ラング&ファガス:狼の指輪銘板

15)決着

 ふたたび、法廷に全員は集まっていた。魔術師ギルドの三巨頭。光のコリント、闇のスボーク、そして黄昏のアージャン。
 黄昏のアージャンだけはあいもかわらず、顔をベールで覆ったままだ。魔術師ギルドの構成の要である黄昏派の長は、常に正体不明の人物として通っている。黄昏の勢力は決して大きいものではなく、それ自体では決して独立できないようになっている。そんな状況の中では、正体を隠すことが暗殺を防ぐもっともよい手段なのだ。
 ラングとファガスは、だいぶくたびれてきているソファーの上に座って、裁判の成り行きを見守っていた。ソファーの魔法はすでに解除されている。ファガスがその上に粗相をしなくてよかったと、ラングは心の中でひそかに感謝した。
 今回、壇上に立っているのは、ザニンガムではなく、エストリッジ教授である。
「さて、ここにお集まりの皆様がた。同じ進行を繰り返して退屈させるつもりはありません」
 まるで見世物の口上を述べているかのように、快活な口調でエストリッジ教授は言った。
「すでに多くの証拠が提出されているようですので、ここで少しばかり不足している部分を補わせていただきましょう」
 エストリッジ教授は数枚の報告書を提出した。
「問題のもっとも重要な部分は、これだけの大規模な魔力消失現象を引き起こしたのは、調査委員のザニンガム氏が報告しているような魔神召喚などではなく、フェンリル狼であるということです。
 それ自体が純粋な魔力で構成されている召喚魔神が、自分自身を破壊する結果に終わる魔力消失を引き起こすはずもないのは、論理の当然の帰結というものです。
 さて、これをご覧ください」
 エストリッジ教授は一枚の絵を提示した。魔法により、目で見た光景をそのまま紙の上に映しこんだものだ。金色に輝く月がそこに映っていた。
「世界各地にばらまかれた金の指輪は、フェンリル教徒の供物の中に含まれていたもので、それがフェンリル狼の体内で増殖したものだと、わたしは結論いたしました。
 そうフェンリル狼です。
 新しく発掘された魔法遺跡の記録によると、フェンリル教徒の教義は、一部は正しく、一部は間違っていたようです。伝説のフェンリル狼は実在し、あの月のなかに封印されています。活動はほぼ停止状態ですが、ある条件が整うと動き始めるのです」
 新しい資料が提出された。その内容にさっと目を通すと、三人の裁判官は視線をエストリッジ教授に戻した。
 最高に難しい魔法理論と専門用語を絡めて、できる限り曖昧な言葉で組み上げた報告書だ。軽く目を通しただけで理解できる代物ではない。エストリッジ教授は心の中で、ぺろりと舌を出してみせた。魔術師ギルドを支配しているということは、換言すれば、魔法技術に関しては無知に近いレベルにまで思考力が落ちているということだ。権力は人を愚かにする。
「さて、ここで注意して欲しいのは、事件の起こる直前にフェンリル教徒は月に向けて供物を打ち上げているということです。この打ち上げ用の魔法の箱は、ファガスが彼らの依頼を受けて作り上げたものです」
「ではファガスが事件の犯人じゃないか!」ザニンガムは叫んだ。
「静粛に。まだ事実の提出は終わっていません」エストリッジ教授は鋭い口調で言った。
「フェンリル狼は彼らの供物に反応した。それがどのような条件かはまだ不明ですが、金の指輪を複製してしまったところを見ると、これが彼、あるいは彼女の好物なのかもしれません。フェンリル狼の特性についてはあまりにもわからないことが多いのです。
 調査によると、ラングとファガスはフェンリル教徒がやっていることの危険性に気づき、これを止めようとしている。これが調査員の証言および近隣の住人の証言の部分です」
 それから、エストリッジ教授は壇上を歩き回ってみせた。十分に注目が集まったと見ると、次の説明に移る。
「さて、事件を正しく再構成してみましょう。ファガスはフェンリル教徒から魔法の小箱の作成を依頼された。彼らの教義によると、月に封印されていると言われるフェンリル狼に供物を捧げるためです。ファガスはそれを心よく引き受けた。これは商売です。単なる商売。フェンリル狼が月にいることを理屈では知っていたが、それだけです。実際の危険性については誰も知らなかった。世界がいつかラグナロクの時を迎え、滅ぶことは赤子でさえも知っている。しかしそのことを本物の危険として扱う人はいない。これと同じことです」
 少しだけ言葉を切って、それから付け加えた。
「フェンリル狼が実際に危険であったということについては、失礼ながら、この法廷に並んでおられるギルドの幹部の方々でも、知ってはおられなかったでしょう」
 エストリッジ教授は法廷の二階に並んでいる魔術師たちを見回した。これについては誰も否定しない。そもそも、この法廷の二階に並んでいる魔術師たちは、暴漢から法廷を守るのが目的であり、発言権を持っていないのだ。
 それにたとえ発言権を持っていても、教授の言葉を否定したりすれば、そのことについて大勢の前で議論することになりかねない。学問の鬼として名高いエストリッジ教授と、魔法理論およびその検証について、議論するだけの勇気は誰も持ち合わせてはいなかった。
 エストリッジ教授は裁判官席を見ることはしない。幹部という言葉の範囲にギルド長を含めないためだ。自分が愚かだと言われれば人は意固地になる。それは避けたかった。
 全員が沈黙した中で、絶妙のタイミングでエストリッジ教授は話を再開した。
「やがて、ラングとファガスは、フェンリル狼を刺激することの危険に気づく。純粋に、論理だけで。大変だ。なんとしてもフェンリル教徒の打ち上げを阻止しなくてはならない。そこでラングが大あわてで作り上げたのがこの魔法です」
 エストリッジ教授は、魔法の術式を回りくどいやり方で書き上げた紙を広げてみせた。これでも立派な魔術方程式だ。紙の上で魔法が発動しないように、ところどころ重要な部分が空白になっている。
「これは遠距離にある対象に対して、照準をつけるためのものです。このような精密照準魔法に見られるものとして、出力の部分から入力の部分に情報を戻すための、特徴ある構造が見て取れます。ザニンガム氏の報告書にあったような、魔神召喚のためのものではないのです」
 エストリッジ教授は素早く、紙を巻き戻すと、すぐそばに立てかけた。詳しく見られてはまずいのだ。照準をつけるだけならば、対象の検索を行う術式部がこれほど巨大である必要はないことに、誰かが気づく恐れがある。
「さて、ラングはこの魔法により、フェンリル教徒の居場所を知ると、攻撃用の魔法を発動しました。一般には光の鷹と呼ばれる魔法で、狙った場所に飛び、爆発を引き起こします」
 光の鷹の射程は長い。だが自動追尾機能が組みこまれているので、通常は照準魔法を使う必要はない。だがしかし、事件のときの供物箱とラングとの間の距離を知っているのはザニンガムだけであった。
 エストリッジ教授は、ザニンガムの方に向き直った。その奇妙にきらきらと光る瞳がザニンガムの注意を惹きつける。何か重要なことに気づきかけていたザニンガムの思考が中断された。
 大成功。だが、これだけでは十分ではない。エストリッジ教授は、ザニンガムの目を見ながら、次の言葉を編み出した。
「ここで誤解のないように言っておきますが、ラングは決して見た目ほどにも暴力的な男ではありません。フェンリル教徒を傷つけないように、供物が打ち上げられた後に、光の鷹を打ち出しています。空中で迎撃することにより、被害を最小限度に抑えるためです」
「そいつはおれの顔を殴ったんだぞ」思わずザニンガムは口を挟んだ。
 変だ。おれは何を言おうとしていたんだろう?
 ザニンガムは奇妙な感覚を覚えた。いや、しかし、これも重要な論点だ。ラングはこのおれに暴力を振るったのだ。そうだ、このおれにだ。この問題は見過ごすことはできない。
 エストリッジ教授は頷いた。ザニンガムの顔に浮かんだ勝利の笑みは、教授の次の言葉を聞いた段階で、もろくも消え去った。
「状況を見ると、正当防衛です。きみはラングを撃ち殺そうとしていた。運よく魔法が消失していなかったら、その時点でラングは死んでいたでしょう。自分の命が危ないときに抵抗もしない人間というものを想像できるでしょうか? ましてやそれが冤罪だったとすれば?」
 冤罪、という部分に強い強調をおいて、エストリッジ教授は言った。
「さて、話を戻しましょう。こうして光の鷹は打ち出され、フェンリル教徒の供物は消滅し、あの忌まわしい事件は起こらないはずであった。ある一つの介入が起きなければ」
 エストリッジ教授は、ふたたびザニンガムのほうに向き直った。
「そう、ある一つの介入です。お節介で、考えなしで、偏見に満ちた、一つの行為です。
 すなわち、調査委員のザニンガムはその理由も知らずに、供物を迎撃するはずだった光の鷹を撃ち落としたのです。おまけにそのあとラングとファガスを拘束し、さらには何も知らない善良な一般人である執事まで脅して、あの忌まわしい事件が起こるまで彼らの動きを封じてしまったのです」
 絶句するザニンガム。エストリッジ教授は露骨に嫌な顔をすると、彼から目をそらして、裁判官席に向き直った。
「しかし、彼を責めるのは間違いです。彼の呼び名を知っていますね?
 厳正なるザニンガム。そう、その通りです。彼は己の職務に忠実に従っただけなのです。魔神召喚とフェンリル狼を取り違えていたにしろ。
 わたしは大学教授として、様々な生徒たちを教えているのでよくわかります。誰もが問題の核心を素早く理解するなどとは、決して、そう、決して期待してはいけないことなのです」
 エストリッジ教授は自分の灰色の顎鬚に手を当てると、またもや壇上をゆっくりと歩き回った。その動きにつれて、全員の視線が集まる。ザニンガムは押し黙ったままだ。ここで下手に抗議すれば、またもや、彼の上に議論が降り懸かってくる。
 十分に注意が集まったところで、エストリッジ教授は足を止め、口を開いた。
「さて、フェンリル狼の性質について確実に言えることが一つあります。フェンリル狼はあらゆるものを呑みこむ魔法の力を持っているということです。月でも、太陽でも、神々でも、あるいは大地、そう、そして魔力という目には見えないものまでも。
 そう考えると、事件の概要は見えて来ます。今回の魔力消失事件はフェンリル狼の力が引き起こしたものなのでしょう。
 さて、ここで当然の疑問が生じます。今まで、このような事件はどうして起きていなかったのか?
 理由は簡単です。実際に月まで届く魔法の箱を作り上げた魔術師がいなかったというのがその原因です。地域的な信仰集団が集められる資金で、それほどの魔法性能を持った箱を作ることができる魔術師は存在しなかった。
 そう。ファガスがそれを実現してしまうまでは。
 果たしてここにいるみなさんは、ファガスがその技能を最大限に発揮したということを責めることができるでしょうか?
 顧客の願いを忠実に実現した。
 その事実を元に彼を事件の原因と見なすことができるでしょうか?」
 芝居がかった身振りで、エストリッジ教授はトランス審判師に近づいた。
「さて」大声に切り替えた。
「わたしの推論だけでは、みなさまがたも疑念に思われるにちがいない。証拠が必要です。ここで少しばかりトランス審判師に質問をしてみようと思います」
 椅子に横たわった老婆の横で、侍女のニーナは小声で抗議した。
「お願いです。お師匠さまの具合があまり良くないんです。無理な質問はなさらないでください」
「心配しなくてもいいんだよ。お嬢さん。トランス審判師については、わたしはよく知っているのだから。決して彼女の負担にはならないようにする」
 エストリッジ教授はささやくと、侍女のニーナに微笑んでみせた。それからまた大声に切り替えた。
「これから被告二人の事件に対する関与について調べてみましょう。ラングとファガスがこの事件を引き起こしたとみなさんは考えています。しかしそれは本当でしょうか?
 フェンリル狼の性質からして、この種の事件は自然発生的に起こるのです」
 エストリッジ教授は、一瞬だけ言葉を切る。持ち上げた手をゆっくりと回し、人々の視線をトランス状態の審判師に集める。
「では質問です。二人がいなければフェンリル狼は決して目覚めはしなかったのか?」
 老婆の口が動いた。
「いいや」
「お聞きになりましたか、皆さん?」エストリッジ教授はぐるりと周囲を見渡した。
「彼らがいなくても事件は起きたのです。ということは二人は事件に関ったが、主因ではないのです」
 トランス審判師の老婆は何かを言おうとしたが、自分に向けられた質問ではなかったので、それ以上は反応しなかった。
「続けましょう」エストリッジ教授は振り返った。
「次はまだ仮想上の存在であるフェンリル狼についての疑惑を解消します。さて、今回の魔力消失事件には、フェンリル狼の力が大きく関っているのですか?」
 トランス審判師は答えた。
「イエス」
「結構。ではフェンリル狼は魔力そのものを食うことができるのか?」
「食うことができる」トランス審判師の口から洩れたのは、今度は若い女の声だ。
 エストリッジ教授は大袈裟な身振りで手を上げた。
「この二点の質問により、わたしの推論は証明されたものと考えます。フェンリル狼こそが今回の事件の犯人であり、与えられた刺激に反応して、大規模な魔力を食ってみせたのです」
 ザニンガムはようやく我に返った。いま目の前で何が行われているのか、ようやく理解したのだ。このエストリッジ教授という男は、ラングとファガスを事件の核心ではなく、あくまでも脇役だと主張しているのだ。
 つい一時間前には、彼らの処刑は確実だったのに、その機会は、いま、ここで、永久に失われようとしている。
 阻止せねば。ザニンガムの意識を支配したのはそれだけであった。
「異議あり」知らぬ間に手が上がっていた。「指輪はファガスが作ったものであることは証明されており、それは勝手に増える魔法の指輪なのです。ファガスがこの事件に関与していないとはとても信じられない」
 そこまで言ってから、ザニンガムははっとした。エストリッジ教授が彼のほうをじっと見つめていたのだ。その瞳を見ているうちに、何か、そう、おそろしく冷たい何かが、ザニンガムの背中を駆け下った。それが恐怖の感覚だと知った瞬間、頭の奥がじんとしびれた。
 死を目前とした獣だけが知り得る真実の感覚。ザニンガムは直感した。自分の目の前にいるこの教授と呼ばれる男は、それだけの存在ではないことを。
 いったいいつ、椅子に腰掛けてしまったのか、ザニンガムの記憶にはなかった。一瞬で、エストリッジ教授は彼の力を奪ってしまったのだ。しかもそのことは、ここに居合わせる誰にも気づかれてはいない。
 エストリッジ教授の視線が、彼から外れた。手元の資料を確認する。
「ああ、これですか」エストリッジ教授は笑ってみせた。
「推定年齢七歳の女の子の曖昧な証言。ふむ。大のおとな二人を処刑するのには、これで十分だと主張するのですな? ザニンガム調査委員?」
 そう言いながらも、証拠品の中から金の指輪を抜き出してみせた。柔らかな純金の指輪は、高空から落下した衝撃で半ば潰れてしまっている。
「しかし、勇気ある主張をただ笑い飛ばしたのでは、それは公正なる裁判精神に対する冒涜というものでしょう」
 エストリッジ教授は金の指輪をトランス状態にある老婆に差し出した。
「質問です。この指輪には魔法は宿っているのでしょうか?」
 老婆の口が開き、言葉が飛び出た。大きなカエルが喋っているような声だ。
「ない」
「ということです」エストリッジ教授は指輪を証拠品の中に戻した。
「いまはね」背後でもぐもぐと小さく老婆がつぶやいたが、誰も聞き取れなかった。
「この指輪にいかなる魔法の力もこもっていないことは、魔術師調査局の調査報告書にも記述されています。これはあくまでも念のためです」
 エストリッジ教授はファガスのところに歩いた。
「さて、ファガス、教えてくれるかな?
 何ムーンか前に、きみの家の近くに住んでいるパットという名の少女に、きみが何をみせたのか」
「あの、その」ファガスはもごもごとつぶやいた。
 ポケットに入っているのは、あの完全金属球だ。それはファガスの反応の一切を無難なものに変えてしまう。魔法の視覚でも、ファガスのつく嘘は見抜けない。
「実は副業で手品の道具を作っていたので。箱の蓋を閉めて開けると、中の指輪が増えるという」
 法廷の中が静かになった。
 コホンと一つ咳をすると、エストリッジ教授は軽く肩をすくめてみせた。
「小さな子供の曖昧な証言でもこぼさずに拾うということは、調査を進める上ではとても大事なことです。魔術師調査局が凄腕の調査員を雇っていることは評価するべきでしょう。
 さて、触れたくはなかったのですが、最後の質問に移りましょう。ニーナ。エルナ師はまだ大丈夫かね?」
「後、二つか三つだけにして下さい」侍女のニーナは答えた。
「わかった。では質問します。ラングがフェンリル教徒の供物を止めようとしたとき、調査委員のザニンガムはそれを妨害したのか?」
「した」限りなく暗い声が、答えた。
「ザニンガムが関与しなければ、今回の魔力消失事件は起きなかった?」
「そうだ」別の人間の声が、老婆の口を割って表われる。
 ザニンガムが椅子から立ち上がった。その首筋に冷たい金属の棒が押し当てられる。いつのまにか近寄って来ていた男たちが、ザニンガムに武器を向けているのだ。
「お前たち」ザニンガムはうめいた。
「お静かに。審議中です」
 つい先程までザニンガムの手足となって動いていた男たちの一人が言った。その視線が裁判官席のギルド長たちに向けられる。光のコリントは小さく頷いて、男たちの行動を承認した。
「最後の質問です」エストリッジ教授は居住まいを正した。「これほどの愚かで無責任な行動にも関らず、ザニンガムには世界を破滅させようという意図はなかった?」
「なかった」老婆が最期の言葉を口にした。
 それを合図に、侍女のニーナはトランスを解く薬物を口に流しこむ。咳こみながら老婆は体を起こした。ニーナがその弱った体を支える。
「さて、これで真実ははっきりしたものと思われます」
 エストリッジ教授はふたたび壇上に戻った。
「ラングとファガスは加害者ではなく、むしろ被害者なのです。フェンリル教徒の供物騒動に巻きこまれたというのがその真相です。たしかにファガスは供物箱を作りましたが、その結果については誰も予想できなかったことは明らかです。これをもし責めるのならば、顧客の要望に応じて製品を作るすべての魔術師を有罪としなくてはなりません。いや、人を殺すための炎の指輪を作る魔術師よりも、ファガスはまだ無垢そのものなのです。
 これでもまだ、彼らを死刑にするべきなのでしょうか」
 エストリッジ教授はゆっくりと周囲を見回した。
 ギルドの長たち。ラングとファガス。捜査員たち。目を覚ましたトランス審判師。そして、ザニンガム。そこで教授の視線は止まった。
「たしかにザニンガム調査委員の捜査にかける熱情は素晴らしいものですが、それは往々にして誤った方向に向かっています。今回の彼の暴走は、世界を崩壊へと導き、その原因として無実のギルド員二人を死刑に送りこみかけるというものでした。しかし、彼の行為そのものは間違っていたとしても、彼自身には罪はないのです。これは不幸な事故でした。ラングとファガスが無実なのと同様に、彼のミスにも十分寛大な処置が取られるべきであると進言いたします」

 エストリッジ教授が証明してみせた事件の様相は、まさに衝撃そのものであった。
 三人のギルド長。光のコリント、闇のスボーク、黄昏のアージャンは、しばらくの間、ひそひそと相談していた。
 ファガスは耳をそばだてた。地獄耳だが、聞き取れるのはわずかだ。
「なんてことだ」と闇のスボーク。「王国はわれわれを疑っているんだぞ。調査局の人間が今回の騒動を引き起こしたとわかれば大変なことになる」
「ではわたしたちがやらなくてはいけないのは、あの二人に加えてザニンガムも死刑にしなくてはならないということですね」光のコリントが言った。
 それに割って入ったのは黄昏のアージャンだ。
「駄目だ。そんなことをしたら、目を皿のようにして我々を見張っている王国の連中に、魔術師ギルドが今回の事件の主役であるとの疑惑を持たせるだけだぞ」
「じゃあ、どうしろと言うんです」光のコリントは小さく叫んだ。
「わからないのか? 教授の証明こそ、こちらにとっては好都合だと」アージャンは指摘した。「つまり今回の事件は、我々ではなく、フェンリル教徒たちが勝手に引き起こしたものなのだ。よく考えてみろ。魔術師ギルドは今回の事件にはまったく関っていないんだ。強盗は犯罪だが、強盗が持っているナイフを作った鍛冶屋が罪に問われることはない」
 コリントとスボークは絶句した。それからアージャンの言葉を頭の中で反芻した。
 アージャンは続けた。
「王国には、フェンリル教徒が事件の犯人だということだけを伝えればよい。それと、彼らがこれ以上月に対して干渉しないように、何らかの処置をするように言うんだ」
「そうか、わたしたちは。魔術師ギルドは完全に無垢だ」コリントが言った。
「たしかに」スボークも頷いた。「何でこんなことに気づかなかったのだろう」
 それに答えるアージャンの声には、わずかに笑い声が忍びこんでいるようにも思えた。
「今回の事件が魔神召喚に関することだと思いこんでいたからだろう。それなら魔術師の十八番だからな。とにかく、今回の裁判に提出された資料もすぐに破棄させよう。王国の連中に下手に調べられたらまずい。それに二人の死刑も取り消しだ。王国の注意を引くような派手な行動は厳禁だ」
 声がさらに小さくなり、ファガスにも何も聞き取れなくなった。
 それから、光のコリントは立ち上がると、大きな声で宣言した。
「結論を言います。
 状況の特殊性に鑑み、ラングとファガスについては無罪とします。ただし、今後は狂信集団との取り引きは、厳につつしむようにと勧告します」
「馬鹿な!」ザニンガムが椅子から立ち上がると叫んだ。「二人が無罪だと!」
 男たちの手が延びると、ザニンガムを引きずりおろす。
 光のコリントは恐るべき目でザニンガムをにらんだ。
「調査委員ザニンガムについては、その仕事のやり方に関して深い懸念を表します。最下級調査員に格下げし、二年間に渡る観察対象処分とします」
 ザニンガムはまたもや叫ぼうとしたが、その口の中に手早く布が詰めこまれた。光のコリントは目の前で繰り広げられるこの光景を完全に無視して続けた。
「今回の事件に関るすべての資料および証拠品をただちに破棄処分とします。具体的に言うならば、この部屋からの持ち出しを禁止するということです。
 ここにいる全員は、この部屋の中で見聞きしたことに対して、沈黙の誓いを立てねばなりません。宣誓魔法強度は最強のものと指定します。もし誓いが守れそうにないと思う人は、特例として記憶消去処分を受けることができます。うっかりと秘密を洩らして死を招くよりは、そのほうがうんと気分が楽でしょう」
 闇のスボークも立ち上がると言った。
「ザニンガム。お前の記憶が一番危険だ。降格されたという記憶は残したまま、今回の事件に関する記憶のすべてを消し去るように命じる。
 それに加えて、ファガスとラングの座っているそのソファーも破壊の対象とする。あまりにも長く二人に接触し過ぎている。いらぬ情報を魔法的に蓄積している恐れがある。
 それとエストリッジ教授。協力に感謝する。見事な推論に証明。さすがは魔法考古学の権威だけはある。もし、教授が黄昏派に属していなければ、こちらに引き抜きたいところだ」
「手放さんよ」かすかに笑いを含んだ声で、黄昏のアージャンも椅子から立ち上がりながら言った。「ではこれにて閉廷とする。全員、解散せよ」
 ザニンガムの悲鳴が上がった。たった今まで部下だった連中に両手をつかまれて、法廷の入り口に向かって、後ろ向きに引きずられて行く。
「おれが降格だって!」涙を流しながら、口に詰められた布を吐き出したザニンガムは叫んだ。「頼む。嘘だと言ってくれ!」
 その手を引きずっている、かっての部下の一人が吐き捨てるように言った。
「死刑にならないだけ、ありがたく思うんだな」
「あの予言がいけないんだ!」ザニンガムの悲鳴が法廷に響いた。「落ちる! おれは落ちて行く!」
 法廷の扉が閉まる。決着はついたのだ。