【影と質量。世界の中心の問題】
ええ、ゴホン。今日の講演は諸君には少しショッキングな内容かも知れない。
しかし、学問を追い求める者として、きっと諸君は真剣にこの問題を受け止めてくれるだろう。
それは、質量の問題である。
ウィザードリイの世界で正しく世界に対して質量を持っているのはギルガメッシュの酒場・カントの寺院・ボルタックの交易所・トレーニングルーム等を含む極めて限定された地域だけなのである。
一方、人間・怪物を問わず、真の質量を保持しているのは、冒険者達二十人だけなのである。
お判り頂けるだろうか?
※質量の概念をここで一くさり述べること。何、いい加減な説明でも構わん。
我らがウィザードリイ世界は冒険者達がダンジョンから持ち帰る各種の品物や魔法により成り立っておる。冒険者は経済の、そして文化の中心である。更に冒険者達は質量の中心でもある。
そう、それ以外の人間達は皆。今こうして私の講義を受けているあなた方も皆、影なのである。
・・影とは何か?
それはダンジョンの中に入ったときに良く判る。ダンジョンの中で死んだ者達は、もし、それが冒険者ならば死体が残る。
以前の講座で既に述べたようにダンジョン自体の魔法学的質量は、このたった1個の死体にさえも勝てないのである。
一方、影の存在がダンジョンで死んだ場合には、その死体は冒険者が目を離したとたんにたちまち消え去ってしまう。これはモンスターの死体や置き去りにされた宝箱でも同じことである。
影の存在は光の速度を等価にしたアンチマジカルフィールド光を当てて見れば感知できる。この光は反魔法場を作るほどの力は無いが、それ自体は極めて魔法の影響を受け難い。つまりはロミルワ呪文の放つ光がこれである。魔法の幻影で隠された扉を見つけることができるのも一重にこの性質の為であるが、この光で影の存在を照らすと、あっさりと通過して、影が落ちない。つまり影の存在には影が無いのである。
※ふむ。逆説的でとてもよろしい。
何故か。それは影の存在の持つ実効質量が殆ど無い為である。
影の存在は我々冒険者の存在により、一時的に強化される。これは質量の共鳴効果と呼んでいいだろう。すなわち世界は冒険者の質量の周りに付随した、霧に映る幻と言っても間違いは無い。
※ここでサクラを使い質問を出してもらう。サクラをやった学生には後で単位を付与すること。
・・ああ、勿論、その反論は良く判る。我ら冒険者が見ていない時でも、君達は歩き、話し、笑い、寝る。それは間違いない。石にとっては霧は障害にならないが、霧にとっては霧は障害になる。影の存在は薄い質量のまま、それらにふさわしい生活を送ることができる。
だが、ダンジョンの中での死体の問題以外にも、君達、影の存在と、我々冒険者の間には致命的とも言える違いが一つある。
何か?
それは自由意志の問題である。
※視聴者の驚いた顔を堪能すること。
我々冒険者はそれぞれ自分達の意志で冒険も生活も決めることが出来る。
(限界は確かにあるが。この世界は不自由な世界なのである)
一方、影の存在の者は実に厳しく自分達の行動を規制される。
決った時間にダンジョンのあるポイントにいなくてはならないし、決ったセリフを必ず言うように条件付けされているものさえいる。
ただ、冒険者に切り殺されるためだけに何度でも再生する者さえいるのだ。
恐らくは、本体に含まれる質量が小さいために、世界を構成する一種の手順、シナリオに沿わない存在は、ウィザードリイ世界の時空連続体の中で強烈な抵抗を受けて消滅するためである。冒険者の場合は含有する質量が大きいために、抵抗を受けてもわずかに皮膚の温度が上がるだけですむ。
こうして、影の存在として生き残るのは、世界の流れに従順に従った者だけとなるのである。いわば、影の存在とは命令通りに動く人形と言っても良い。
これが我々の世界に存在する、もっとも大きな人種差別問題である。
これに比べたらホビットやエルフの人権問題は何ほどのものでもない。
※視聴者の中にホビットやエルフが多いときは、ハーフリングなどに置き換えて喋ること。
一部のダンジョンの中には、ダンジョンの中の質量分布中和点とでも言うべき場所に、影の存在としては並外れて大きな質量を持つものが存在することが知られている。
トランプの王達や盗賊のスナッチである。彼らは死んでも、その死体は消滅することが無い。ただし、冒険者の質量に比べると桁違いに小さいので、彼らが死んでその場所にいようとする意志が消えると共に、ダンジョンに対応する巨大な質量中和点であるカント寺院へと自動的に移動することになる。あたかも軽い木が自然と水に浮かぶように。
冒険者の場合には、冒険者の死体の移動につれて、その質量にダンジョン全体が引きずられてしまうので、何時まで経っても死体はカント寺院の中に自然に納まることはない。
彼らの様な半冒険者的存在は、逆にむしろ意志の自由を持っていないように見える。彼らは普通の影の存在自体に比べても、生存出来る範囲と会話が極端に制限されているのである。
これは何故であろうか?
※一呼吸おいて
しっかりした証拠があるわけでは無いが、私は彼らは、かっての冒険者達の成れの果てでは無いかと考える。きっと遥か昔の冒涜的な行為の報いとして、彼らは意志を奪われて、これらの責務に就いているのでは無いかと、私は考える。
・・ああ、確かに、諸君達が自分達を『影』呼ばわりされるのは辛いものだろう。
何?
何?
腹が立った?
では、このわしに手を出すと。それはいい根性じゃ。
だが、今、この講義室にいるのは、そなた達、影の存在とわし一人じゃ。
すなわち、わしがこうやって目を背け、心を他のことに迷わせば・・
御静聴を感謝する。 ---キリア・イブド・メソ
※怒れる群衆ほど怖いものはないのう。
今度から講演料は先払いで貰うこと。