未だ終わらず怪異銘板

未だ終わらず オカルトの値段

 最初に断っておくがこれは怪談話ではない。

 日本人の良くない所は、神様とサンタクロースの区別がついていないことだ。
 何か悪いものに憑かれても、神社かお寺に行けばその場で解決してくれて、しかもお金は結構です、と言ってくれるかのように考えている。世の中には正義の霊能力者が人知れず活躍していて、タダで悩みを解決してくれるように勘違いしている。最悪でも、神社の賽銭箱に百円玉を放り込めば問題は解決するなどと気楽に考えている。

 神様だって慈善事業はしない。慈善ばかりを行う神はやがてやせ細って消えて行く。

 実際の話、オカルトは高い。それも半端なく。もしオカルトが安ければ、それは科学に取って変わっていただろう。オカルトがあくまでも傍流となったのは、そのコストが非常に高いためである。
 色々な話を聞いたり読んだりしているので、そこから推測される相場を簡単に書いてみようと思う。
 もちろん、すべて耳学問である。実際にその値段でいけるかどうかは不明である。またその手の筋に関係しているわけではないことを明言しておく。


1)霊能者を一日雇う 十万円

 これは別に高くはない。一般的な技術企業で技術者をスポットで借りた場合、一日十万円は相場だから。
 技術者の人件費というのはどの世界でもそれほど高い。人材を育成するには長い長い時間がかかるからである。
 霊能者の中には積徳の行として極力お金を取らないようにしている者も多いが、この場合は依頼者の福徳(あの世のお金)から自動的に支払われることになる。世の中にはタダの昼飯はないことを肝に銘じよう。


2)神様に願い事を聞いてもらう 数千万円

 まず願を掛け、最初に百万円を賽銭箱に放り込む。二十一日の願掛け期間の間、神社に参るたびに百万円を放り込む。これだけで満願までに二千百万円が消える。二十一日経っても願いが叶わなければ、聞いて貰えるまでこれを繰り返す。
 実際に、日本での話。お金の神様を祀るある有名な宗教組織では、商売人の信者が教団にある大きな柱に開けた穴にレンガ(百万円の束)を放り込む。一回のご寄付が一千万単位はざらという話だ。その代わり、それができるだけのご利益がある。ご利益が無ければ、こんなことは馬鹿らしくて続けられない。
 賽銭箱に五円十円を放り込むぐらいで神様が動いてくれるわけもなし。
(動いてくれるケースでは依頼者に何か別のものがあり、それを神様が欲しがっている)


3)魔術の技を習う
 一技     五百万円
 秘術一つで  二千万円

 簡単な魔術から強力で複雑な魔術まで、どれも驚くほど高い。これはむしろ当然で、企業秘密だからバカ高くなる。通常、秘密を漏らすとそれなりの報復がある。
 魔術の家と呼ばれるものは世界中にあり、中には魔術学校として生徒を広く募集しているものもある。


4)呪いをかける

 これは呪いの段階により値段が変わる。骨折程度で最低五百万円、呪殺は二千万円から天井知らず。その代わり、呪いの支払い、つまり自分の命は払わなくて済む。かって日本には呪いで生計を立てていた村も存在したという。
 呪いそのものは素人でもよく効くが、非常に危険で大概は自滅に終わる。自分の命と引き換えにどうやっても手がでない相手に一矢報いるというのが呪いの本当の姿である。


5)末期ガンを無かったことにする

 三億円。治すのではなく最初から無かったことにするところが、非常に面白い。



 よくネットなどで、もっと安いオカルト商売を公開しているページがある。
 格安のオカルト事業には三つの解釈がある。

 最初の一つは、非常に素晴らしい行為、すなわち全くの善意からであり、こういった行為は大概が無償か、せいぜい電車賃レベルのお金しかもらわない。つまり積善の行いとしての仕事である。その代わり、助けを受ける側の誠実な行いと思いを必要とする。知恵と小さな助力はしてくれるが、戦うのは自分自身というわけだ。
 オカルトにおける大概のトラブルは相談者自身の自業自得がほとんどだ。きちんと忠告を守り、礼節に正しくしていればそれほど大事には至らないはずなのに、それが大事になるのは、自分勝手な行為が問題をエスカレートさせていることが多い。その結果を善意の第三者に押し付けて逃げようとする者が何と多いことか。嘆かわしい限りである。
 この手のはたいがい口コミだけで施術者が手いっぱいになるので、ネットには滅多に表れない。

 次の一つはそのオカルトの当事者がまったくのインチキであること。目的は怪奇現象に困っている人から金をむしり取ること。これは非常に多い。霊能を宣伝する人間の九割はインチキであり、残ったうちの九割は精神の病気であると考えるのが正しい。もっともインチキをやる者の大半は、やがて本物のオカルト事件にぶつかり消えていくことになる。すなわち、死ぬか、心を喰われて消える。
 それぐらい、オカルトの世界は過酷で危険である。

 最後の一つは、そのオカルト事業自体に何か隠された目的があること。これは意外に多く、しかも最初から罠として行われているので厄介だ。
 ごく普通の霊能者のはずが、実は密かに呪いとお祓いを繰り返して相手を取り込んでいくという質の悪い術師であるというケースである。
 また本物のオカルト教団の教義や儀式の中には必ず、関連性を強化する従属の魔術が隠されている。それは入門という形の請願であったり、身につけるものの一部を差し出させるものだったり、目に見えないお土産を持たせるものなど、さまざまな手段手法がある。一見一番コスパが良いこのケースが、その実一番厄介で始末に負えない。一度罠に入った獲物はそうそう簡単に逃げられない。従って不用意に近づかないのが一番である。

 火遊びは慎むべし。