできないようにした。
 絵を描き、二人が同時に目を離さざるを得ない場合にはこのケースに仕舞う。そうすればいかに瑠璃子が神出鬼没だろうが手は出せない。アトリエの中にはこのケースを壊せるような道具はない。

 これはうまくいった。彼は瑠璃子の次のシリーズを描き上げ、ケースに保管したまま次の瑠璃子のシリーズに取り掛かった。まるで鬼神にでも取りつかれたかのような製作意欲だ。
 完成した瑠璃子のシリーズは写真を撮りそれを公開した。本来なら個展に並べるべきであったが、個展自体が襲われては事だ。何となく、シリーズを最後まで完結させれば瑠璃子は出なくなるのではないかという漠然とした予感があった。

 次の瑠璃子がキャンバス上で形になっていく。
 さらに少し歳を取った瑠璃子。体の輪郭はやや膨らみ、全身に脂が載り始める。肌は張りを失いつつあるが、代わりに深い所に男女の秘事を知り尽くしたという動きが刻まれる。男性を体で誘惑することを覚えた者の蠱惑的な姿勢が紛れ込んでいるのだ。もはやそこにいるのは清純な瑠璃子ではなく、妖艶な瑠璃子だった。
 目じりには注意して見ないと分からないほどの微かな皺が刻まれた。離れていては分からないが、近くで見てようやく気付くレベルのものだ。だがたったそれだけで全体の印象ががらりと変わった。人間の眼は見えていないようで見えている。彼の油絵は大胆なようで細部まで計算し尽くされている。とても油絵とは思えない繊細さが構図の中に自然に組み込まれている。
 それを可能としているのは彼が持つ瑠璃子への愛情であった。瑠璃子の持つどんな些細な特徴も彼の愛の前には隠すことができない。だからこそ、ここまで描けるのだ。

 いつもなら最後の一筆の前に休憩を入れるのが新造恭彦のスタイルだったが、今回だけは違う。一気に最後の筆まで描き上げた。

 悲鳴が聞こえた。彼の後ろに瑠璃子が立って叫んでいた。

 これはあの若い瑠璃子ではない。この間、公開した大人の女に成長した瑠璃子だ。私はそう判断した。瑠璃子の絵は目を瞑ればすべて思い出せるほどに見続けて来た。間違いようがない。
 彼女は手近のペインティングナイフを取り上げると、それを目の前で固まっている恭彦の喉に突き刺し、横に引いた。
 彼の首から吹きあがった血飛沫がアトリエ中に飛び散った。切断された頸動脈から噴水のように血が噴き出す。出来上がったばかりの絵が真っ赤に染まり、その上に崩れ落ちるように恭彦の体が倒れこんだ。
 私はと言えば瑠璃子の顔にくぎ付けだった。現実に結晶した彼女は壮絶な美に満たされ、新造恭彦の血に塗れて、恐ろしい輝きに満ちていた。かって恭彦が決して描かなかった瑠璃子がそこに居た。
 殺人者となった瑠璃子だ。
 彼女は私に見られていることに気づくと、その血まみれの手で自分の顔を覆い、そして消えた。


 状況は深刻だった。
 正気に戻ると、私は自分が何を成すべきかを悟った。
 警察に届け出ることはできない。どう考えてもこれは私が恭彦を殺したケースだから。監視カメラには瑠璃子が恭彦を殺す問題の場面が映っていたが、それが証拠として採用されることはないだろう。あまりにも常軌を逸した証拠はディープフェイクとして無視される。
 恭彦の体は林の中に埋めた。私たちがここで作業していたことは誰も知らない。恭彦も私も秘密主義だったから。
 新しく描き上げてケースの中に保存していた瑠璃子の絵はすべて燃やした。世間はきっと天才画家新造恭彦の謎の失踪を不思議がるだろう。だがその真相は誰にも分からない。
 炎の中に新しい瑠璃子の絵が消えて行くのを私は黙然と見ていた。これが正しい行いなのかどうか確信がなかった。恭彦ならばどうしただろう。そう考えたが答えは出なかった。
 視線を感じてふと目を上げると、建物の二階の窓から瑠璃子が炎を見つめていた。その姿は一瞬で消えたが、消える前に満足そうな微笑みが浮かぶのだけは分かった。
 瑠璃子はそれ以来出現してはいない。だがおそらく、これらすべては彼女に取って満足のいくものだったのだと、そう思う。


 瑠璃子が何故現れたのか、何故恭彦を殺したのか。
 恭彦は彼女の生涯を描き切るつもりだった。そして恭彦が描くにつれて人々の瑠璃子の印象は変わる。より年老いた方へと。そしてそれに合わせて幻の瑠璃子の姿も変わる。彼女にも止めようがなく。
 恭彦は余りにも彼女を人間に近づけすぎた。
 すべての女性がそうであるように、瑠璃子も若く美しいままでいたかったのだ。
 永遠に。
 そのためには自分の創造者である新造恭彦を殺すことも厭わない。

 そうだとも。人は自分を産みだした神を殺すことを常に夢見るものなのだ。