母が所属する支部に、地鎮祭の依頼が来た。
(一片たりとも勧めていないのに私の周囲の人たちも続々とこの教団に入会してしまった。勧めるならこの教主が馬の脚を持っていないことを確かめてからと考えていたのだが。おかげで今も罪悪感が残る)
この地鎮祭に初級の密教技法を習ったおばさん達が集団で参加した。
その他の密教系団体からは、素人に生半可な術を教えて、と批判されていた頃だ。
その懸念は正しかった。
地鎮祭が中ほどまで進んだ頃、参加者の一人が叫んだ。
「みーさんが憑いた! みーさんが憑いた!」
みーさんとは、「巳さん」のつもりだったらしい。つまりは蛇が憑いたと言いたかったのだろう。その人は地面に倒れるとくねくねと体を動かし地べたを這いずり回り始めた。
困ったものである。本当に憑いたのか、それとも憑いたと思い込んだだけなのかは判らない。正しく護身法がかかっていればそう簡単には取り憑かれないはずなので、まあ思い込みの方が正解だろう。もっとも護身法で一番大事な観想が正しくできていなければただのサル真似だからこれも形無しである。
生兵法はケガの元。そもそも地鎮祭などできるほどの修行を積んでいるわけでもなし、神主さんのように仕える神のご加護があるわけでもない。素人に毛が生えたような人間が手を出してよいものではないのだ。
地に纏わる因縁は奥が深いのだから。
地面でくねるおばさんを見て、周囲は大パニックになった。母を除く全員が、独鈷杵と呼ばれる武器を象った法具を出した。止める間もなく九字法と呼ばれる攻撃術を使い、地面で体をくねらせるおばさん目掛けてそれを切りだした。
もう無茶苦茶である。術理も理解していない素人に術のやり方だけ教えるとこうなるという見事な例である。困ったことに魔術というものは、素人がやってもそこそこの効き目があるのだ。ただし、素人が力任せにやると反動が凄い。
阿鼻叫喚のうちに地鎮祭は終わった。
母から電話がかかってきて、話を聞いた。オカルト関係は私の方が詳しい。
「で? 母さんはそれに加わったの?」
「あたしは見てただけ。あれに加わる気にはなれなかったし」
「正解。相手を見極めずに術を使っちゃ駄目だよ」
中国の古い怪異談にこんなものがある。
ある所に、蛇退治のお札を扱うのが上手い者がいた。元々は仙人になりたくて弟子入りして修行を積んでいたのだが、お前には仙根が無いとして山を追われた人だ。別れ際に師匠から蛇除けのお札を餞別にもらいそれで身を立てろと言われたのだ。
その者はそのお札を持って各地を巡り有名になった。だが数十年経つとその力も衰え始めた。お札が効かなくなったのである。
どんな術者も歳には勝てない。
そうなると今までひどい目にあって来た蛇たちが結託して復讐にかかった。刺客としてやってきたのは一匹の大蛇である。
その者は大蛇に追われ、村から村へと逃げ回ったが、ついに大蛇に追いつかれた。そして村人たちの見る前で喰われて死んだ。
蛇が憑いたというのが嘘ならば、九字法で切られた人間は霊体が切り裂かれ、さまざまな体の不調を発することになる。切った術者の力にもよるが、場合によっては死に至る。
蛇が憑いたというのが本当ならば、九字で切られた蛇は後で仕返しに来る可能性が残る。
物語の退治談は退治した時点で終わる。現実の退治談はその後が怖い。