少年時代怪談銘板

第七話 呪詛の村

 四十五年前、つのだじろう氏の「恐怖新聞」という恐怖心霊漫画の走りが大流行したことがある。
 その中に四国にある呪詛を生業とする村同士が式神を打ち合い、お互いの村を焼くという話があったように覚えている。村全体が拝み屋の集合でできていて、表はお祓いや祈願、裏では呪詛を請け負うのである。
 四国は日本の中でも神界霊界体系が異なり独特の世界を形作っている。本土では狐優勢なのに、四国では狸優勢だとか、色々と面白い。ここにしかないいざなぎ流陰陽道などその最たるものである。

 これを当時はへ~という感じで読んでいた。呪詛の村同士が殺し合うなどということもあるかも知れないなと思った。
 まだ怪奇現象に出逢い始めた端緒のことである。
 ちなみにこの火で焼くという行為は神たちがその場を離れるときの作法である。立つ鳥跡を濁さずというが、後を濁さないようにすべて焼き払うのである。オカルト的には火は浄化の力を持つ。そのため神社などでも火が出たところには神はもう住んではいない。一からすべて清めて召喚し直す必要があるのだ。

 ある暑い夏の日、テレビのニュースで四国の村で火事が出たとの報道が流れた。いつもなら興味なく聞き流すニュースに耳を止めたのは、その村の名前にある特徴的な漢字一文字が使われていたためである。
 普通なら自らの村にそんな漢字は使わない一文字だ。
 ああ、と思った。呪詛の村はこの一文字を入れることで、自分たちが呪詛の村であることを暗に示しているのかと直感したのだ。悪いことをしていますとの宣伝をどうやって行っているのかと不思議だったが、これなら間違いようがない。
 奥深くにある村にこんな名前がついていたら、旅人も迂闊には近寄るものではない。だから呪詛を頼みに行った者が誰かに目撃されることもない。秘密を宣伝し、同時に秘密を守るのに実に好都合だ。
 昔の人の知恵は凄いものだなあ、うん。

 次の日、新聞を見て驚愕した。
 その日、燃えた村は四つ。すべてあの一文字が村の名前に入っている。
 式を打ち合ったな。そう思った。
 どの村もその一文字に一口で食われたのだ。