ただ一人怪異銘板

ただ一人 歌

 密教をベースにした新興宗教を辞めたのはもう何十年も前。今でも時々お経だけは読む。教団は辞めても、密教徒であることは辞めていない。教義ではなく良心に従って、宗教ではなく信仰に従って、続けている。
 怪異から逃れるために、そして自分の心から脱却するために入門した。それ以上に、私は世尊(お釈迦さま)が好きだ。かの人の行いを尊敬している。ゆえに表向きはどこにも所属はしていないが、心の底は仏弟子でありたいと願っている。信仰とは本来こういう形が正しいとも思っている。
 集団になると人というものは判断力を失ってしまう。
 サイの角の如く一人して進め。世尊の教えだ。

 お線香を上げ、お経を上げ、無色の祈りを捧げる。
 ふと、電源を切っているエアコンが音を立て始めた。
 微かな、しわがれ声。
 最初は故障かと思った。古い古い室内機である。管理を行っている不動産会社が言を左右にして交換を拒んでいる代物である。
 しかし故障にしても、電源を入れていないエアコンが音を立てるのは奇妙な話だ。
 お経を読むのを中断して、エアコンの音に耳を傾ける。
 よく聞くと、これは歌だ。掠れた声なので歌詞はしかと聴き取れぬが、確かにこれは歌声だ。リズムがある。

 いったいどうやって?
 電波の混線で電子基板が暴走?
 だが、その場合は、電気的変動を音声に変換するメカニズム、つまりスピーカーが必要だ。ブザー鳴動用のスピーカーはあるがそもそも音声変換用のソフトが組み込まれていない。
 では超音波振動による共鳴はどうか? 送風板を二種類の共鳴周波数で振動させ、相互の唸り振動により、超音波自体を隠蔽したまま可聴域音を発生することができる。だが、その場合は高度な演算装置と大型の超音波スピーカーが必要だ。かかる費用も億の単位に上る。
 しばらく科学的な答えを考えて、それからこれはオカルト現象だと判断した。
 なにものかが、エアコンの送風口を生物の口に見立てて、歌っているのだ。

 そのまま一分間ほど静かに聞いていると、やがて歌は途切れ途切れになって消えた。
「仏の座を歌で乱すとは不敬な!」
 そう言ってから読経に戻った。
 しかしまあこれはもしかしたら、年取ったエアコンの御仏に対する背一杯の捧げものだったのかもしれない。

 それ以来二度とエアコンが歌うことはなかった。ろくでもない不動産屋が横領をやらかしてくれたお蔭で、新しい不動産屋に代わり、ついにこの二十五年物のエアコンは取り換えられることになった。
 もしかしたら今でも、どこかの廃材置き場で、一人孤独に歌い続けているのかもしれない。