ただ一人怪異銘板

ただ一人 鬼の腕1

 私の恐怖体験は極めてオーソドックスなものから始まっている。

 すなわち、金縛り。

 中学生の頃、仏壇の中に亡き父が残したお経の本を見つけたことがそもそもの始めである。父もこの手のものが好きで、小さな新興宗教の支部をやっていた時期もある。
 恐らくはそのときに集めたものの一つであろう。内容を分かりもしないのに、漢語に振ってあるルビを頼りに一巻の経本を読み終えたときから、それは始まっていたのだと思う。
 それまで怪奇現象とは無縁だった自分の身に様々なことが起き始めたのだ。

 その代表格が金縛りである。

 金縛りは日本で非常によく見られる心霊現象である。欧米にも似たような現象はあり、スピリチュアル・バインドと呼ばれるが、日本ほど頻発することは無いものらしい。
 そのほとんどが仰向けに寝ている際に生じる。体育座りをしている状態での金縛りは聞いたことが無いが、立ったままの人間を金縛りにすることもあるのは、別途仁藤牧師の話に散見される。
 金縛りにはいくつもの段階がある。軽い金縛りでは体の一部だけは動くことが多い。私の場合は、右手の小指だけが動くことが多かった。いろいろ話を聞いていると、金縛りにかかる人はだいたい似たようなもので、右手の小指が動くことが多い。小指を必死で動かしているとだんだん他の指も動くようになる。薬指が動き、やがて中指が動き、人差し指が動く。そして手首が動くところまで行くと金縛りは解ける。まるで今まで体が動かなかったのがウソのように、さらりと体が動くようになる。

 さて。重い金縛りになると、その小指さえ動かせなくなる。全身くまなく完全に麻痺する。ただし、感覚は保ったままである。求心系神経は影響を受けず、遠心系神経だけが影響を受けるという実に奇妙な状態だ。むしろ筋弛緩剤を投与されるとこんな感じになるのだろうか?
 脳から出る命令が頭蓋骨の後ろの背骨との継ぎ目、後頭孔のあたりで消えるのがわかる。どれだけ努力しようが体はぴくりとも動かない。
 金縛りの最中は声もほとんど出ないし、深呼吸もできない。だからできるのは小さくうめくだけである。ゆえに助けを呼ぶことさえ出来ない。

 よくテレビの怪奇解説番組では、鼻高々に金縛りの科学的解説を行う。いわく、それは頭が目覚めて体が目覚めていない状態である。いわく、それは恐怖で体が硬直している状態である。代表的なのはこの二種である。
 一つの現象に二つの異なる説明が成立すること自体が奇妙なのだが、そのことは気にならないようだ。もちろん、最初から答ありきの解説なのだから、ろくに論理が通らないのは当たり前なのだが。

 もう少しだけ、科学的観点から金縛りを深く考えてみる。

 まず頭が目覚めて体が眠っている状態。入眠の前駆状態という説だ。半分夢見の中にある、つまりは起きていて体が動かないという夢を見ているという理屈である。
 この説の厄介なところは、論破する方法が無いということだ。この世のすべては自分が見ている夢幻という唯我論の変形であり、唯我論はそもそも証明の方法が無い。これは裏返せば、この世のすべては神の意志で成り立つという狂信と同じものなのだが、科学という名前をつければ通るらしいのが笑える所でもある。


 中学生の夏休み。ある実験をした。

 人間はどこまで眠り続けることができるかだ。毎日ベッドの中で過ごし、何もせずに眠ろうと試みる。これは今から振り返ると非常に危険な実験であった。人体の睡眠リズムが狂ってしまうと様々な病気が引き起こされる可能性がある。だが、そんなことまで考えが及ぶはずもない。若さというものは無知なるが故の危険を常にはらんでいる。
 だんだんと睡眠時間は長くなり、二週間後には一日二十時間を眠ることができるようになった。そのあたりが人間が健康に眠ることのできる限界のようで、何かあるたびに強烈な頭痛に悩まされることになった。恐らくは血圧の変化によるものだ。痛みに耐えかねて実験は中断したのだが、そのときに一つ面白い体験をした。
 夢を意識して創ることができるようになったのである。眠りが深くなると、まず周囲の闇が深くなる。続いて体の感覚が引いて行き、暗闇の中に自分の意識のみが浮いている状態になる。これこそが入眠前駆状態。そこで暗闇の中に光景を思い描くと、それは定着し、それなりの法則に沿った動きを見せるようになる。一種の現実シミュレーターだ。ここで意識を集中しすぎると体の感覚が戻り、目が覚めてしまう。意識を抜きすぎると、夢は勝手に進み、本物の眠りになってしまう。意識を集中しすぎるでもなく、しなさすぎるでもなく、中庸を保つのはなかなか難しい。現実と睡眠の狭間にて、夢と遊ぶのはなかなか楽しかった。
 金縛りはそれとはまったく違っていた。意識は明確で、しかも全力で逃げ出そうと努力している。それでも体はぴくりとも動かない。もしこれが体が眠っている状態だと言い張るならば、危機的状況にあるのに動けないということになり、完全に生物としては失格。つまりはあり得ない話である。
 さらには動く箇所が右手の小指というのも変だ。神経障害の場合は細い神経から麻痺する。例えば、神経異常により手が麻痺する場合は、小指側から真っ先に麻痺する。従って、もし動くとすれば、親指のみが動く、が正解のはずだ。だが実際には、小指だけが動く。これでは単に神経の症状だと言いきれぬものがある。

 もう一つの説、恐怖説も穴だらけである。確かに金縛りと恐怖はつきものだが、それは金縛りにされるから恐怖するのであって、恐怖するから金縛りというコースではない。世の中には豪胆なものも居て、金縛りにあってもまああいいや寝てしまえ、で寝てしまう人もいるという。この場合、恐怖などどこ吹く風である。
 人間は狸ではなく長時間続くような偽死機構を持っていない。恐怖で体が動かない程度のことはあっても、指一本動かないようなことにはならない。もしカタレプシー(緊張症)のような重度の障害がこれほど普遍的に存在するならば、それこそ、議論のレベルは異なり、国家を挙げて調べるべき重大事であるとも言える。



 思春期は金縛りとそれに伴う怪異との闘いで終わった。闘いと言えば聞こえはよいが、実際は一方的に蹂躙されただけなのだが。
 それは高校生のときに、密教の門を叩くことで終わりを告げた。

 当時新興宗教として出た密教の分派の一つに入門したのである。
 今にして思えば、この宗教の教祖自体はインチキであったと思っている。だがそれでも、古くから伝えられてきた密教の技法はそれなりの力を持ち、またそのような団体に所属すること自体が意味を持っていたのだろうと思う。
 いじめられっ子が空手道場に入門するようなものだ。本人が強くなるわけではないが、背後に怖いお方たちがつくことでいじめっ子が来なくなるのだ。
 あれほど悩まされた金縛りも怪異もぴたりと出なくなった。

 今では護身法も覚え、オカルト知識も身につけ、それなりに戦う力もついたとは考えているが、それでも一つの課題だけはいつも頭の片隅に残っていた。
 すなわち、また金縛りが始まったら、どうやってそれと戦うのか、である。

 不完全型の金縛りは、慣れるとさほど怖くはない。体の一部は動くので、そこからだんだん動きを大きくして行けば最後には解くことができる。金縛りに慣れると、小指の動きから手首のひねりまで、金縛りの解除がスムーズにできるようになる。ときどきオレは金縛りを解くことができますという人がいるが、どれもみな同じやり方で解いている。

 だが、完全型の金縛りは厄介だ。出現する怪異のランクが上がると、金縛りは完全型になる。

 まず完全型金縛りは指一本動かすことができないので、手首を動かすようなやり方では金縛りを解くことができない。
 そして厄介なことに呼吸も自由にはできない。恐らくは自動発動の弓射神経のみが働き、深呼吸に必要な横隔膜への意識的指令はカットされるためだ。
 深呼吸ができなければ、空手の息吹のような呼吸法で気を強化するということができない。
 何かの怪奇小説の主人公が深呼吸と発気法で金縛りを解くというのがあったが、そもそも無理な話である。作者自身が完全型金縛りに遭ったことがないのだろうと思う。
 さらには呼吸がままならないので声が出せない。従って経文や真言や祓いの祝詞を唱えることができない。心の中で唱える経はよほどの修行を積まねば効果は低い。むしろ仁藤牧師の話でやっていたような、金縛りにかかった状態で聖書の文句を唱えることができること自体、凄まじい修練の賜物なのである。

 このような状況なので、まさに打つ手が無い。人間というものがいかに肉体に依存しているのかということである。

 問題の宗教教団の俗物ぶりに嫌気が差して止めて以来、この課題の急務さは増していた。守りの輪から外れた以上、いつ次の金縛りが始まるのか予想がつかない。

 そこで私は対策を練ることにした。完全に金縛りにかかっている状態で、どうやれば金縛りを破ればよい?

 眠らない、は問題外だ。何度も体験したように、怪異がその気になれば、ほぼ毎日でも襲撃することができる。
 金縛りに掛かりにくい姿勢で寝る、もダメだ。寝返りを打って仰向けになった瞬間に金縛りをされるだけに終わる。
 守護円を張るというのはかなり良い手だが、張り忘れは必ずある。人間はそこまで注意深くはない。
 守護刀を枕元に置く、は基本だが、強い相手では効き目が無い可能性がある。

 やはり金縛りにかかった状態でもそれを打ち破る手段が必要だ。どうすればよい?
 辿り着いた答えは、オカルト現象にはオカルトな答えが最適ということだ。金縛りに遭うのが問題ならば、金縛りにかからない道具を用意しよう。肉体が動かないなら、肉体以外のものを用意しよう。


 西洋魔術には使い魔を作る方法がある。

 使い魔とは、魔術師が自分の手足のように使う霊的な存在である。東洋魔術では生霊や狗神、式神などがそれに当たる。
 私が目的としたのは使い魔の変形である自分の体の延長である。つまり金縛りに掛からない肉体ではない腕がもう一本あれば、問題は解決する。

 術の名は「鬼の腕」と名付けた。
 ちょっと恥ずかしい名前だが、名は体を表す。そのものずばりのイメージが湧く方が術のできは良くなる。魔術はイメージ、想像力を使って現象を操作する。イメージの捉え方を間違えると術は暴走する。術が暴走すると、術者は大概死ぬ、と聞き及んでいる。

 使い魔を作る方法の始めは、それを想像することである。細部まで綿密に姿形を想像する。それがまるで本当に存在しているかのように感じ、動かすようにする。
 人間の脳には、道具を手足の延長のように感じるようになる機能がある。車の運転に慣れた人は車のタイヤに触れる地面の感触を正しく感じ取れるようになる。この機能を応用したのが使い魔創造の第一段階である。
 腕の外見を想像する。できるだけ強そうに。鋭い鋼鉄の爪をつけた。これは攻撃を中心とした腕なのだ。
 腕の機能を想像する。骨の位置。強度。筋肉の構造。血管の役割。肩の骨との結合を夢見、感じ取る。
 流石に見栄えが良くないので、腕毛は生やさなかった。
 やがて右肩の後ろにもう一本の腕を感じるようになった。
 それは誰の目にも見えない、そして自分にも見えない腕だが、確かに存在すると神経が感じる想像上の腕だ。いつもは邪魔にならないように体の傍に重ねておくか、意識から消し去っておく。
 使い魔の創造にはさらに第二段階と第三段階があり、これらを経ない限り、実際の物理に干渉するレベルには達しないと言う。そこまでは必要ないので先には進まなかった。魔術はかならず支払いを要求する。先に行けば行くほど支払いは大きくなる。これは、科学的機器の動作に必ずエントロピー変化を必要とするのと対を成している。

 すべて作り上げるのに五年が経過した。
 さあ、後は実際の金縛りで実験するだけだ。

 と言うところで、困った。金縛りにはここ二十年ほど遭っていない。
 天の神様、天の神様、お願いです、金縛りを下さい。と頼んでみる。
 あれほど金縛りから逃げたがっていたのに、今更このお願いである。我ながら呆れたものだ。

 ほどなく、金縛りに遭った。

 何という幸運! というより、何者かは知らぬがお願いを聞いてくれた。それも完全金縛り。指一本動かせない。
 どこかでじっと見ていたんだね・・。
 恐怖は全く無かった。なにせこれはこちらからお願いしたのだ。
 動かぬ体のことは一端忘れて、鬼の右腕に集中する。その存在。肩の骨の背後からつながるもう一本の腕。ぎりぎりまで引き絞られた筋肉。そこに込められた力。
 意識を整え、気を高める。鬼の右腕の爪先をピンと伸ばし、槍の穂先のように突き出す準備をする。その想像の腕を突き出して、つられてピクリとでも現実の体が動けばしめたもの。それで金縛りは解けるはずだ。
 体の背後には敷布団。鬼の腕には実体がないので腕を引いてもどこかにぶつかることはない。
 空手の抜き手の要領で鬼の腕を突き出した。
 鬼の腕が分厚い掛け布団を何もないかのように突き抜ける・・はずだった。
 何かが、想像上の腕の先に触れた。それは抵抗を増し、鬼の腕が突き出されるとともに持ち上がった。腕の先を頂点にして、全身から何かが持ち上がる。絹のように滑らかで、かすかに湿り気を帯びた薄い薄い布のようなもの。想像上の腕に抵抗を感じて驚いたが、それでも突き出す腕を止めはしなかった。ぐんぐんと布が伸びる。張力を感じる。一体これは何だ!?
 まるで蜘蛛の糸を織り込んで作った異様に目の細かい網。それがテントを立てたかのように鬼の腕の爪先を頂点として伸びあがっている。
 鬼の腕のするどい爪先に、網が裂けた。破断したのだ。謎の網は空中でばらばらの砕片になると、全身に降り注いだ。それは布団と寝間着の布を何もないかのように通り抜け、全身の皮膚の上に散った。微かな冷たさを残して蒸発する。まるで粉雪を全身に浴びたかのような感じだ。
 金縛りが解けた。布団の上に起き上がる。

 今のはいったい何だ?
 あれが金縛りの正体なのか?


 一般の人間に理解してもらえるかどうかは不明であるが、これが私の最後の金縛り体験である。最初に金縛りに遭ってからここまでほぼ三十年近くを要している。
 いかに金縛りとそれに続く怪異を、入眠時幻覚だとか、一時的な神経麻痺だなどとそれらしき解説をつけても、現にその現象に悩まされている人間には何の役にも立ちはしない。科学もどきのいい加減な説明をつけて研究を怠ることは、それらに悩まされ苦しむ多くの人間を見捨てることに他ならない。
 だいたい普通の人間の二割が金縛りにあったことがあるのだ。その対策一つ練らなくてどうするというのか。
 これを読んだ人間から何を言われるかと思うと怖い気もするが、それでもあえて自分への戒めの意味も込めて、この体験を公開し、この手法をここに公開しておく。


 ここから先はただの推測だが、金縛りの正体は霊気で編んだ非常に目の細かい網のようなものではないかと思う。これを寝ている人間の上に掛けると、網自体の重みで人間の霊体はわずかに沈み込み、肉体からずれる。体の上に網をかけると、ちょうど首の後ろ当たりで霊体と肉体の接合が外れ、手足の自由が奪われる。つまるところ、これは一種の強制幽体離脱である。そう考えると、仰向けの姿勢で金縛りが効くのも頷ける。横向きなどでは霊体のずれ方が足りないのである。
 また不完全型と完全型に分かれるのは網の大きさおよび厚みに影響されているのではなかろうか。完全型金縛りは網が大きく重いのである。そう考えるとさらに思うのは、この手の繊細かつ芸術品とでも呼べそうな網は値段が高いのではないか、ということだ。もちろん、あの世の値段でだ。もしこの金縛りの網が安いものだったら、すべての金縛りは完全型金縛りになっているだろう。
 さらに思う。あの世には、こういったものを貸し出す、あるいは扱うことを専門とする技術屋集団がいるのではないかと。生きているときに金縛りができなかった人間が、死んで幽霊になると金縛りができるようになるものか、というのが私の持論だからだ。人間にはそこまでの学習能力はない。
 仏教の概念では、あの世で使う金のことを福徳と呼ぶ。善い者は善い者なりの福徳を持ち、悪い者は悪い者なりの悪徳を持つ。その徳を使って、金縛りの技術者たちの助力を買っているのだろう。そう考えると、何となくぴったり来るのである。

 とにもかくにも、一つはっきりしていることがある。私はその技術者集団たちに、金縛りの網一つ分の借りがある。
 そして私の名前は彼らのブラックリストに載っている。