馬鹿話短編集銘板

フグ吉くんさらに頑張る

 俺は桜のフグ吉。
 変な名前だって?
 そりゃ俺も承知の上だ。だけど親木から貰った名前に子木が文句を言う筋合いはない。自分を恥じるよりもこの名を笑った相手をぶん殴る方がずっと筋が通っている。

 俺には一つ、でっかい悩みがある。
 それは死体だ。
 その昔、人間の偉い文豪が言ったそうだ。
『桜の木の下には死体が埋まっている』と。
 その人間がどうやって俺たち桜の最大の秘密を知ったのかは知らない。だがそれは真実だ。
 一人前と言われる桜の木はどれも立派な死体がその下に埋まっている。例外はない。だから死体が埋まっていない桜の木はただの半ちく者として扱われる。
 それが俺の悩みの種だ。
 俺はこんなに立派な枝ぶりに大きな体躯で、春にはそれはそれは見事な花を咲かせる。それでも死体が埋まっていないために、俺は他の桜の木から馬鹿にされ続けている。
 ひどい話だ。

 だが己の身の不運を嘆くよりはまず一歩でも前進することだ。そう、俺はポジティブなのだ。
 俺は自分の木の下に埋めるべき死体を探し出すことにした。
 今の日本は死体は出来た端から焼いて灰にしてしまう。だから死体そのものを手に入れるのは難しい。そこで発想を転換してまずは死体を作ることにした。幸いこの国には一億人近い人口がある。少しぐらいくすねたって問題はない。
 だがこの試みは失敗した。与しやすそうに見えた相手が驚くべき反撃をしてきたのだ。俺とその人間は力の限り戦い合い、そうこうしている内に桜の季節は終わり、俺は再戦を約束してその場を去った。

 俺はなんて馬鹿なことをしたんだと後で悔やんだ。
 結局のところ問題は何も解決していないのだ。そう、俺は次の一年が待てなかった。
 思い余って遠い親戚である泰巌じいさんに相談した。
 泰巌じいさんは五百歳を越える桜の木の大長老だ。その身分にも関わらず俺の相談を笑わずに辛抱強く最後まで聞いてくれた。
「フグ吉よ」じいさんは言った。
「お前の真の望みは何だ? 他の桜の木に尊敬されるのが夢であろう? ならば普通の死体で良いわけがない」
「どういうことです?」
「儂の死体を見ろ」
 そう言うと泰巌じいさんは自分の手持ちの死体を取り出してみせた。それは古い古い死体で元は綺麗な衣装だったと思われる古衣に包まれた干からびたミイラであった。その死体は元は武将のものらしく髷を結っている。
「これはな右大将織田上総介信長殿の遺骸じゃ」
「!」
「本能寺から逃げようとしている所を儂が襲って自分の死体としたのじゃ。よいか、フグ吉。ただの死体では駄目なのじゃ。他と異なる偉大な者の死体を埋めて初めて桜の木としての格がつくというもの」
 俺は泰巌じいさんの言葉に感銘を受けた。そして自分が何と低い所を目標としていたのかを理解した。
 誰もが羨むような死体を手に入れること。
 それが俺の新たなる目標となった。



 やはり有名な人の死体でなくては駄目だ。
 そこで俺はこの国で一番有名な人を狙うことにした。日本人なら誰でも知っている人、すなわち天皇陛下だ。
 夜の闇に紛れて皇居に近づく。人が通りかかったときは街路樹のフリをしてやり過ごした。俺ぐらいの歳の桜の木はどれも歩くことができるし喋ることもできるが、人間が二人以上いる場所でそれをやるのはタブーとなっている。一人なら夢を見たで済まされるが、複数だとゴマカシが効かないからだ。もちろんスマホで撮影されるのなんかは最悪だ。
 少しづつ少しづつ皇居に近づく。さすがに皇居の門にはいつも人間の警官の目が光っているので通り抜けるのは無理だ。
 そこで俺は掘に飛び込んだ。派手に水しぶきがあがる。それでも俺は木だから水には浮く。水音を聞いて警備がやってきたが、堀に浮いている俺を見て舌打ちし、明日は引き上げの連絡をしなくちゃなどとブツブツ言いながら引き上げていった。
 人気が無くなると俺は両枝を振り回して水を掻き前へ進んだ。そのついでに葉っぱについていた桜毛虫が軒並み洗い流される。結構いい気分だ。今度から水泳を趣味にするかな。
 その先は大変だった。自分でも驚くべき苦労をして堀の石垣を登る。
 さて、天皇陛下はどこにおわします。皇居の中を適当に当たりをつけて歩き回る。
 ここでも人に出会うと街路樹の振りだ。意外と誰も俺のことを疑う人間はいない。桜の木は歩き回らないという人間の常識が俺を透明にしている。
 どうしても見つからないので、元からここに植わっていた桜たちに道を尋ねてみることにした。
「あのう。すみません」
「なんだ。あんた見ない顔だな」
 実はこういう木でして。天皇陛下を死体にして俺の木の根元に埋めようかと・・。
 そこまで説明した段階で相手が激怒しているのに気がついた。
「こんカバチが。言うに事欠いて陛下を弑し奉るだと! おい、みんな、集まれ。この不敬者をタコ殴りにしろ!」

 タコ殴りにされた。
 俺は這う這うの体でまた堀に飛び込むと全力で泳いで逃げた。
 桜の木たちは水の中にまでは追って来なかった。
 つまりはそこまでして俺を片付けるつもりはなかったということだ。自分たちは畏敬している振りをしているが、所詮はそこまでということ。
 ひどい失敗であったが、俺はそう考えて素早く精神的に勝利した。何より大事なのは自分のプライドを守ること。
 どうせあのブドウは酸っぱいさと呟いてから皇居を後にした。



 泰巌じいさんは俺の話を聞いて笑い転げた。笑うにつれて古びた樹皮がじいさんの体から剥がれ落ちる。じいさんはもう五百年の間、風呂に入っていない。
「フグ吉よ。オヌシ、知らなんだか?」
「何をです?」
 どこかにぶつけて痛む枝をさすりながら俺は訊いた。
「気づかなんだか? 皇居に居る桜たちは、実はみなお前と同じく天皇陛下を狙っておるのじゃよ。それも果たせず長い間順番待ちをしているところに新参者が来て横から掻っ攫おうと言うのだから怒ったわけだ」
 何だ、みな同じ穴のムジナ、いや桜か。しかしあの有様では順番待ちなんかしていたら死体が手に入るのは千年も先の話になってしまう。俺はこの計画を諦めた。



 さて困った。俺は無い知恵を絞って考えた。
 そうだ。有名な政治家はどうだろう。国会議事堂へ行けばきっとよい死体が手に入るだろう。なにせあそこは魑魅魍魎の巣なのだから、死体ぐらいは皆で看々踊を躍らせるぐらいたくさんあるだろう。もっともいくら豊富に自殺死体が手に入るとは言え、政治家秘書の死体なんかでは桜の木としての箔がつくとは思えない。

 国会議事堂に忍び込むのに三日かかった。なにぶん人が多くて、大部分の時間を街路樹に化けていたからだ。
 議場の周りの小部屋の窓の外にたたずみ、チャンスを待ってそこで過ごした。狙いはやはり総理大臣だ。ポコンと頭を殴り、首を絞めてから素早く地面に埋める。それだけで俺は有名人の死体持ちの桜に昇格できる。簡単だ。
 もし、総理大臣が一人になってくれるなら、それも可能だっただろう。結局その機会は一度も訪れなかった。
 それならばと他の大臣も狙ってみたが、そのどれも機会がない。どのお偉いさんもいつも大勢の人間に囲まれてただヘラヘラと笑っているだけであった。
 その内に、俺は彼らに興味を失ってしまった。
 桜の木しかいないと知って彼らがした会話の内容は、賄賂に談合にエロ話にゴルフの話だけだったのだ。これが国を動かしている者たちの本性なのかと俺はひどく幻滅した。
 こんなクズどもを自分の木の下に埋めたりしようものなら、俺の木まで腐り果ててしまう。
 そう見切ると、早々に俺は引き上げた。



 泰巌じいさんは俺の話を聞いて笑い転げた。あまりにも笑い過ぎたので、じいさんの体の洞から虫が一匹逃げ出したぐらいだ。
 木食い虫だ。じいさんももう長くはないらしい。
「フグ吉よ。こうなれば方向性を変えてみないか」
「と言いますと?」
「つまりだな、偉人ではなく有名人で良いのではないかと言うことだ。例えば儂は昔イギリス留学から帰って来た桜に遭ったことがあってな。そいつの持っておった死体はロンドンの夜を恐怖に陥れた殺人鬼の切り裂きジャックだった」
 俺は絶句した。そうか、その方向があったか。犯罪者の死体がこれほどの衝撃を与えるとは。確かに盲点だった。
 さっそく俺は捜査を始めることにした。



 ここの所、巷を騒がせているのが連続幼児誘拐事件だ。打ち続く事件に多くの子供たちが犠牲になっている。この行為は許せないし、俺がその犯人の頭をポカリとやって地面に埋めてしまえば善行を行ったことにもなる。これは善い。大変に善い。
 さっそく俺は聞き込みを始めた。人間の警察に比べて有利な点は、俺は桜だから現場の周囲の樹木に聞き込みをすることができるってことだ。目撃者を出さないように気をつける人間でも、目撃樹を出さないようにする人間はいない。
 ケヤキにも聞いた。プラタナスにも聞いた。トチノキにも聞いた。だが決定的な情報を持っていたのはあのいけ好かないイチョウの野郎だった。
 かなり遜った態度で聞いたお陰で、いい気になったイチョウから重要な目撃情報を手にいれることができた。犯人は何とこの辺りの幼稚園に勤める手伝いの男だ。休日になると車で回り、獲物を物色している。
 その後は少し苦労したが男の住処を探し出した。
 いよいよそのときが近づいている。今回のミッションは複雑だ。単に男を攫うだけではいけないのだ。男が犯人だという明確な証拠を後に残さねばいけない。犯罪がばれなければ彼はただの男であり、有名な犯罪者にはなりえない。うん、実に合理的で論理的で合目的的だ。
 まず男の頭をポカリとやり、彼の家の中に隠されているに違いない証拠品の数々を誰かの目に付くところに置くのだ。警察に電話して男のことを垂れ込むことも大事だ。最後にこれまでのすべてを記した文書を遺書として残すことも必要かも知れない。となると男はしばらく生かしておいて遺書を書かせねばならない。
 このために俺は男を閉じ込めて置ける穴倉を用意した。筆記用具とペン、それに灯りとなるロウソク。生かしておくのは遺書を書く間だけなので食料の類は要らない。後は縛るためのロープと猿轡。
 よし、準備は完了だ。今こそ死体を手に入れるとき。俺は男の家へと向かった。

 何台ものパトカーが男の家の前に止まってサイレンを鳴らしていた。大勢の警官が怒号を上げながら家の内外を出入りしている。手錠をかけられた男が頭の上からジャケットをかけられて連行されていく。
 遅かった。植え込みの桜の木に化けながら、俺は歯噛みした。お陰で木質の歯が少し欠けてしまった。
 警察も無能ではない。以前から男を内偵し、犯人と断定していたのだ。
 お陰で俺はまたもや死体を手に入れることはできなかった。



 泰巌じいさんは俺の話を聞いて笑い転げた。思わず俺は睨んでしまった。
「いや、すまんすまん。あまりにもオヌシの運が悪いのでなあ。呆れてしもうた」
「笑いごとじゃないですよ」俺は文句を垂れた。確かに運が悪い。どうしてここまで立てた計画がことごとく潰れてしまうのだろう。
「そうだな。実はオヌシに良い話がある。儂もそれなりに伝手を辿って探してみたのじゃ。フグ吉よ。ヘブライ村を知っておるかな?」
「へ?」
 じいさんは話してくれた。それは耳よりな話であった。



 青森県まで移動するのは大変だった。桜の木は電車や飛行機に乗ることができないからだ。それでも一歩一歩大地を踏みしめて進む。期待で胸がはち切れんばかりだ。
 途中で園芸店のトラックに拾って貰えたのは幸運だった。園芸店組合は人間の中では俺たち桜の木の真実を知っているただ一つの組織だ。持ちつ持たれつということだ。俺たち樹木が反乱を起こしたら園芸店は立ち行かなくなる。俺たちの正体を漏らしでもしたら誰も草木を買おうとはしなくなるだろう。
 新郷村の近くで降ろして貰った。この村の昔の名前は戸来村。そう日本のキリスト伝説で有名なヘブライ村だ。
 救世主は世界各地をさ迷った挙句に日本の温泉が気にいってここに定住したという話だ。
 俺は泰巌じいさんから教わった場所へと急いだ。人間がまだ知らない場所。
 かって海の向こうから来た救世主が埋められた場所だ。

 夜の闇に紛れて枝に持ったシャベルで隠された墓を掘る。
 村の古い墓地の一角。もはや墓碑銘も摩耗して読めない古い古い墓の一つ。
 それが目的の墓だ。
 シャベルの先端が朽ち果てかけた大きな木桶にぶつかったときに俺の頭の中に声が響いた。
『フグ吉よ。そうまでして私の遺骸が欲しいのか?』
 俺は気づいた。それがこれから掘り出す相手だと。さすがに救世主。他の亡骸とはわけが違う。
 俺は自分の希望を述べた。
『欲しい。それで俺はようやく一人前になる』
 答える代わりにその声は俺の頭の中を隅々まで見て回った。
 それから軽やかな笑い声で俺の中を満たした。
『いいだろう。しばしの間、お前の物となろう』
 棺桶の蓋が自然と開き、中から光り輝く骨の集積が浮き上がって来た。
 それは宙を漂って俺の下に来ると、俺が差し出した枝の中に納まった。
 さっそく俺の木の下に埋め込む。この聖なる行為に感動した地面が独りでに開き、骨を受け入れる。
 俺の木が光に包まれた。葉っぱの全てから後光が差し始めると、何か素晴らしいものが俺の木の芯を通り抜け、深い洞察と自信と力が心の底から湧き上がって来た。
 凄い。これが救世主の力か。
 そして俺は今や死体持ちの桜だ。それも偉大なる人の。

 再び園芸店のトラックで故郷の桜並木に戻ってきた。送ってくれた園芸店の人は別れ際に涙を流しながら讃美歌まで歌ってくれた。
 他の桜たちは最初は驚きの目で、続いて畏敬の目で俺を迎えた。
 木の葉の最後の一枚まで神々しく光り輝く俺の噂を聞いて、遠くから多くの桜たちが俺を訪れた。訪問客はそのままこの地に留まり、毎日を俺への崇拝と畏敬を捧げることに時間を費やすようになった。
 俺は彼らを迎え入れ、その悩みを聞き、これからの人生の指針を示した。俺の信者はたちまちにして膨れ上がった。

 三日目の夜。俺の足下の地面が勝手に盛り上がり、その中から一人の男が這い出て来た。
 月桂樹の冠を被り、ボロ布一枚を体に巻き付けた痩せぎすの男だ。その額から輝けるオーラが吹き出ている。
 頭の中に声が響いてきた。
『復活の時が来たのだ。フグ吉よ』
 俺は慌てた。せっかく死体持ちの桜に出世したのに、その肝心の死体が俺の下から出ていこうとしている。
「待て、待ってくれ」
『そうはいかない。私はもう二千年も待ったのだから』
 救世主は桜の木たちが見守る中、両手を大きく差し上げて叫んだ。
「見よ! 今や最後の審判が始まる。死者たちよ蘇り来たれ。天国の門を潜るがよい」
 居並ぶ桜たちの足下の地面が盛り上がった。その中から蘇った死人たちが這い出てくる。
 どこからか讃美歌が流れて来た。しかもオーケストラの伴奏付だ。
 はーれるや。はーれるや。主を称えませ。主を称えませ。
 その歌に包まれて、ふわりと救世主は空中に浮きあがった。
「いさや行かん。父の御許へ。すべての死者は我に続け」
 蘇った死者たちも救世主に続いてふわりと浮き上がった。
 止める間もなく救世主と無数の死者たちは夜空の彼方へと消えて行った。

 後に残されたのは今や全員が死者持たずとなった桜の木たちだ。彼らの怒りに燃える目が俺に集中した。
 もちろんタコ殴りにされた。
 あまりの騒ぎに公園の管理人たちが駆け付けなければ俺はそこで枯れてしまっていただろう。
 管理人たちが着くとすべての桜の木の動きが止まった。人間たちの目の前で動くのは一番重要なタブーだ。
 俺はもうそんなことは知ったこっちゃない。今を逃がしたらもう脱出の機会はない。死んでたまるか。
 目を剥いている人間たちの前を全力でドスドスと駆け抜けると、その場からトンズラをかました。



 いま俺は故郷から二つ離れた県で暮らしている。
 桜たちの間に手配書が回ったので、実に心苦しいことだが名前は変えた。今の俺は福吉と呼ばれている。人相書きも一緒に回ったが、何、桜の木の顔なんてどれも似たようなものだ。
 今でも俺は死体持たずだ。あれ以降も色々と頑張ったのだが、どれもうまくいかなかった。
 ある日、変装して一度故郷に帰ってみた。
 バレるのではないかとドキドキしながら街を歩いていると、例の男がジムに通っているのを見かけた。その目的はもちろん俺との再戦に備えてだ。
 そこでようやく俺にはすべてが理解できた。
 そうか、俺の試みがことごとく失敗したのはこの男の心意気を俺が無にしてしまったからなのだと理解した。
 神様はどこかで俺とこの男を見ているのだ。俺は深く反省した。

 俺もトレーニングを開始した。枝を鍛え、必殺技の開発に余念がない。
 来年の桜の季節、俺とこの男は再び命を賭して戦うのだ。