業が渦巻く怪談銘板

業が渦巻く:信仰と宗教と

 高校生になった年、新興宗教の門を叩いた。当時売り出し中の密教系の進行宗教である。入門理由はいろいろあった。怪奇現象に襲われ続けていたこともあったし、人生に関してもいろいろと煮詰まっていた。自分を変えようとも思っていた。怪奇現象を除けばどれも青年期にはよくある話である。
 結果は成功でもあり、失敗でもあった。
 金縛りの類はぴたりと鳴りを潜めた。生臭な教祖による本流とは言えない新興の流派でも、伝えているのは形ばかりは正しい密教技法だ。それなりに効き目はあったようだ。
 その代わりに見せられたものは人間の果てしなさ。欲望と愚かさと傲慢が渦巻く人間絵巻であった。
 宗教を小馬鹿にする人はよく、宗教に入る人を、他にすがるしか能のない惰弱と考える。だが実態は少し違う。もちろん惰弱なものもいるが、そういうのはむしろ少数派である。大部分の人間はこの言葉に尽きる。
 強欲。

 あるものは物欲を全開にする。毎日いそいそと神仏に備える供物を変える人がいる。供えた果物が一日経っただけで、傷んでいると言って変えてしまう。そして変えた果物はあたしが捨ててあげると全部持って帰ってしまう。自分が営んでいる夜のお店で使うのだ。もちろん、供物の購入費用は宗教団体の会計から出ている。体のいい横領である。
 あるものはお金だ。怪しげな御札などを新入会員にこっそりと売りつける。後輩がお金を持っていると知ると借金を申し込む。そんな連中が大勢いた。もちろん教団はこのような行為は禁止している。新入会員の持っているお金を吸い上げるのは教団の権利だからだ。
 またあるものは優越感だ。こういう人は会合場所に来て自慢話ばかりする。会員番号が古いことを誇り、自分たちが教団の幹部に近いことを誇る。
 ある年、教団の宣伝用のビラをご奉仕の名目で配りに行ったときのことだ。これから配る場所の説明をしますと、担当の人が皆を集めると、地図を指差して最初に一言こう言った。
「ここはぼくが配りました」
 次の場所を示してまた一言。
「ここもぼくが配りました」
 さらに次を示して鼻を膨らましながらもう一言。
「ここはぼくが半分配りました」
 嫌になる。
 そのままビラを配りに行くと、帰り際に一人のおじさんが言う。
「ここには四人いる。帰りはタクシーにしよう」
 さあさあ、乗った乗った。他の人をまず乗せて自分は一番最後に乗る。タクシーが教団の道場に帰り着くと、おじさんは真っ先に降りて真っ先に消える。他の連中も同じ。最後に残ったものがタクシー運賃を払えとばかりにそそくさと消える。いい年をした大人たちが、高校生の寂しい懐を集って恥ずかしくないのかと呆れた。
 徳を積みに来たのではないか? それなのに業を積んでどうする?
 彼らとは目指すところが違うのだと思わせるに十分であった。
 中には、単純に食欲を全開にする者もいる。教団の道場に有志が寄付という形で作業者のためにカレーを作って置いてある。もちろん、材料費もお布施の気持ちでみな自腹で出している。そこに毎日やって来て、カレーを食べる青年がいる。食事を食べたものはお気持ちばかりの寄付をすることになっている。青年は毎日百円玉を一枚だけ入れていた。一食百円の昼食。おまけに何か善行をほどこしたような気分に浸ることができる。何と都合の良い頭。
 一言で言うならば信徒の多くは腹を空かせた餓鬼の群れ。彼らが食らうのは他人の善意である。

 だが、そんな人々の中でも、真面目に信仰を行う者たちは少数ながら必ずいる。そういう人々は他の人々には混じらず、孤立した小さなグループを作って頑張ることになる。あらゆる宗教組織はこういった本物の信仰心を持った人々により支えられていると言っても過言ではない。目立たず活動し、他の信者から金をむしらないが故に、教団そのものから疎まれることになる彼らこそが真の信仰の中核なのである。
 こういった人々は決して惰弱ではない。みな強烈な信念の持ち主だが基本的に狂信はしない。神仏を盲目的に信じたりはせず、常に己の良心に従って問いかける。そして間違っていると知ると、次の神仏を求めて他の宗教に移ることが多い。たいがい複数の宗教遍歴を持っているわけである。特にキリスト教出身者が多かったのは、現在の日本では宗教概念自体を教え込むことがないため、信仰というものを理解するのはキリスト教をベースに始めた者が多くなるという理由かと推測した。
 彼らの祈りは無色の祈りだ。何かが欲しいという祈りではなく、何も求めぬ祈りである。神仏に頼るのではなく、逆に神仏の身を案じている。こんな私たちを見守るなんて大変なことをして神様どうか体を壊さないでくださいと、そんな気持ちで祈るのだ。そこには自分の救いが入っていない。自分の身は自分で救うという気概に満ちている。

 最後に、宗教組織には、本物の怪奇現象に悩み、助けを求めてやって来る者も大勢いる。
 母はそのような人たちの相談に乗ることが多かった。そうやって地道に人を助けていると最後には、あの人に任せれば大丈夫との評判が立つことになる。名が出れば出るほど所属している組織から憎まれることになるので、結局ある時点で身を引くことになった。別にこれらの相談から何の報酬も得ていなかったので、それは寧ろ渡りに船ではあったが。
 表向きは食べていくこともできなくなって息子に頼るような形での都落ちの形式を取り、その実、仏より依頼された仕事を終えて悠々自適の隠居生活への突入であった。
「貴女は本当にうまい抜け方をしましたなあ」
 秘密の勉強会のメンバーがそう感想を述べていたようである。

 その間にも教団は発展し、教祖はますます恥ずかしい人間に変わっていった。
 趣味としている競技に、自分の名前がついた大会を催し悦に入った。もちろん原資は信者の浄財である。うちの教団の宣伝のためと但し書きをつけて。
 さらには信者が出した寄付を使って大伽藍を作り、こう宣言した。いくら以上出した人間にしか足を踏み入れさせない。
 続けてそもそもの最初から拝み続けていたご本尊の仏さまを他のものに切り替えた。それを機に自力救済が売り物だったはずの教義は他力本願に切り替えられた。

 まさに堕落。
 それを持って母ともども教団を捨てた。ちょうどの機会なので故郷から母を連れ、新天地で暮らすこととした。