妖怪考銘板

河童考

 河童という妖怪を知らない日本人はいないだろう。河童はそれほど有名な妖怪である。そしてほぼ日本全国に出没する妖怪でもある。
 しかし問題はさまざまな伝説が混ざり合い、その実体はしかと分からぬものになってしまっている。ある河童は神通力を持ち、空を飛ぶ。ある河童は相撲を取り、頭の皿の水を失うとその怪力を失う。ある河童はキュウリを好み、人間の女に悪さをする。

 伝説に描かれる河童は千差万別。どうしてこうなるのであろうか?

 その理由は単純だ。水辺に出る妖怪はすべて河童の名前で一括りにされてしまうからである。ホオジロもカラスもセキレイもすべてスズメと呼ばれてしまえば、分類学が大混乱するのと同じわけである。川辺で怪奇なことが起きて姿が見えなければそれらはすべて河童の仕業となる。まさに思考停止の好例である。

 さて、日本に出る河童は大きくわけて二種類になる。一つは蛙型。もう一つは猿型である。
 蛙型の河童はほぼ皆が抱くイメージ通りの河童である。ぬめりとした粘液質の肌。肌の色は緑色を想像するであろうが、どちらかと言えば生白い肌色が多い。他にも青色の報告例もある。頭には皿があり、くちばしを持つ。怪力であり、頭の皿の水をこぼすと力を失う。これは一種の両生類の特徴を持った生物としての河童である。
 これと比較して、猿型の河童はちょっと趣が異なる。猿型は小さな水たまりから無数に湧いて出るという能力を持つ。水たまり一つに千匹が棲むともいわれる。全身に猿のような毛が生えてはいるが、水棲であり、まさにその能力と合わせると妖怪そのものである。
 猿型の河童は出自が中国にさかのぼることができる。水の中に棲む猿の怪物ということで、そのルーツは孫悟空にまで遡る。

 この二種が同じ妖怪であるとはとても思えないというのが正直な感想だ。

 さらに歴史を紐解くと、もっと奇妙な河童が現れる。
 古文書の中に記述されている河童は、甲羅を持ち、頭に皿を持つ蛙型河童であるが、頭の皿は開くようになっていて、この中に水を蓄える。だから逆立ちしても水はこぼれたりしない。お尻には肛門が三つあり、水中ではそこからおならを吹き出しながら自由自在に進むことができる。
 これではもう河童という存在ではなく、地球文明探査にやってきた宇宙服に身を包んだ宇宙人である。

 時は流れて、近代、つまり大正辺りの河童はもっと奇妙だ。
 この河童は、蛙型というより人間型で、頭に皿がある代わりに頭が凹んでいる。言語は使えず、それでも人間の女を犯して河童の子供を産ませることがある。
 ここまではごく普通にある妖怪河童談である。問題はここからだ。
 この河童、実は雌馬も襲う。襲われた馬は仔馬を生むが、その仔馬の頭は凹んでいる河童馬となる。

 話が見えて来ただろうか?

 もしかしたら、と思うのだ。
 それは妖怪ではなく、ある種の人畜共通型性感染症であり、感染すると小頭症を引き起こす、もしくは頭蓋骨発育不全を引き起こすものではないのだろうか?
 それを見てきた昔の人々が、色好みの河童として妖怪談の中に一括りにしてしまった可能性は、もちろんある。
 恐ろしい奇病が産み出す河童たち。

 これらすべてが日本全国に広がる河童という一大ジャンルに、何も考えずにまとめられてしまっているのである。