曲がりなりにも占い師をやっていると、霊能力者の知り合いができるものらしい。
霊が見えるぞと公言する人が本当に霊視能力を持っているのかどうかの真偽は判らない。私の周りにはあまりこういうことを言う人がいないからである。
実際に霊視能力を持っている人間は、滅多にその事を人に漏らさない。漏らした先が生きた人間の場合は、たちまちお前馬鹿じゃない攻撃が始まるからだ。そして漏らした先が生きていない人間の場合は、俺の話を聞いてくれ攻撃が始まることになる。もちろん聞いてやらないと暴れられるのである。
「うるさくてたまらない。こっちは静かに生きたいだけなのに」
その人はそうこぼしていた。
だから見える力があることを悟られないように、変なものを見ても平常を保つようになる。妖物と目が合うなんて持っての他だ。だが相手もさるもの。ちょっと目を離した隙に正面に回りこまれ、視線を戻したときにはこちらの顔の前にあちらの顔がくっついている、ということもあったそうだ。そしてこう言われた。
「お前、俺が見えるだろう」
たまらないなあ。
私自身は霊感がゼロと書いて零感なので、何も見えないし何も聞こえない。だからそこまでひどくはないが、彼岸の存在に粘着される怖さは良く知っている。ヤクザに粘着されても警察に駆け込むという手が残されているが、あちらの世界には警察は無いからもっと厄介だ。それにヤクザは壁を通り抜けて来たりはしないし、天井の隅から涌いたりもしない。
こういったわけで不思議な力を持つ人たちは、ひたすらそれを隠して生きていることが多い。知り合って二年も経ってようやく、実はボク見える人なんです、と打ち明けられたこともある。
また、見える人たちの中にも、自分自身をもしかしたら本当は病気で今見ているのは幻覚かも知れないと苦しんでいる人もいる。
不思議な力は、「ギフト」ではなく、「呪い」なのだ。
ある会社の話だ。そこでは一日中何か壁を叩く音がしていた。ビルの中の『家鳴り』である。でも大した音ではないので、そこに務める人たちは誰も気にしなかった。きっとウォーターハンマーか何かだろうと結論されていた。
その会社の給湯室では女の子二人が話をしている。傍ではお湯が沸きかけている。お客様にお出しするお茶を入れているのだ。
「あれ、女の人だよねえ」一人がつぶやく。
「うん、女の人だよ。あそこに立って、ずうっと壁を叩いているよね」もう一人が返す。
どちらもお互い以外の誰にもそのことは話さない。噂が広まれば会社を辞めることになってしまいかねない。
心ない人々の中で、彼らはそんなふうにひっそりと生きている。