歴史書銘板

魔術師マーリンの生涯

 魔術師マーリンは六世紀、アーサー王の時代に当時ブリテン諸島と呼ばれていたイングランドに産まれた。

 父はインキュバス、つまり男性夢魔である。
 夢うつつに夢魔に犯された母親がマーリンを産んだと伝えられている。

 こうしたことは当時では珍しいことでは無かった。
 私生児の存在自体はごく普通の光景だったが、彼らが虐めの対象となることもまた普通の光景であった。人権意識が発達するには千と四百年早すぎたのである。
 マーリンが魔術の修得にいそしんだのも、このことが原因の一つであったように思われる。
 この時代、まだキリスト教が広く流布する前は、魔術師は火あぶりにされることはなく、むしろ尊敬されるものであった。従ってマーリンが魔術師を目指したことも決しておかしな話ではない。そこにある種の強烈な情念が絡んでいたとしても、それが努力の純粋さを汚すわけではないのだ。
 当時サクソン人の侵入による残虐行為に悩まされていたブリテン諸島の人々が、そんな彼を生贄にしようと目をつけたのは、ひとえに周囲から孤立した彼の立場が利用し易かったのだと思えば、納得がいく。
 ボルティゲン王のスノードニア城の建設の際にマーリンは人柱にされかけた。もちろん、マーリン一人ではなく他にも二人の子供が選ばれた。一人は地震から城を護るために基礎ができたときに生贄にされる。次の一人は押し寄せる敵から城を護るために、城の壁が完成したときに生き埋めにされる。そして最後の一人は雷から城を護るために、城の屋根が出来たときに屋上から突き落とされる。それが当時の習慣であった。
 危うく、得意の魔術で危機を脱したマーリンだが、まだ純真だった彼がこの事件により受けた精神の傷は恐るべきものだったに違い無い。

 この事件以来、彼はひどく無口になった。


 そんな彼の気持ちを一手に引き受けたのがペンドラゴン家の若きホープ、後のアーサー王であった。誰にも理解されないことへの寂しい気持ちを、マーリンはアーサー王への忠誠と女性漁りでごまかしていたのかもしれない。

 夢魔を父に持つマーリンはその血の故か、非常に女好きであった。
 ブリテン在住時に彼と関係があったとされる女性の数は言い伝えによると四百二十万と五千人。当時のブリテンの全住人数を大きく越えるこの数字は今もって謎とされている。
 当時ブリテン中を荒し回った夢魔は彼の変身したものだとも、あるいは彼の配下達だとも噂された。

 しかしながら、彼はアーサー王の妻、王妃グィネヴィアにだけは手を出さなかった。
 彼女はすでに偉大なる騎士ランスロットと不倫の関係にあったためである。
 ランスロット卿は当時の最強の騎士であり、頭に血が上ると何をするか判らないと言う点でも騎士の鑑というべき人物であった。
 これではさしものマーリンも悪癖を出すわけには行かなかった。
 当然、と言う言い方はおかしいが、アーサー王も姉に当たるモルゴースと、やがては彼の命を狙う事になるモルドレット卿を作るのに忙しかったために、二人の関係については黙認していた。
 この時代、貞操帯は発明されていたが、貞操観念という言葉はまだ発明されてはいなかった。

 やがてほどなくしてアーサー王の円卓の騎士団が所属する宮廷は大混乱に陥った。
 有名な聖杯事件である。円卓の上を横切った聖杯の幻影を求めて、それぞれの騎士たちが自分勝手に宮廷を抜けて探索を行い始めたのだ。そして当然のように、権力争いは激化した。結果として宮廷中で殺し合いを主体とする争いが始まった。

 かくして円卓は割れ、アーサー王の宮廷は没落し、マーリンの虐めっ子に対する復讐はここに完結した。
 もしやアーサー王がマーリンの中に少年時代の虐めの相手の面影を見出していたら、結果はもう少し違った形となっていたのかもしれない。
 しかし、虐められた者は生涯虐められたことを忘れないものだが、虐めっ子がすっかりと虐めのことを忘れるのは定石中の定石である。

 幻影と扇動。魔術師の技の最たるものである。しかも彼には宮廷中の女性の支援があった。しかしながら、マーリン自身もこれにより致命的なミスを犯してしまった。

 マーリンの女癖の悪さに悩んだ湖の妖精ヴィヴィアンがマーリンをだまし、寝物語りにマーリンから聞き出した力の呪文により、彼を魔法の塔へと閉じ込め永遠の眠りの中へと彼を封じ込めてしまったのだ。
 人は愛ゆえに犯罪に走ると言う理論がある。これには賛成する者も多かろう。
 あらゆる感情の内、女性の嫉妬が一番恐ろしい。男性の嫉妬を除いては、だが。

 これが大体、七世紀の始めの事であった。・・・眠りは約千年に渡り、続いた。

 記録によれば彼が長い眠りから目覚めたのは十七世紀後半、眠りが千年より少し長かったのは、恐らくは妖精ヴィヴィアンが仕掛けておいた目覚し時計が狂っていたためである。
 当時はクオーツ式の時計はまだ開発されていなかったため、時計は狂うのが常であった。千年に渡って止まらない時計は考察されていたが、千年に渡って狂わない時計は需要が無い、そんなのんびりとした時代でもあった。ミレニアムの終りにはまだ間があった。

 すでに自分の愛したアーサー王もキャメロット城も、伝説の彼方に消え去ってしまった事を知った彼の悲嘆はどれほどのものであっただろう?
 ましてや、四百二十万人の女性とのデートの約束を全てすっぽかしてしまった事に気付いた瞬間の彼の胸中は?
 慌ててマーリンは女性達にお詫びの電話を入れたが、残念な事に、皆、すでに死んでしまった後であった。十七世紀も終りに近付いていたとは言え、まだまだ女性の平均寿命は短かかった。


 ・・無常感がマーリンを捕らえた。
 その気持ちに耐えられずに、彼は出家した。


 髪をすっぱりと落し、目指すは遥か東の小国、アラビアンナイトのワクワク島とも黄金の国とも呼ばれるジパングの地であった。
 四国八十八ヵ所霊場巡り。それだけが救いだった。
 灯火に使う鯨油を求める捕鯨船用の薪と水を求めて、黒船に乗ったペリーが独立国家であるジパングに大砲を撃ち込みに来るのはこれより更に百年も後の事である。

 やがて四国で知り合ったお遍路のおキヌさん(仮名)に因り彼は再び還俗した。

 当時の徳川幕府の好意により、マーリンは須佐香群上郷利村の庄屋に任ぜられる事になった。この間の詳細については不明である。どのような裏取り引きが行われたのか、その鍵は古文書に記された「絵区酢借場」なる言葉である。しかし、この時点から、マーリンは歴史から消え、魔輪庄屋が現れている。
 歴史の裏では常に何等かの陰謀が張りめぐらされているものなのだ。

 魔輪の庄屋としての分限は二百石ほどである。
 おキヌさんとの生活はそれなりに静かで愛に満ちたものであったと言い伝えられている。ただ一点、すでに飽きるほど惰眠を貪った魔輪が重症の不眠症にかかっていた事以外は。

 上郷利村の夜は、眠れずに歩き回る魔輪のために非常に治安が良かったと書き残されている。庄屋の魔輪は大体において善い人物だったようである。彼が異国の人であることは、染めた髪のお蔭で最後まで村人には知られることは無かった。流石に外国産まれの鼻の高さは隠せなかったが。

 村の人々は彼の事を夜廻り天狗の庄屋どんと親しみを込めて呼んでいた。だがそれが後ほど大きな事件を引き起こすことになる。

 村の庄屋を務めるようになって後、二十年目、魔輪は一揆の首謀者として処刑される。

 当時、この付近を襲った旱魃から農業従事者を救う為に彼は一揆を起こしたのである。
 戦いは長く続き、魔輪の魔術と悪餓鬼相手に鍛えた腕力が火に油を注いだ。が、しかし、時の支配権力に荷担した冠婚葬祭従事者達により魔術師魔輪の力は封じられ、やがて敗北を迎えることになった。

 幕府の弾圧は酸鼻を極め、一揆鎮圧の後には無数の死体が転がっていたそうである。
 一説によると、彼が首謀者として処刑されたのは、不眠に耐え切れなかった魔輪庄屋が大奥へ侵入して悪さをした事が発覚したためであるとも言われているが、その真偽は定かではない。
 この時代以降、幕府将軍の系列に高い鼻が見受けられるようになったのはそのためかも知れない。魔輪庄屋が関係した女性達の電話番号や住所を控えたメモは人知れず破棄されたと聞く。


 こうしてマーリンはその数奇な生涯を閉じた。
 享年百二十歳(+睡眠時間一千四十年間)であった。

 彼の墓は今、上郷利村を見下ろす土手の上に、おキヌさんの墓と並んで立っている。墓碑名は風雨に削られて消えて読むことができない。