会社をクビになってしまった。
あれ以来、全身にお守りをぶら下げて出社するようになったのだから当然と言えば当然だ。
自分でもこれでは動くお守りタワーだなとは思うし、近所の人の目ももう完全に可哀そうな人を見る目つきだ。
仕方ないだろう。あれ以来、何ものかの悪意は強まっている。
足を出した拍子に足に結び付けたお守りの一つがマンホールの蓋に触れるとそれが消える。つまりはこれはマンホールの幽霊であのまま知らずに前に進んでいたらマンホールの穴に墜落していただろう。お守り無しでは危なくて生活できない。
かと言って全身にお守りをぶら下げた危ない男を雇う人間などいるはずがない。これでは仕事につけないし、どうしようかと考えた末に俺は決心した。
お祓い師に弟子入りするのだ。
今や残り少なくなった友人の伝手を辿り、山奥で修験している腕の良いお祓い師がいることを知り、俺は彼を訪れた。
深い山も何のその、行く手を阻む毒蛇や大熊も何のその、崖を登り谷を越えキャンパーをその異様な姿で驚かしながら、やっとそのお祓い師の下にたどり着いた。
早速に入門を願い出る。驚いたことに渋られることもなくあっさりと弟子にしてくれた。俺の修行は厳しいぞとの言葉の後に、死ぬほど厳しい修行が続いた。
朝は山々を駆け巡り、昼は七つの滝で打たれまくり、夜は祓いの呪を覚えさせられ、寝るときは簀巻きにされて竹の棒で叩かれた。最後の修行が何のためのものかは俺も知らん。もしかしたらお師匠さまの趣味かもしれん。
そうこうしている内に一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎた。俺の体は鍛えられ、俺の精神は研ぎ澄まされた。それを見てお師匠さまは俺に最後の秘術を授けることにした。
本来ならば一子相伝。お師匠さまには子はいなかったので、今まで誰にも伝えたことのない祓いの秘術だ。
今度はそればかりひたすら鍛えさせられた。気を整え、印を切り、呪を唱え、術を放つ。何も起きない。そこでお師匠さまの拳骨が飛ぶ。殴られたくなければ早く秘術を使えるようになれ。そうすればもう殴られないのだぞ。そう言われた。
お師匠さまの目には涙が光っていたので、俺は恨むのを止めた。
その日は何かが違った。心の中にできるとの確信が沸いた。お師匠さまがにらむ前で、気を整え、印を切り、呪を唱え、術を放つ。光が沸き起こり俺の周囲を洗った。
「見事ぞ。ついにわしの秘術、超越広域浄化を会得しおったな!」
お師匠さまが初めて褒めてくれた。ひどいネーミングセンスだが、責める気は起きなかった。お師匠様の言葉と共にお師匠さま自身の体が透け始める。
「これでわしもやっと行ける。この一子相伝の術もわしの代で途絶えるかと思うと、どうしてもこのまま消え去るわけには行かなかったのじゃ」
「お師匠さま!」俺は手を伸ばしたが、何もできなかった。
「其方はこれより街に降り、その術を使うがよい。其方に科せられた使命を果たすがよい。ワシは向こうで其方のことを見守っておるぞよ」
その言葉を最後に師匠は消えた。
もはや恐れるものは何もない。この術を使えば、広い広い範囲がすべて浄化され、幽霊に惑わされることもなくなる。やっと普通の日常が俺に戻ってくるのだ。
俺は山越え谷越え川を越え、獣道をズンドラドッコズンドラドッコと歩きぬき、ようやくのことに懐かしの街へとたどり着いた。
街は華やかな装いの人々と話し声で溢れていた。数年ぶりの賑やかで文明的な暮らしを見て頭がくらくらした。帰ってきたのだ。ついに。俺の居るべき世界に。
さてこれから何をしよう。まずは久方ぶりのきちんと料理した旨い飯に熱い風呂、できれば美女を侍らせて酒を飲もうじゃないか。途中で読み止めたままになっていた漫画はどうなったかな。幸い山に入る前の貯金はそのままのはずだから、しばらくはのんびりと人生を楽しめるはずだ。
とそこで俺は気が付いた。いけない、いけない、まずはあれをやっておかないと、またもや幽霊たちに虚仮にされてしまう。
気を整え、印を切り、呪を唱え、術を放つ。強烈な光が沸き起こり周囲に広がる。
まず手近のビルから消え始めた。たった今まで笑いながら話していた人々が儚くも消え、車が消え、信号機が消え、アスファルトの道路が消えた。街路樹もその上で囀っていた小鳥たちも消えた。青い空も消え、代わりに褐色の暗雲に覆われた。
戦争で廃墟になった街の中に、俺はただ一人立っていた。