むかしむかし・・・とは言いません。現在のとあるところに七匹の小羊の姉妹たちが住んでいました。
彼女たちは揃って独身だったので七匹が寄り集まって楽しく暮らしていました。彼女たちの名誉のために言っておきますが、彼女たちが独身だったのは姉妹の器量が悪かったせいではなく、近隣に結婚適齢期の雄羊たちがいなかったためです。
ある日のことです。森にキノコを取りに出かけた小羊のなかでももっとも若い一匹が、大きなカシの木の下にオオカミの赤ちゃんが捨てられているのを見つけました。
そう。オオカミの赤ちゃんです。小さいながらも尖った口の中には、真っ白で鋭い歯がずらりと並んでいます。その耳まで裂けた口はまるでニヤニヤ笑いを浮かべているかのようです。手は小さいながらも生意気に毛むくじゃらです。そしてまあその尻尾ときたら、クリスマスの晩にどこかの納屋に置き忘れてきたホウキのようです。
このオオカミの赤ちゃんがなぜ森に捨てられていたのかについては、森の物知り役のフクロウも知りませんでした。ただそのオオカミの親権を主張するものが、近くには誰もいなかったことだけは事実です。
おっと、一匹だけ。空を飛ぶハゲワシだけは、この赤ちゃんを目ざとく見つけて、親権を主張していました。もっとも、それが嘘であることは誰の目にも明らかでしたので、彼の主張は認められませんでした。
まだこの時点では、動物たちの法廷は毛のないおサルたちのものほど腐ってはいなかったのです。
報告を受けたオオカミ評議会は、この赤ちゃんオオカミの存在を正式に否定しました。もしそれを認めれば、誰かがこの子を引き取らなくてはいけなくなるからです。この獲物の少ないご時勢に、どこの誰が余分な扶養家族を欲しがるでしょうか?
その当時はひどい獲物不足で、オオカミたちのなかには、おサルの肉屋で買い物をして厳しい飢えをしのいでいるものもいたぐらいです。だから彼らのこの態度を責めるのは可哀想というものでしょう。それに所詮はオオカミです。そんな彼らにいったい何を期待しているのです?
まあそれはともかく、この赤ちゃんをみて困ったのは他の小羊たちです。心根の優しい小羊たちの姉妹は、このオオカミの赤ちゃんをどうしようかと悩む羽目になりました。
小羊会議が開かれました。
七番めの小羊は賢明にも最初から最後まで黙っていました。自分の意見は、赤ちゃんを拾ってきたという行為によって、十分に表わされていると考えたからでした。
そこで順番を抜かすようですが、六番めの小羊がいいました。
「もう一度、森に捨てよう」
とても冷たい意見です。でも考えてみてください。独身女性のもとに、いきなり天敵である種族の赤ちゃんが舞い降りたのです。彼女がこの事態を恐れたとしても不思議ではありません。
森のどこかでハゲワシがこの言葉を聞き(悪魔たちとの契約で彼は地獄耳となっていたのです)舌なめずりをしました。
五番めの小羊がいいました。
「皮を剥いで、冬用の暖かいスリッパを作ろう」
この意見を馬鹿にしてはいけません。彼女の作るスリッパは、それはそれはとても履き心地のよいスリッパなのですから。そのスリッパを巡って大国同士が戦争になりかけたこともあるぐらいです。でもそれはまた別のお話なので、ここではあえて触れません。
さて、もしこの案が実現すれば、確実に七足分のスリッパが売れずに在庫となってしまいます。小羊たちがスリッパの予備を買わないとすれば、の話ですけど。彼女の発言とともに、スリッパ製造会社の株が急落し投資家たちが慌てました。
四番めの小羊がいいました。
「オオカミ鍋にしよう」
おや。どこからかいい匂いが漂ってきましたね。寒い寒い冬の夜には、お鍋を食べて体を温めるのが一番です。ほらほら、ぐうとお腹がなりそうです。
もちろん、彼女の言葉に喜んだのは、何を隠そう納屋の奥でここしばらく出番がなかった鉄鍋です。鉄鍋は得意のダンスを踊って、自分の喜びを表現してみせました。
三番めの小羊がいいました。
「サーカスに売り飛ばそう」
サーカスの天幕の中で、火の輪くぐりに使う大きな輪と鞭が用意されました。厳しいトレーニングの日程表が組まれ、赤ちゃんオオカミが流すだろう涙を貯めるための大樽も用意されました。サーカス団の団長は、赤ちゃんオオカミの特訓にかかる費用のことを思って、深いため息をつきました。
なに、もしこの赤ちゃんオオカミがものにならないようでも、そのときはあらためて別のサーカスに売り飛ばせばすむことです。
二番めの小羊はもう少し良い案を出しました。
「オオカミの里親を見つけて、売り飛ばしましょう」
オオカミ評議会の面々はこの提案を聞かなかったことにしました。どうやらどの評議会のメンバーも、大事な耳を自分の家の暖炉の上に置き忘れてきてしまったようなのです。
少年少女人権擁護団体のメンバーが、急遽、小羊たちの家を見張ることになりました。純真な彼らには、どうしてもこのような狼身売買行為が許せなかったためです。
一番めの、そしてもっとも賢く、もっとも優しい小羊がいいました。
「わたしたちでこの子を育てましょう。素晴らしい愛と献身の心で、この子をオオカミから立ち直らせるのです。きっとこの子は素晴らしい羊に成長することでしょう」
青ざめ引きつった顔で小羊たちの会話を聞いていたオオカミの赤ちゃんは、これでやっと安心し、安らかな眠りにつくことができました。
遠く離れたおサルの群れのなかでは、遺伝子生物学者が大慌てで文献を調べ、果たして赤ちゃんオオカミが羊に育つことがあるのかどうかを調べていました。なぜならおサルの学者は、もっとも賢くもっとも優しい一番めの姉さん小羊の言葉の中に、深い真実を語る者だけが持ちえる、強い確信の響きを感じ取っていたからです。
ああ、何と心温まるお話でしょう。そして何と奇異なお話なのでしょう。
赤ちゃんオオカミを小羊たちが育てるだなんて。まさに童話の世界の中でしか有り得ないお話。
そう、これは夢物語なのです。
優しさと、愛と、希望に包まれた甘い甘いシュークリームのようなお話なのです。
しかし、このお話を読んでいるあなたが想像している通りに、物語の真の恐ろしさはここから始まるのです。
七匹の小羊たちの愛に恵まれて、オオカミの赤ちゃんはすくすくと育ちました。そしてなに不自由ない生活のなかで、オオカミの少年(すでに赤ちゃんではありませんでした)はのびのびと成長しました。
お裁縫や礼儀、それにラテン語や素粒子物理学の理論まで、小羊たちはあらゆる技術や知識をオオカミの少年に教えました。たった一つの事柄を除くすべてを、惜しむことなく教えたのです。
小羊たちは平和を愛し、静けさを愛していました。家のまわりにはお花畑が広がり、ここを訪れるすべての動物が心和むようにと、それはそれは見事に手入れされていました。そして小羊姉妹たちは誰もがお互いに優しく、誰もがお互いに敬意を抱いていました。
いえ、これが小羊たちのすべてだとは申しません。でも新たに出現したオオカミの赤ちゃんという存在が、小羊たちのよい面を引き出していたことは間違いありません。成長する新たな命に対する配慮が、小羊たちの平和主義に磨きをかけていたのです。
すでに小羊たちは小羊であるだけではなく、オオカミの赤ちゃんを引き受けたことにより、母さん小羊へと変わっていたのです。独身時代の無責任さはすっかりと影をひそめ、どの母さん小羊も、このオオカミの子供を正しく育てねばとの、強い正義感と責任感に満ちていたのです。
これこそが地上に出現した楽園と言えるでしょう。しかしどのような楽園にも、悪をたくらむ蛇という存在が潜むものなのです。
今回のその蛇は、オオカミ少年の体の中に潜んでいたのでした。
時とともに、抑えきれない衝動がオオカミ少年の体のなかで、大きく大きく膨らんできたのです。それは少年の成長の証しでもありましたが、避けることのできない悲劇のはじまりでもありました。
オオカミ少年の成長につれて、前よりもさらに大きく広がった口の中は、それはそれは鋭い歯で一杯でした。
赤ちゃんのときでさえも、大きすぎた口です。
赤ちゃんのときでさえも、鋭すぎた歯です。
それがいまや、前よりももっと、オオカミらしさを表に出してきていたのです。
その口と歯の持ち主であるオオカミ少年はと言えば、歯の根元がいつもいつもムズムズしていました。最初の頃はそれでも我慢できたのですが、やがてムズムズがひどくなると、ついには限界に達してしまいました。
小羊のお母さんたちが出してくれる食事は、どうしても噛みごたえがありません。オートミールと野草のおひたし、それに猫じゃらし草のスープといった内容です。
オオカミ少年は歯ごたえのある肉とそれからしたたり落ちる血が大好物でしたが、そんな食事は小羊のお母さんたちは滅多に出してくれませんでした。オオカミ少年の身体がそんなたぐいの栄養を必要としたときだけ、それもほんのわずかだけ、出してくれるような具合でした。
栄養管理士の資格を持っている長女小羊の厳密な栄養計算の下、驚くべき正確さで計ったお肉が少しだけお皿の上に載り、それが食べられるお肉のすべてでした。オオカミ少年がお肉を食べている間は、小羊たちは別室に籠ってそれを見ないようにしていたので、オオカミ少年が皿に残ったわずかな血さえ執拗に舐めとっていたことには思いもいたりませんでした。
毎夜毎夜オオカミ少年は夢を見るようになりました。それは森の片隅で母さん羊たちに隠れて骨を齧っている自分の姿でした。草原を思いっきり走って、逃げ惑うウサギの紳士の首に噛みつき、顎の中で血と肉が弾ける感触を味わう。そんな夢まで見てしまいました。
それは満月の晩が巡ってくるたびにひどくなり、ついには羊を襲っている自分の姿まで夢で見てしまうようになってしまいました。そうです。羊です。丸々と太った羊。その顔はお母さん羊たちの顔でした。
少年の体の奥のどこかで、オオカミの血そのものが騒ぐようになったのです。その血は次のように言っていました。
もっと噛みたい。もっと食べたい。そして、殺したい、と。
さあお話はだんだんと暗く、寒い方向へと向かっています。まるで冬のある夜に、星空からそっと吹きつけてきた寒気が、逃げようもない冷たさで骨の奥底をきしませているかのようです。
しかしあなたがたはまだ知らないのです。
真の恐怖がどこに潜んでいるのかを。
それはあるとても寒い冬の日の朝でした。いつものように冷たい川に水汲みに行こうと、七番めのそしてもっとも若い母さん小羊が、オオカミ少年を呼びに来たときのことです。オオカミ少年は眠いところを無理に起されて、寒い寒い戸外へ出るように要求されたことに、それはそれはひどく腹を立てました。
「どうして僕を放っておいてくれないんだ。僕はこの暖かい寝床が好きなんだよ」
オオカミ少年は抗議しました。それを聞いて、七番めの小羊はオオカミ少年に言い聞かせました。
「これは誰かがやらなくちゃいけないことなのよ。それだからこそ、あたしたちがやらなくちゃいけないの」
「うるさい。そんなもの、お前がひとりでやればいいだろう!」
オオカミ少年はとても機嫌が悪かったので、そう言うなり、寝床から飛び起きて七番めの小羊にとびかかると、その手を噛みました。
ああ、それはそれは、とても強く噛んだのです。
手に開いた小さな穴の列から血が吹き出したのをみて、恐怖と痛みのあまりに七番めの小羊は悲鳴をあげました。他の小羊たちが集まってきて、傷ついた小羊の怪我を慌てて手当すると、みんなでよってたかってオオカミ少年をこっぴどく叱りました。
オオカミ少年はどうしたかって?
どうもしませんでしたよ。彼は七番めの母さん小羊に謝りもしなかったのです。ベッドに戻って耳の上まで毛布を引き上げて、その下にずっと隠れていたのでした。実をいえば、周囲でわめきたてる他の母さん小羊の声も聞こえてはいなかったのです。
どうしてですって?
自分の口のなか一杯に広がった羊の血の味を楽しむのに、彼は精一杯だったからです。
つぎの犠牲者が出たのは、一週間ほど経ってからでした。
六番めの母さん小羊が森に薪をとりにいこうと、オオカミ少年を誘いました。
「僕はいやだよ。こんなに寒い日に森に行くなんて冗談じゃない」
それを聞いて、険しい顔をして六番めの小羊はいいました。
「だれも行きたがらないからこそ、私たちが行かねばならないのよ」
「僕は嫌だって言っているんだ!」
オオカミ少年は吠えました。そして今度は半分ほど確信犯として、六番めの小羊の腕に噛みついたのです。
悲鳴が上がり、一週間前と同じ光景が繰返されました。
母さん小羊たちには、彼女たちの可愛い子供がいったいどうなってしまったのか、まったくわかりませんでした。このようなことはいままでになかったからです。血の味に恍惚となっているオオカミ少年の周囲を、ただおろおろとして歩きまわるばかりです。
そうこうしているうちにまた一週間が過ぎ、オオカミ少年はふたたび血をすすりたいと思うようになりました。オオカミとしての衝動が、体の奥底ではなく、その皮の下一枚のところにまで、膨らんできていたのです。
六番めと七番めの小羊は彼を怖れて近寄らなくなっていたので、彼は五番めの小羊を狙うことにしたのです。こんな事態になってもまだ、彼は上のほうの順位の母さん小羊たちを怖れていたのです。
彼は五番めの小羊が炊事をしている台所に行き、周囲に他の小羊がいないことを確かめてから、こう言いました。
「ねえ、五番めの母さん。なにかお手伝いすることない?」
脅えた目でちらりとオオカミ少年を見てから、五番めの小羊は言いました。
「いまのところなにもないわ。いいから向こうで遊んでらっしゃい」
オオカミ少年の期待した答えが返ってきました。実を言えばこのために、五番めの小羊の仕事が終わるのを、オオカミ少年は見えない片隅でじっと待っていたのです。
「僕が手伝ってやると言っているのに、その態度はいったいなんだ!」
オオカミ少年は叫ぶと、五番めの小羊の足に噛みつきました。
悲鳴が上がり、見たくもないあの光景がまたもやくり返されました。
その夜、オオカミ少年が眠りについたあと、母さん小羊たちは家の広間に集まり、家族会議を開きました。
まず最初に七番めの小羊が発言しました。
「あの子はオオカミの血に目覚めてしまったようよ」
続いて六番めの小羊です。まだ痛むらしい腕の傷跡をなでながらの発言です。
「こんなことをする子じゃなかったのに」
できたばかりの足の傷の痛みに顔をしかめながら、五番めの小羊がいいました。
「こうなれば、いままであの子には隠していた、『最後の真実』を教えなくてはいけないわ」
この発言を聞いて、小羊一同に動揺のさざ波が広がりました。最後の真実。彼女たちは、それがどれほど恐ろしいものかを知っていたためです。
四番めの小羊が慌てていいました。
「それはまだあの子には早いと思うわ」
三番めの小羊もいいました。
「そうよ。一度それを知れば、忘れたくても忘れることはできなくなるのよ」
二番めの小羊が続けました。
「少なくとも、あの子の心の安らぎはなくなってしまうでしょう」
最後に、もっとも賢くもっとも狡猾な、一番上の母さん小羊が言いました。
「では多数決を取りましょう。あの子に最後の真実を教えることに賛成のものは、手を上げなさい」
結果は三対四で、最後の真実はいましばらく封印されることになりました。母さん小羊たちは現状維持を選んだのです。
さてここで、お話をおわりにしても、わたしはちっとも構わないのです。この話はそれなりに教訓を含んでいるし、これ以上さきに進んでも、恐怖はさらに深まるばかりなのですから。
しかしそれでもあなたは思うのでしょうね。とくに秋の長い夜などに、暖かい布団に包まれたまどろみの中で、最後の真実とはいったい何なのか、とね。
ですから、わたしはお話を続けましょう。あなたの好奇心を満たす、ただそのために。
でも先に言っておきますからね。最後の真実を知ってしまえば、あなたにも、魂の安らぎはなくなるのだということを。
猫は九つの命を持つと、人は良くそういいますが、好奇心はその猫さえも、しばしば殺してしまうものなのです。