馬鹿話短編集銘板

軌道エレベータ

「皆さま。軌道エレベータ8号。3分後に出発します。チケットを持参の上、チケット記載の番号のエレベータの前にお集まりください」
 地球外軌道上の歓楽の都パラダイス・シティまではほぼ一時間の旅だ。エレベータとは言っても内部はかなりの広さがあり、椅子が所狭しと並んでいる。
 周囲には超張力を誇るカーボンケーブルが何本も林立している。開業当時は一本きりだったが今では十本以上が天へと伸びている。そのすべてにイモムシを思わせる軌道エレベータが張り付いている。

 軌道エレベータには添乗員が最低一人乗ることになっているが、今日は新人教育も兼ねて二人だ。
 行程はすべて全自動なので実を言えば添乗員は不要なのだがやはり専門の係がいないと乗客が不安になるという問題が指摘されて、今ではこうなっている。
「よろしくお願いします」
 新人が頭を下げる。おや、最近の若者にしては珍しいなと思いながら搭乗員室へ呼ぶ。
 出発前に客室を巡回してお客様がきちんと椅子に座っているかどうかを確認する。大したGはかからないので無理に椅子に座る必要はないのだが、重量バランスを崩すとそれだけケーブルに負荷がかかるので良くないこととされている。
 時間が来ると柔らかなチャイムと共に電磁推進システムが穏やかな加速でエレベータを運び上げ始める。ケーブル表面に埋め込まれているクラップを電磁力が捕まえて登るのだ。
 エレベータの周囲は透明な合成樹脂のメルクリウムで囲まれているので、客席の半分からは周囲の絶景を見ることができる。残りの客席は全面が壁で覆われていて外は見えない。高所恐怖症のお客様も多いせいだ。
 床はすべて金属で作られていて直下を見ることはできない。たまに全面透明にするべきだとのクレームが来ることもあるが、そういうわけには行かない。
 搭乗員室は外が見えるようになっているので、添乗員が高所恐怖症では務まらない。もっともこちら側からは他のケーブルが目に入って折角の絶景が少し興ざめだ。
「スゲー」
 窓の外を見ての新人君の感想はそれだった。
「僕、これに乗るの初めてなんです」
 さんざ感動するのでちょっと驚かしたくなった。どのみちいつか知ることだ。
「面白いものを見せてやろう。だが一つ約束しろ。俺がいいと言うまで絶対に声を出すな。出すとヤバイことになる」
「いったいなんです?」
「約束しろ。でないと見せない」
「わかりました。約束します」
「絶対だぞ」
 念を押してから搭乗員室の床に設えられているハッチを引き上げた。その下はやはり透明樹脂で覆われた窓になっている。
 そこに自分たちのエレベータがしがみついているケーブルが見えた。
 新人はそれを覗き込んで絶句した。
 あれは・・と言いそうになって俺の手で口を塞がれた。
「声を出すなと言ったぞ」俺は睨みつけた。
 どうせもう遅い。やつらは気づいた。
 覗き窓から見える眼下のケーブルに黒い塊が群がっていた。よく見るとそれは真っ黒に汚れた裸の人間たちだ。それらがケーブルにしがみついて山となり、お互いを蹴落としながら必死で登って来る。

 新人が目で訊ねてきたので俺は説明してやった。
「開業前からなんだ。軌道エレベータが完成してから誰もが気づいたんだが、エレベータを動かすとやつらが群がって来る。こちらの声に気づいてケーブルを登って来るんだ。どこから湧いて来るのか知らないが、ひたすらにエレベータを追ってケーブルを登って来る。上に上がれば周囲は真空になるのに、それもお構いなしだ」
 俺はため息をついた。
「他のエレベータも同じだ。当のエレベータから直結している下のケーブルを見た場合だけ奴らが見える。横からでは何も見えない」
 ケーブルに群がる黒い影たちはお互いを押しのけ引っ張りあい、少しでも上に上がろうと蠢く。たまにその人の山から転落するものもいる。
「科学者たちはサジを投げたよ。バリバリの怪奇現象だ。お祓いもやったがちっとも利かない。霊能者の言うところではあれは地獄の亡者どもで、このでっかいケーブルが天から垂らされた蜘蛛の糸に見えているらしい」
「追いつかれるのでは」震える声で新人が言った。
「パラダイス・シティに着いた頃にはいつの間にか消えている。恐らくは上に登る過程のどこかで、彼らに取っての蜘蛛の糸が切れるのだろう。
 公団はあらゆる手と打ったがどうにもならないので、こうしてエレベータの下側はお客様には見えないようにして運用するようにしたのさ」
「でもどうして」だからお前は声を出すなって。
「知るか」俺は吐き捨てた。「奴らもパラダイス・シティに行きたいんだろ」

 しばらく二人でカーボンケーブルをよじ登る彼らを見ていたが、やがてハッチを閉じて業務に戻った。
 次の新人が来るまでは再びこのハッチを開くことはあるまい。