パソコンのお化けが出た。
真夜中に目が覚める。薄暗い中で何か違和感を感じて目を凝らすと、ベッドの上にパソコンの輪郭が見えた。正確に言うとパソコン用の二十三インチモニタである。その手前にキーボード。外からの薄明かりの中にその姿を浮かび上がらせている。
パソコンが置いてあるのは隣の部屋だ。寝室にはパソコンは置いていない。自分は夢の続きを見ているのだと断定して、そのまま夢のパソコンが消えるのを待つ。
だが、パソコンは消えない。起き上がってもっと近くで見てみた。まだ消えない。思い切ってベッドの上でにじり寄り、手を伸ばした。手の先がパソコンに触れる寸前にパソコンは消えた。背後の和風障子の姿がきちんと目に映る。
実に珍しい。私はパソコンのお化けに遭遇したのだ。
何日か経って、また夜中に目が覚めた。またもやパソコンがベッドの上に来ている。手を伸ばす。また消えた。
そういうことが都合三回ほどあり、流石に考えた。怪異現象が続くとき、それには何等かの理由がある。だが、これは何を意味しているのだろうか?
パソコンは基本的に古くなると使い捨てしているので、恨まれる覚えは十分にある。だが、それで化けて出るぐらいならば、各家庭はパソコンお化け祭りになってしまう。
ではこれは何かの意味を示しているのか、とも考えた。その昔、若い修行僧の元に口の無い女の幽霊が現れたという話がある。それを年寄りの僧に相談すると、年寄りの僧は若い僧の行っていた写経を見て、こう指摘した。「如し」と写すべきところが、「女」と間違っている。この文字が口無し女となって警告に現れたのじゃ、と。
ではパソコンお化けはいったい何の警告なのか?
皆目わからない。
色々と考え、文献を漁っている内に、どうやら正解らしきものを思いついた。
日本では古来よりこの手の現象は頻発し、そのためにきちんとした名称までついている。となればあの言葉を言えば、この怪異は解決する。
そこで次のパソコンお化けの出現を待った。
ほどなく、その夜が訪れた。
目の前のパソコンお化けに向けて、例の言葉を発してみた。
「さては、うぬは、タヌキじゃな?」
パソコンは消えた。図星だったらしい。
これでこの話は終わりになるはずだった。
ところがしばらくタヌキが化かしに来ないので安心していたら、またある夜、目が覚めた。
今度は壁に大きな絵がかかっている。野原に満月の絵柄だ。月夜にタヌキ、まさにそれらしい絵だ。タヌキの姿はないが憎い演出をする。
苦笑した。
しばらく眺めていて、その絵の正体に気が付いた。これは絵じゃない。
天井の光景だった。野原の地平線は天井を通る梁がそう見えていたのであり、満月に見えたのは円形のシーリングライトの輪郭なのだ。だが、どうして天井の光景が壁にある? そもそもそこが壁だからこそ、天井だと気づかなかったのだから。
そう驚愕していると、ずるりと動いた。絵、つまり天井の光景が。上の方へずるずると動くと、本来あるべき位置へと収まった。後には普通の窓と普通の天井だけが残った。
なるほど、と感心した。よくタヌキやキツネに騙されて、一本道を堂々巡りさせられるという話があるが、あれはこうやるのだ。つまり人間の脳の中の位相感覚の混乱。なるほどこれをやられたら、一本道でも真っすぐには歩けない。
それにしてもタヌキの野郎。まだまだ私相手に遊びを仕掛けるつもりらしい。