SF短編銘板

賭博飛行(後編)

 ジャンプ三回目。
 パターソン船長はジャンプボタンの前で長い間逡巡した。
「船長」
 ブエン副長に促されて、ようやくボタンの前に座り、ぶつぶつと何かを唱えながら、ボタンを押し込んだ。
 明滅。もたもやジャンプ成功だ。ジャンプに失敗したときにはどんな光景が見られるのか俺は知らない。もしかしたら俺たちはジャンプに成功したと信じ込んでいるだけで、すでに死者なのかもしれない。
 ブエン副長がモニタを読み上げる。今回は俺たちが一番最後にジャンプしたらしい。
「総勢五隻」冷えた声だった。「1番艇、7番艇、11番艇、19番艇です」
「全滅する」パターソン船長がつぶやいた。「たった三回飛んだだけで十五隻沈んだ」
「それでも最初の計算よりずっと良い結果です」とブエン副長。
「そうだな。たしかに。幸運な結果だ」
 幸運だなんてちっとも思っていない声でパターソン船長は答えた。

 今度の一週間は長い長い一週間だった。どの艇もひどく沈んだ雰囲気が支配していた。
 機械は順調に動作し、蓄電池に大量のエネルギーを蓄え続けている。放熱フィンは赤外領域で観測すると三百度程度らしい。もっとも気軽に触れるような場所にはないのだから何の問題もないのだが。
 俺はこの暇な時間をビューアーで映画を見ることに費やした。恒例のギャンブル大会は行われなかったが、ギャンブラー同士の集まりは行われた。むろん通信を介してだが。
 いきなり怒声を発したのは富豪ギャンブラーのトールマンだ。
「ミスター・ナカムラ。どうして君は生き残っているのだ? 運が尽きていたはずなのに」
「うちの宇宙艇のジャンプボタンならパターソン船長が押しているよ」
 俺が秘密を暴露するとトールマンは一瞬絶句した。
「インチキだ。君がボタンを押すべきなのに」
「それで俺の悪運にうちのクルーも巻き込めってか? ご免だね」
「君は自分の役割を理解していないのか」
「あんたたちのためにカモになれってことか?」
「その通りだ。そのために推薦したのだから」
「まったく。迷惑な人だな。あんたは」
「なんだと!?」
 このおっさん。人を何だと思っているのだろう。
「もうやめろ。トールマン。キミの態度はあまりにも失礼だ」
 止めに入ったのはラッキーの7番艇のギャンブラー、マッカート。賭けビリヤードをメインとしている男だ。もっとも宇宙ではその腕の振るいようがないわけだが。
 モニターの中で渋い顔をしているのはビリー・ザ・スモーク。極度の愛煙家で、宇宙艇の中では喫煙が認められていないために大変に辛い思いをしている。宇宙艇の中は厳密に禁煙だ。タバコの煙は空気調整フィルターには大敵だし、おまけに電子基板を浸食する。あくまでも賭け事の直前には喫わないとツキが落ちるということで、ジャンプの時だけ彼には喫煙が認められていると聞いた。
 救世主ジーザスは一切口論には加わらずに涼しい顔をしている。最近ではますます神がかって来ている。じきに頭の後ろから後光が射し始めるんじゃないか?
「後七回もあるんだぞ」トールマンがぶちぶち言った。
「最初の予想では十回飛んで一隻でも残るのは二パーセント。もともとがこういうギャンブルなんだから」
 マッカートはそこまで言ってから喉を詰まらせた。やはり死が身近なところに来ていると、どこまでもポーカーフェースではいられない。
「どうせなら向こうさんが俺たちの接近に気が付いてここまで迎えに来てくれればいいのに」
 ビリー・ザ・スモークが不平を洩らした。
「神様に頼んでみてはどうだい? なあ、ジーザス」と俺。
 この軽口になぜか皆が俺を睨んだ。
「祈ってみよう」とジーザスは答え、それで今日の会合はお開き。
 船の中のビューアーには山ほどのドラマや映画が記録されている。俺はそれに感謝してまた昼寝に戻った。

*)

 四回目のジャンプはひどかった。
 パターソン船長はジャンプボタンの前で唸り声を上げ、脂汗を垂らし、逡巡していた。ジャンプという掛け声も無視してさんざん待たせた挙句に、椅子から立ち上がった。
「俺たちは死ぬ」
 そう宣言した。
「同じ死ぬなら俺は宇宙で死ぬ。超空間なんてクソ食らえだ」
 そう叫ぶとエアロックに突進した。慌ててブエン副長も自分のシートのロックを解くと、隣の俺のロックも手早く外した。
「手伝え。ナカムラ。船長を抑えるんだ」
 えらいことになった。緩い重力の中での素早い動きは存外に難しい。俺とブエン副長はエアロックを開けようと格闘しているパターソン船長に飛びついた。エアロックの内側扉が開き、パターソン船長の体がねじ込まれた。パターソン船長は船外へ通じる扉を開こうとした。安全装置が働きその命令がキャンセルされると、緊急時解放レバーに手を伸ばした。冗談じゃない。俺でもその意味は知っている。エアロックの扉を両方開いたら中のものは何でも外の宇宙に放り出される。絶対にやってはいけないこと、その1だ。
 だがパターソン船長は狂人のみが震える物凄い力を発揮した。とてもじゃないが体格的に劣る俺たち二人では抑えきれない。
「ナカムラ。何とか抑えていろ。ジャンプする」
 ブエン副長が叫ぶと、ジャンプボタンに飛びついた。
「やめろ!」パターソン船長がエアロックから戻って来るとブエン副長に向かった。俺はその腰に飛びつき、振りほどかれて壁面に衝突した。
「ジャンプ!」ブエン副長が叫ぶとボタンを押し込んだ。
 周囲の星空が瞬いた。ジャンプ成功。
 緊張が抜けたパターソン船長が崩れ落ちると、床の上でしくしくと泣き始めた。
 ブエン副長が素早く薬品棚から注射器を持ってきて何かを注射する。パターソン船長が静かになった。
「ナカムラ。報告を見てくれ」
 俺はモニタを覗き込んだ。光点はわずかに二つ。この宇宙艇と、11番艇ジーザス艇のみだ。

 今回は慰霊祭はやらなかった。向こうの艇の連中とこちらの艇の連中が、密かに持ち込んでおいた酒のグラスを掲げて一杯だけ飲んでそれで終わりだ。
 パターソン船長は目を覚ますと暴れるので、結局はシートに縛りつける羽目になった。
「飛ぶのを止めよう」パターソン船長は目を血走らせて叫んだ。「そうすればもう少しだけ長生きができる。ジャンプは駄目だ。次のジャンプで必ず死ぬ」
 それが一週間続いた。
「パターソン船長は壊れてしまったのか」俺はブエン副長と話をしてみた。
「いや、ただ単に船長の勇気が尽きただけだ」
「勇気が尽きる?」
「精神学者が発見した事実でね。勇気というのは人により個体差があるが、生まれながらにして持っている量が決まっているという話だ。そしてそれは使うたびに減り、決して補充はされない。一度尽きてしまうともう勇気はどこからも出て来ない。そういう類のものらしい。パターソン船長は豪胆で有名な男だったが、ここ数回のジャンプで勇気を使い果たしてしまったということだ。もう船長の頭の中には一滴の勇気も残っていない」
 ということは俺たちのミッションの性質からしてパターソン船長は完全に役立たずになってしまったということになる。
 この艇は今や二人だけで運用されているということになる。

*)

 ジャンプ五回目。
 ブエン副長が注射を打ち、パターソン船長は深い眠りについている。
 ジャンプボタンの前でブエン副長は何かをつぶやいていた。祈っているのだろうか。ジーザス艇がジャンプし、モニタから消える。

 ジーザスはジャンプに成功しただろうか?

 それはこちらがジャンプしてみるまでは判らない。
 ブエン副長は十字を切ると、ボタンを押し込んだ。
 明滅。星空の配置が変わる。ジャンプ成功。
 モニタには二隻が映っている。ジーザスも当然のようにジャンプに成功している。
 慰霊祭の必要のないジャンプは初めてだった。

 目を覚ますとパターソン船長は泣き始めた。ジャンプを中止して姿勢制御エンジンで手近の惑星に行こうと喚きたてた。ここはオリオン腕とサジタリウス腕の中間点で周囲数百光年にはまともな恒星すらないと冷静なブエン副長が指摘すると、さらなる大声で泣き始めた。
 どのみち、もしこの宇宙艇にでっかいエンジンがついていたとしても、どこかの惑星にたどり着くまで数十万年はかかる。それに比べて、食料も水も酸素も後十週間分しかない。熱だけは原子炉のお陰で有り余るほどあったが。
 じきにパターソン船長の戦略は変化した。ジーザス艇に乗ると言い出したのだ。彼はそれを三日間に渡って喚き続けた。最後は彼の喉から血が噴き出たがそれでも喚くのを止めなかった。
 向こうの乗組員たちと長い長い会話をした後で、パターソン船長を向こうの船に乗せることになった。ただし、宇宙服の中で拘束したままという条件付きでだ。これはやられる者にとっては相当にきつい状態なのだが、パターソン船長はその条件を飲んだ。勇気が品切れになっている以外はごく普通の理性が残っているのだ。
 ブエン副長と二人で固めた状態のパターソン船長を宇宙服ごと船外に持ち出し、11番艇に引き渡す。
 向こうの艇のエアロックを抜けて艇の中が見えると俺たちは絶句した。通信カメラに映らない範囲で艇の中が様変わりしている。紙で作ったわけのわからない像のようなもの。祭壇風の飾りつけ。ところ構わずに貼られたキリストの合成写真。その写真の顔の部分は完全にジーザスのものだ。まるでどこかのカルト教団だ。
 これは狂気か。それとも救いを求める人の心が行うごく自然な行いなのか。
 ジーザスは宇宙艇の中心に厳かに立ち、その両側に乗組員が二人で跪き祈りの文句をつぶやいていた。
「来なさい。わが子よ」
 ジーザスが両手を広げると、パターソン船長を受け取った。低重力なので宇宙服の重量を含めても何とか倒れずに受け止めることができた。
「この身も心も捧げます。主よ」宇宙服の中で硬直したままパターソン船長が答えた。
 俺とブエン副長は挨拶もせずに、11番艇から逃げ出した。
「あんたもあっちに行っていいんだぜ」
 自分たちの艇に戻ってから俺はブエン副長に水を向けてみた。
「ごめんだね。俺は敬虔な信徒だが、あれは神なんかじゃない。神の振りをした何かだ。それに俺がいなかったら誰がこの艇の面倒を見るんだ」とブエン副長。「それからあらかじめ言っておく。次のジャンプは君がボタンを押せ。俺はもう嫌だ」
「俺が!?」
「実際にボタンを押してみてパターソン船長がどうしてああなったのか、俺には分かった。自分で自分の命を絶つかもしれないことって、ものすごく大変なんだと理解した。他人がボタンを押してその瞬間を待つのなら耐えられる。でも自分で押すのはダメだ。耐えられない。たぶん俺の勇気も尽きかけている」
 俺は考えてみた。
 俺はギャンブラーだからそういう瞬間はよく知っている。ギャンブラーでも命そのものを賭けることは少ないが、賭けているのは命より貴重な金なのだ。賭ける瞬間には様々な思いが去就する。もし負けたらというのがその大部分だ。悪い思いを捨て、ただひたすら勝った瞬間の喜びのみを心に留めることのできる愚か者だけがギャンブラーを続けられる。
 要はパターソン船長もブエン副長も俺よりは随分と賢かったというわけだ。そう考えて、俺は少しばかり落ち込んだ。

*)

 ジャンプ六回目。
 ジーザス艇の光点が消えた。ジーザスという男はジャンプをするのにまったく躊躇いがない。
 俺は初めてボタンに触った。
「失敗しても恨むなよ。ブエン」
「任せたと言っただろう。やってくれ」
「よし、1、2の3!」
 押し込んだ。ジャンプボタンの思ったより硬い感触。周囲が明滅し、新しい星座の中に俺たちはいた。
「ジャンプ成功」ブエン副長が言うとモニタを覗き込み、しばらく固まっていた。
「おい?」
「ジーザス艇が無い」
「馬鹿な」
 俺もモニタを覗き込んだ。確かに光点はこの艇だけだ。ジーザス艇は消滅。いや、天国に帰ったと言うべきか。
「ついに最後の一隻か」そう言ったのは俺なのかブエン副長なのか。
 後は二人無言で過ごした。
 ジャンプは後四回。今になって胸がドキドキしてきた。鼓動が痛い。強がっては見せたがやはり俺もただの人間なのだと改めて認識した。

 慰霊祭で残りの酒ビンはすべて空にした。どのみちこれが最後の慰霊祭だ。次に俺たちが死んでも、俺たちのために酒を捧げてくれるヤツはいない。
 話し相手がいなくなると時間の流れは遅くなる。だから俺とブエンはお互いの過去を教えあうことでこの時間をつぶすことにした。ブエンはベトナム出身の移民で、アメリカに移住した後にかなり良い大学を出て創設されたばかりの宇宙軍に入った人物だ。俺は日本人とドイツ人のハーフで、見た目は完全な日本人。ろくでもない生き方をしてきたし、これから先もろくでもない人生を送るだろう人物だ。
 もし、このミッションが成功したら貰える莫大な報酬を何に使うかという話になって、結局俺はまたギャンブルに手を出してすっからかんになるのだろうなと思ったのはさすがに秘密だ。ブエンは故郷に帰って農場を買い結婚相手を探すつもりだと説明したところで何かに気づいて話を止めた。

 馬鹿野郎。このタイミングでフラグを立てるヤツがあるか。

*)

 ジャンプ七回目。
 指が震える。それでも躊躇なくボタンを押せる自分を誇りに思った。横目で見るとフエン副長は目を瞑っている。
 ボタンを押し込む。明滅。
「ジャンプ成功」俺の言葉を聞き、ブエン副長が目を開けた。計器の表示を確かめ、現在位置の算出を待つ。
 ここまでで計算通りの千四百光年をこなしている。
「おい」ブエン副長が驚いた声で言った。
「何だ?」
「自分が泣いているのを気づいているのか?」
 俺は自分の顔に触れた。本当だ。いつの間にか涙が流れている。

 ブエン副長と話をしていて、目的地に着いた後のプランを聞き、ちょっと驚いた。
 向こうが指定したポイントに到着した後は救難電波を流してただ漂うだけというのだ。この艇には噴射エンジンの類がついていないし、もしついていたとしても光年で測られる距離には人類が作るエンジンではとうてい届かない。だから電波を出して後は待つだけしかない。
 向こうにいるのがどんな連中かは知らないが、何等かの警戒探知網を持っているのではないかと推測しており、侵入者には敏感に反応するはずという曖昧な予測がすべてだ。
 実際それ以外の何かをしようとしても、人類にはそれを行うだけの技術力がないのが実情らしい。探索も、移動も、報告も、すべて不可能。故郷への帰還など夢のまた夢。
 彼らが来る前に俺たちの酸素が尽きて死んだ場合には艇に納めてある記録が開示されるようになっている。そこには人類のこと、現在陥っている窮地、手助けが必要なこと、そういった情報が余すことなく記録されている。
 やれやれ。何という無茶苦茶な計画だ。

 手持ちの資金が少ないギャンブラーほど無茶な賭けをする。そう、その通り。人類がそのギャンブラーだ。

*)

 ジャンプ八回目。
 ブエン副長と長い間話し合った。ジャンプボタンは自動で起動するようにもできるらしい。ただし人間がボタンを押した方が優位に成功確率が上がるというのも本当だ。
「君の勇気が尽きていればそれもありだ。俺は自分ができないことを他人に強制するつもりはない。どうするね?」とブエン副長。
「やっぱり自分で押すよ。それが正しい行いのような気がする」
 俺はジャンプボタンの前に座った。もはや胸はドキドキしない。こなすべきルーチンワークという感じだ。いや、俺の心は敢えて目の前の現実を感じないようにしているのだろう。まともに捉えたら、パターソン船長のように狂ってしまう。それとも自分を神だと思い込みたがったジーザスのようにか。
 俺は静かにボタンを押した。明滅。ジャンプ成功。
 その後に考えてみた。
 俺たちは当の昔に超空間で塵になっていて、これは超空間で死者が見る夢なのだろうか。だとしたら間違いなくこれは悪夢だ。
 これに関してはブエン副長と話しあってみたが、もちろん結論なんか出るわけもなかった。
 一応二人でお互いの頬をつねりあってはみたが。
 この一週間はブエン副長と二人でチェスをやって過ごした。もちろん二人とも初心者だ。一週間が終わるころには俺はチェスの勝負を避けるようになった。どうやってもブエン副長に勝てなくなったからだ。

*)

 ジャンプ九回目。
 俺はブエン副長と例のトランプ合戦をしてみた。十回引いて十回とも俺が勝った。
「運が戻っている」俺は感想を漏らした。
「トールマンが主張した通りだ。どん底のギャンブラーが復活したな」
 お陰で今回のジャンプボタンを押すのは心が随分と軽かった。窓の外で星空が明滅する。星座は地球のものと比べると大分歪み、別のものになっている。
 ブエン副長がデータベースから地球の星座を取り出し比べてみせてくれた。それ以外では二人とも無口だ。ジョークも使い尽くしたし、過去も語りつくした。言葉にしないが考えることは同じ。後一回のジャンプを生き延びることができるかどうか。そのことに俺たちのみならず、人類全体の命運も賭けられている。

「なあ、俺はこう思うんだが」俺は心の中に浮かんだ考えを口に出した。
「もしかしたら彼らは運の良い種族が欲しいんじゃないか。俺たちギャンブラーは不運な人間に触れるのを嫌う。その不運に巻き込まれるからな。彼らも同じで、運の良い種族とだけ付き合いたいんじゃないだろうか。そのためにはこの超空間航法システムは最適の選別装置だとは思わないか」
「だとすれば超空間ジャンプに存在するこの不安定性は最初から仕組まれていたものということになるな。うん、むごい話だ」
 ブエン副長はしばらく考え込んでから続けた。
「おそらく彼らは運というものに関する科学的な方程式を完成させているんだろうな。そしてその理由から運が良い種族との協調を求めている」
「種族レベルでの運か」
「うん、だとすれば人類に取っては好都合だ。今までは単に彼らに援助を請うしかなかった。彼らが我々を助けるのかどうかは彼らがどれだけ他種族に優しいのかにかかっていた。だが彼らが我々に求めるものがあるとすれば、十分に取引の材料になる。失われた命は賭けるに値するものだったと考えて間違いないな」
 ブエン副長はそれ以上は喋らなかった。この試練に挑戦し先に逝った仲間たちのことを思っていたのだろう。

 その後、ブエン副長に頼んで宇宙遊泳をさせてもらった。宇宙服のビーコンをつけたままにして星以外は何もない宇宙空間にただ一人で漂ってみた。
 俺の心は鍛えられて変わったのか、それとも元の俺のままなのか。結局、答えは出なかった。

*)

 そしていよいよ最後のジャンプの日がやってきた。
「用意はいいか」と俺。
「いいぞ。確率は半々」
 ブエン副長がモニタを睨む。そこに映るのはもはや僚機の情報ではなく、周囲の走査情報のみになっている。飛んだ先に何があるのか、それとも何もないのか。
「俺の国にはな、丁半博打というのがあってな。サイコロを振って偶数か奇数かを当てる賭博なんだ」
「へえ」
「そのときの掛け声がこうだ」俺は息を大きく吸い込んで叫んだ。「では入ります。丁か半か!」
 ジャンプボタンを押し込んだ。
 星空は明滅しなかった。その代わりに周囲を暗闇が覆った。

 いつもと違う。ここまで来てジャンプ失敗だと!?

 俺の周りには何もなく、俺一人だけが椅子に座った姿勢のまま浮かんでいた。宇宙遊泳に似ているようでもあるが、まるっきり違う何かとも言えた。
 やがてその闇の中に老人が一人現れた。白いヒゲを長く伸ばし、薄暗い色の長衣に包まれている。頭の上に布の冠を被っている。
「初めてお目にかかりまする。偉大なる御方。わしは冠福禄星」
 その後ろにまた老人が現れた。こちらも白ヒゲだが、頭には綺麗に髪がない。黄色の服には黄金の糸で縁取りが入っている。小さな金属の飾りが一つ、頭の上に載っている。
「わしは東天比高星」
 さらには他の者たちも現れ俺の前に並ぶと頭を垂れた。
「いったい」
「わしらは人の運を司る星座」冠福禄星と名乗った老人が答えた。「あなた様のしもべにございまする」
「星座?」
「星々の巡りは人の運命を操りまする。あなた様はここより二千光年先にては最悪の不運の星の巡りを持っておりました。されどこれほどの距離を渡り、あなた様の星座は別のものに変わりました。それも今現在この銀河の中では最強の運をお持ちになられております。それゆえに我ら星座一同この奇跡に寿ぎましてこうしてご挨拶に訪れた次第」
 俺は目をぐるぐる回した。いったい何だこれは。
「我ら一同普段は人間に相まみえることはかないませぬ。されどここは超空間。普段通りの道理は通じぬ場所。ここでなら我らはあなた様にお目通りできます。ささ、この冠福禄星の祝福を受けなされ」
 他の星々も口々に俺に何かをした。不思議な輝きが俺の周りを取り囲んだ。
「時間が迫っておりまする。超空間にはあまり長居はできませぬ。お行きなされ」
 その言葉と共に周囲が明滅した。見慣れぬ星座、新しい宇宙空間。
「ジャンプ成功。そして到着」ブエン副長が報告した。そこで一呼吸おいた。「前方より何かが接近。大きいぞ」
 それはもう船外観測窓でも見えていた。恒星の光に輝く真っ白の船体。モニタ上にちらりと見えた表示は数百キロメートル単位。こんな大きなものが動くなんて。サジタリウス文明圏の巨大船だ。
「これよりファーストコンタクトを試みる」ブエン副長が宣言した。
 俺は彼の手からマイクを取り上げた。
「俺に任せてくれ」
 ブエン副長は何かを言いたそうにしたが、俺の顔を見てやめた。そこにあったのは以前の俺にはなかったもの。強烈な自信。
 俺の運は今や銀河の中でも最高の位置にある。窓の外の星座たちがそれを約束している。彼ら超文明との交渉はきっとうまく行くだろう。
 俺はマイクに向けて喋った。
「こちら地球を代表してナカムラが喋っています。そちらの応答を待っています」