歴史書銘板

獣たちの挽歌

 降り注ぐ月光の中、静かに燃える焚火の明りに誘われて、男達は一人また一人と集まって来た。

 最初に焚火を起こしたのは、すでに初老に入りかけている男と、まだ若い男の二人だった。月明りの下、遠くに見える城壁のシルエットを正面に陣取って、持って来た大きめの壷から無言で酒を飲み出した。

 次に現れたのはネズミを連想させる顎の尖った小男だった。ガサリと枯れ葉を踏む音をさせて、暗い林の中から月光と焚火の落すゆらめく光の中へと踏み出して来た。
 はっと若い男の方はおびえて睨んだが、初老の男の方はこれを予期していたのか、身動き一つしなかった。
 勿論、枯れ葉を踏んで足音を立てているのはわざとだ。
 そうで無ければ、そこまで近づくまでの足音が聞こえたはずなのだから。
 暗い林の中から目だけを爛々と光らせながら、二人の男を観察していたのだろう。
 小男は近付くと、自分の服の袖に縫いつけた鉄の紋章を見せた。
 二人の男の襟元にこれ見よがしに縫いつけられているのと同じ物だ。
 軍隊の記章。
 侵略者の証。
 最近、この辺りに侵攻してきた軍勢のものだ。
「俺にも一杯くれないかな?」
 許しを請うことも無く、焚火の向い側に座る。
 初老の男は無言で酒壷を渡した。銅でできた酒壷は存外に重い。
 二人で飲むには大きすぎる壷の存在そのものが、ここで人を待っていた証拠だった。
 くんくんと鼻で空中をかぐようにしながら、小男は自分の腰の袋からグラスを一つ取り出した。焚火の光をきらきらと反射する奇麗な貴金属のグラスだ。この貧相そうな男の持つような品では無かった。
 若い男の睨むような視線に気付いて小男が言った。
「前の街で手に入れた戦利品さ。欲しければお前もあそこで」と、開いた手で眼下に見える城壁の方を示す。
「手に入れるんだな。こいつは俺のもんだ。やらないよ」
 そのまま、ぐいと酒を煽る。
「ほう。こりゃ存外にうめえなあ。こんな上等な酒を用意するとは、あんた、いい奴だな」
 初老の男の方に話しかける。夜が寂しかったのか、それとも酒のせいか、饒舌になっている。
「前の戦さじゃあ、ろくな扱いは受けなかったが、まあいいさ。
 こんなお宝が手に入ったんだから」
 ふうっと溜め息を付いて、もう一杯、酒を汲む。
「少し変な匂いがするが、こりゃなんて酒だい。大概の酒は飲んだつもりだったが、こんなに旨いのは初めてだ」
 ここで初めて初老の男が口を開いた。
「『オデュセウス』とここらの者は呼んでおるようだ。『大ほら吹き』って言う意味だそうだが」
「へへ。オデュッセウスかい」小男が鼻で笑う。「地酒にたいそうな名前をつけて」
「薬草が混ぜ込んであってな。良い気持ちになって少しばかり口が軽くなるという所から、その名が付いたそうだ」
 小男の目がじっと二人を見つめた。若い男がその目を覗き込んで、あ、と腰を浮かしかけた。
「動くんじゃねえ。小僧。林の中から相棒が矢を打つぜ」
 厳しい声で小男が叱る。元々胡散臭い男だったが、今はそれに殺気が満ちて、耐えがたい雰囲気を醸し出している。
「毒かい? それにしちゃあ、お前さん達も飲んでいたし、グラスは俺の物を使ってる」
 小男はぐいと自分の酒の入ったグラスを初老の男に突き付けた。
「半分飲んで見な。残り半分はそっちの坊やだ」
 そのまま酒のグラスが干されるのを待つ。二人は酒を飲んだ。
 初老の男の方は静かに小男を見つめながら。若い男の方はおどおどと。
「良し。話は本当のようだな」小男はそう言うと二人の背後に声を掛けた。「もう、いいぞ。出てこい」
 林の反対側。初老の男の左手から三つの人影がむくりと起き上がった。
 相棒が林の方から矢で狙っていると言ったのは、小男のフェイントだった。
 小男が酒のグラスを取り返す。
「悪かったな。疑って。お宝を持っていると気が小さくなっていけねえ」
 二人の向い側に新たな三人が座り込み、酒を飲み始める。これで都合六人。
 そのうちに酒を飲んでいた新入りの一人が笑いながら言った。
「へ、薬草入りとは恐れいるねえ。明日には城攻めで死ぬかも知れないっていうのにねえ。
 へ、身体が丈夫になる酒かい?
 へ、俺は酔えりゃあいいのさ」
 新しく来た別の一人、頬に白く見える傷のある男が言った。
「そんな言い方をするもんじゃねえ。下手なことを口にすると死神に目を付けられるぞ。それにこいつは旨いぜえ。旨い酒に文句を言うもんじゃねえ」
「気にしないでくれ。こいつらは口が悪いんだ」これは顔一面に髭を生やした男だ。
 最初に口を開けた一人が快活そうに言った。
「へ、気にしないでくれ、か。
 どうしてそこまで他人の御機嫌を取る必要がある?
 へ、まあ、健康なんてどうでもいいさね。
 俺は明日の朝まで生きられればいいのさ。
 へ、俺は戦が楽しみで生きているんだからね」
 黙って仲間のお喋りを聞いていた鼠面の小男が若い男の方を見て言った。
「戦に出るのは初めてか?」
 若い男は無言で頷いた。その動きを見て、次に初老の男に聞いた。
「あんたの息子かい?」
「いや。孫だ」初老の男が答える。
「そうか。まあ、あんたの家族なら面倒はちゃんと見てやるんだな。ぽっと出たてのヒヨッコに仕事の邪魔をされるのはかなわない」
「言われなくても自分の家族の面倒はちゃんと見る。お前さんが考えている以上にな」
 初老の男が答える。言いながらも目は反らさない。焚火の灯りが、その瞳の中を照らし出そうと頑張ったが、やがて諦めた。
 先に目を逸したのは小男の方だった。
「まあ、いいさ。あんたがそう言うんならそうだろう」
 小男は会話を打ち切ろうとしたが、今度は初老の男が尋ねた。
「庸兵になって長いのか?」
「ああ、そうだな。俺の村に将軍が来てからずっとだ」
 酒のお代わりを要求してから、遠い目を見せると小男は答えた。
「そう言えば、あんたは見なれない顔だな。最近徴兵された口だな」
 ああ、と初老の男は頷いた後、質問を続けた。
「後悔していないのか?」
「後悔? は! 誰が後悔なんか」小男の声が高くなった。
「こう見えても、俺は教養があるんだ。カラーズの島の学究院に奉公に出たことがある。帰る時には博士連中に引き留められるとこまで行ったんだぜ。
 だのに見てみろ、村に帰れば毎日毎日野良仕事ばかり。骨をきしませて家に帰りゃあ王様の徴税人が待ちかまえているって次第だ。働いても働いても暮らしが楽になるどころか。それにその内、ガキが産まれりゃ今度は自分がまともに食えやしない有様よ。
 それに比べりゃ、今の生活の方がぐんとマシだぜ」
「で、今度は、徴税人に痛めつけられた村人のなけなしの財産を狙うってわけか?」
 鋭く初老の男は問い詰めた。
「弱い奴が奪われる。それだけのことだ」むっと不機嫌を顔に出して小男が反論する。「あんたも軍隊に徴兵された以上、割り切るべきだな」
 会話は次の客が来ることで断ち切られた。
 どかどかと派手な足音を立ててやって来たのは三人組だ。
 焚火の明りの中に知った顔を見つけたのか、一つ軽く挨拶すると、酒壷の周りにどっかりと陣取って先を争うように飲み始めた。いずれも劣らぬ巨漢揃いだ。
「後続は?」髭男が新参者達に聞く。
「わからねえ。前の戦いで随分と死んだからな」巨漢の一人が答える。
「将軍はあの村の人間を全部徴兵するつもりだろう。あまり殺すなとのお達しだ」
「ちえ、また新兵の世話か。面倒だな」小男がつぶやく。
「だが、まあ、徴兵するまでは只の餌だ。仲間じゃねえ。やることはやらして貰うぜ」
 それを聞いた巨漢の一人がそっとつぶやいた。「欲深め」
 小男はそれを聞き付けた。地獄耳だ。
「抜かせ。どうせお前も遠慮はしない口だろう」
 それから目を光らせて続けた。
「金目の物は俺が貰うぞ。この戦争が終ったら、俺は村一番の金持ちだ」
 初老の男がそれに答える。
「呪われた金がそれほど欲しいのか?」
「金に臭いは無いさ」鼻で笑ってから小男は仲間の一人に聞いた。「お前は?」
「へ、おいらは金なんかいらねえ。人が殺せればそれでいいのさ。
 へ、逃げ回る奴らや、地べたに土下座して命請いをする奴らを殺すのは最高だぜ」
「今度の村はあまり殺すなって命令だ」巨漢の一人が注意する。
 額に皺を寄せて男が捨てゼリフを吐く。
「へ、まあ、いいさ。手が滑べるってこともあらあな。新兵訓練で苛め殺すってのもいいな」
「俺は女だな」頬に白い傷のある男がぼそりと言った。「久しぶりだぜ。女を抱くのは」
「村中の女を抱いたらきっとお前の鼻が落ちるぜ」髭面の男が茶々を入れる。
「村人全員を徴兵するつもりなんだろ? 老人、子供は残すとして、じゃあ、その後で村に火をつけるのは俺に任せてくれ」
 ちらりと城壁の方を見る。目がうるんでいる。
「これなら焼きがいがあるってもんだ。奇麗な奇麗な炎が空に立ち上るんだ」
「それで前の村では何人焼き殺したんだ?」巨漢の一人が言う。
「まあ、お蔭で旨い羊のバーベキューが食えたがな。
 今度の村には旨いものがあるかな?」
「また村を食い潰す気か?
 将軍がしぶい顔をしていたぞ。食料の減り方が激しいってな」
 もう一人の巨漢が笑いながら言った。
「まあ、村なんかいくら潰しても俺は構わんがね。こうして酒さえ飲めれば」
「これだから高い望みの無い奴は」今まで黙っていた最後の巨漢が言った。
「どうせ、この村は人がいなくなるんだろ?
 じゃあ、俺はこの土地を貰うよ。戦が終ったら、ここに俺の城を作るんだ」
「おいおい、じゃあ、戦争の後に帰って来るこの村の者はどうするんだ?」
 鼠面の小男が聞く。
「帰って来ないさ」瞳に何か恐ろしい物を浮かべてその巨漢は言った。「一人もな」
 小男が苦笑するのに合わせて、残りの男どもが大声で笑った。
 焚火が風でゆらめき、男達の影が周りで踊る。

 影に尻尾が生えて見えたのは、目の錯覚か?
 酒壷を温めていた青年はぞくりとした。


 朝までに更に二人加わった。それで全部の様だった。
 東の空が白みかける頃、空になった酒壷を転がして薮に隠しておいた荷車に積むと、シャベルを手にして初老の男は戻ってきた。手にしたシャベルの一本を青年に渡す。
 それから、初老の男はそばに横たわる鼠面の小男を蹴った。青黒く膨れ上がった顔を空に向けて、小男の死体が転がる。
 それを見ながら初老の男が独白の様につぶやく。
「軽い興奮作用、その内に眠くなり、最後に死に至る致命的な毒物。解毒剤の事を知らなかったとは勉強不足だな」
 それから側に立ったままの青年にどうした、と目をやる。
「おじいさん、あの」と青年が話す。
「どうした、人が死ぬのを見るのが怖いか?」
 ふ、と老人の目が柔らかくなる。自分の若い頃をその姿に重ねたからだ。
「違うんだ。僕がこの事に反対したこと、間違っていたって言おうと思ったんだ。こんなこととは知らなかった」青年はうなだれた。
「本当に。おじいさんが正しかった。人があんなふうに獣に変われるなんて想像もしなかった」
「いいんだ。お前はまだ若い。わしはこういう奴らの事を良く知っているんだ。今までにも色々、見て来たからな」
 自分もまた雇兵の経験を持つことは言わなかった。
「さあ、掘るんだ。これだけの死体を埋めるのは大変だぞ。昼までには村に帰りたい。かあさん達が心配しているだろう」
 そう言いながら足下のもう一つの死体をひっくり返す。その顔を見ながらつぶやく。
「朝まで生きられればいいや、か」
 それからシャベルをその男の横の地面に突き立てた。
「朝までは生きられなかったな」