もんも爺秘録帖銘板

風切り

 わはは。わはは。わはわはわはは。
 はいはい、わしが高田の馬場のもんも爺ですわ。

 何? もんも爺とは奇妙な名前だと思う、ですと?
 わはわはわはは。
 そりゃもう、それはそれは本名では御座いませんわなあ。口さがない奴等の付けおった仇名ですわい。それがいつの間にか皆の間での呼び名になりおってなあ。困ったもんですわ。
 わははははは。
 それでも存外にわしはこの通り名が気に入ってましてなあ。
 わははは。
 何? 何? また、わしの妖怪退治話が聞きたいですと?
 あんさんも物好きですわなあ、こんなおいぼれ爺の話が聞きたいとわ。はいはい、そりゃあもう、ぎょうさんと妖怪を退治しましたわなあ。そうそう先の帝の安徳天皇の時代から数えて、ひい・・ふう・・みい、と。
 何? 何ですと?
 先の天皇は違う名前ですと。安徳はもう随分、昔?
 わははははは。わしも惚けたもんですのう。そりゃもう、只の人間がそんなに長生きが出来るものでは無いですわいのう。

 さてさて、なんでしたかのう。そうそう、妖怪退治の話でしたの。
 今までどんなのを話しましたかのう。
 何? 何? 血湧き肉踊る冒険の話は無いか、ですと。
 さあ、それは難しいですのう。こう見えても妖怪退治というやつはそんなに荒っぽい仕事では無いのですからのう。まあ、普通の人は荒仕事と思いなさるも無理は無いが、ちょいとしたコツさえ掴めば、これはもう簡単な仕事なんですわい。

 そうそう一つだけ、思い出しましたわ。このわしでももう二度とはやりたく無いという荒っぽい目に逢わせられた事が、よろしい、ではそいつをお話し致しまひょ。

 何時の頃かは忘れましたなあ。随分昔の事の様に覚えておりますがの。風の神が暴れるというのでわしが呼ばれたのですわ。わはは。はいはい、言葉通りに風の神ですわ。台風とか突風とかを言い替えているわけでは御座いません。

 元よりこの国はですのう、八百万の神々の国と言いましての、それはもう沢山の神様達が住んでおる国なのですわ。何、神様とは言いましても中には幽霊に毛の生えたようなのも大勢いましての、まあ、神と呼ぶよりは精霊と言った方が正確ですわな。ほれ『ふることぶみ』にあるでしょうが、『是に万の神の声は狭蠅那須満ち』と。
 なに? ふることぶみとは何かと?
 ええっと今の言葉で言えば、古事記ですわな。
 なに? お貰いがどうしたと?
 呆れた。あんさん、本当に日本人ですかいな。
 まあ、何を言いたいかというと日本は昔からアニミズムが流行っていたということですわい。はあはあ、そりゃもうこれが商売ですからなあ、これぐらいの言葉は知っておりますで。
 わはははは。
 ほれ良く言うでしょうが、猫は十年、人は百年生きると鬼になる、道具でさえも百年使うと化けると。この国ではあらゆるものが歳を取ると化けますのじゃ。わはははは。わしなどは化けるに後少しと言う所でしょうかのう。

 で、まあ、それでですな。これらの神々は神世の時代に大概がスサノオ神に頭を怒突かれましてなあ、それぞれ自分の縄張に大人しく納まったのですわ。それで妖怪や精霊が悪さすることは滅多になくなり、平和な国ができましたのじゃ。
 ほんにまあ、それだけなら苦労は無いのですわな。ほれほれ、判るでしゃろ。どこにでもいるのですわ。愚か者という奴が。

 村の若い衆と言う話ですわ。それらがある夜に酔った勢いで村外れに祭られておった祠を壊しよりましたのじゃ。はい、それはもう、後でわしが見ても顔色が変るほどの壊れようですじゃ。こりゃ直してもあかん。話を丸く納めるのはもう無理じゃ、とな。それでその祠に祭られて大人しく二千年ほど眠っておった神さまが起こりましたのじゃ。

 いやいや、あの時はほんに参りましたで、いっそこのまま帰ってしまおうかとも思いましたじゃ。まあ、そこで帰ってしまえば、おまんまの食い上げ。わしも商売ですからのう、これが辛い所じゃ。あの爺はあかん、妖怪一匹よう退治せん、そう噂が立ちましたら、この細腕ではもうよう食う事もできなくなりますわ。
 何? 何? 何? 年金ですと?
 そりゃあんさん、あきまへんわ。わしの若い時分には年金などという便利なものは無かったですでのう。わしはこの仕事でかつかつ食うておるのですわ。年寄りにはいつも厳しい世間ですわいのう。

 はいはい、どこまで話ましたかいのう。ほうほう、そうでしたわ。歳を取ると物覚えが悪うなって。それでもまあ、それで食うとる妖怪退治の話だけはまあ忘れんもんですから有難いものですわのう。

 で、まあ、酔って良い気持ちでほこらを壊しておりました若者がですのう、ひょいと見ると無いんですわ。
 何が無い?
 そりゃもう、隣で一緒に祠を壊していた友達の首ですわい。はい、それはもう奇麗な切り口を見せた首から、こうぴゅうぴゅうと真っ赤な血を吹き上げてましてのう。事が事で無ければ思わず見とれる・・いや、これは生き残った若者から聞いた話ですわい。講釈士、見てきたような嘘を言い、というやつですわい。

 わはははわはは、わはわはわはは。

 はいはい、それはもうあっと言う間に一緒に居たうちの四人が殺されましての、最後の一人だけは気違いの様に走りましてのう、ようやっ土地の姫神様を祭った神社に逃げ込んで難を逃れましたじゃ。そこまではさしもの怒れる神さまとて追ってはきません。わはは、それは当然ですじゃ。神さんが他の神さんの縄張を冒したら、それだけでもう戦争が起きますじゃ。小さな村一つなど跡片も残りませんわ。

 まあ、次の日に神主が若者を見つけましてなあ、事の次第を知ったわけですわいのう。
そうそう、若者と言っても髪は白くなっておりましたそうじゃ。何、何、問題はありませんわいの。歳を取ってから白くなるか、歳を取る前に白くなるかの違いだけですわい。わはわは。
 それはもう、村は大騒ぎですわ。村の古老の一人が祠の由縁を知っておりましての。暴れておるのが風の神、それも恐ろしく性質の悪い神と知れましての。目の前に積みあがった若衆の遺体を前に、これはもうあかん、わしらだけではどうしようも無い。これは呼ばなあかん。
 妖怪退治屋を。

 それでまあ、このわし、妖怪退治のもんも爺が呼ばれましたのじゃ。

 わはわは、わはは。
 わしもまあ度肝を抜かれましたわ。なんせ村に着いた早々に襲われましたでな。はい、わしの手に持っておった笠がすっぱりと奇麗に切られましたわ。警告ですわいのう、風の神の。はい、わしもこれは手に余る思いましての、その場で向きを変えてすたこらと、はい、村の庄屋が後ろからお礼の金額を倍にすると叫ばなかったら、このボロ家まで逃げ帰っておりましたわ。命あっての物種ですからのう。
 はいはい、その時分はわしもまだ今よりは若かったですからのう。根岸の辺りに一人、女を囲っておったのですわ。これがまた金使いの荒い女でしての、そういうわけでわしはもう一度きびすを返してこの仕事を始めたのですわ。

 わはははははは。動機が不純ですと? はいはい、それはもう不純も不純、とても気持ちの良い不純なのですわ。わははははは。

 はいはい、それはもうわしが村に入った時にはもうすでに何人か別の被害者が出ておりましての、足をずっぱり切られたのから、空を飛ばされて村の鎮守の木のてっぺんに乗せられたのまで色々との。
 さて庄屋の家に泊まってこういった話を聞いたわしは、それはそれは困りましたのじゃ。まさかこれほどの悪神が暴れていようとは思いませんでしたでのお。そうこうしている間にもびゅうびゅうと空恐ろしい音を立てて風が村中に吹き荒れておりますわいな。ここでわしにはどうにもできない等と言って帰ろうとしたら、これはもう間違い無く殺気立った村の衆に酷い目に合わされるのは、はいもう必定と。わしは生きた心地もしませんでしたわい。
 妖怪を退治できないなら代わりに贄になれとそんな雰囲気でしてのう。世の中には自業自得の結果を他人に押し付けようというのが大勢いますのじゃ。

 わははわははわはわはわはは。
 それでどうしましたかと言いますとの、どうしようも無いのでちょいとしたマジナイを教えましたのですじゃ。

 今の人は知りませんかのう。風切り鎌という風習を。はい、風切り鎌ですわ。
 風の強い地方では昔からですのう、鎌を一本、風の吹く方に向ってどこか高い所、はいそうですわ、屋根の上なんかに縛って置くのですわ。これは中国から渡って来た五行説という理論に従ったものでしてな、風は本来は「木」の気に属する、故に「金」の気に属する刃物でそれを抑える事が出来るいうものでしてな。まあ、言ってしまえは只の気休め。うまく行けば儲け物とまあこういうわけですじゃ。
 さっそく庄屋に言いつけて村中の家という家に鎌を付けさせましたじゃ。庄屋の家でもありったけの鎌を、というので、まあ古い納屋の隅からどこをどうやって引っ張り出して来たのか錆びたのやら刃が欠けたのやらもうそれは山の様に鎌を持ってきましよりましてなあ。わはわは、それを屋根と言う屋根に。わはわは、はいはい、それはもう異様な風景でしてなあ。
 わしもその錆びた鎌を一つ、この老骨に鞭を打ちましてな、わざわざ一番高い屋根に取りつけましたのじゃ。まあ、このぐらいの手伝いはしませんとなあ。なにぶん、この風切り鎌が効くかどうかはまったくの眉唾。うまく行かなかったら、その日の夜にでもこっそりと村を逃げようかと。はは、わは、わはは。

 何? 何? それでどうなったのかと?

 はいはい、それがわしも驚きましたことにのう、それが旨く行ったのですわ。鎌を飾るか飾らん内に村中を吹き荒れていた風がたちまちに弱まりましてなあ。最後の鎌の一本が取り付けられた頃には、はい、もうぱったりと。もう村中、喜ぶこと喜ぶこと、わしも有頂天ですわなあ。いやはやその晩の祝いの宴会と来たらこれがもう凄いの一言に。

 何? 拍子抜けした? 余りにも簡単過ぎる?
 わはははははははは。それはわしも同じでしたわい。でもまあ、それでも金にはなる。これで急いで帰ってわしを待っておる可愛い女としっぽりと、などと勝手な事を考えよりましてなあ。次の日には二日酔いで痛む頭を抱えて早速の帰り支度。はい、それはもうたいして飲んではいないのですがな。樽で二つ三つという所でしょうかな。まあ、若い時分の様には飲めないものですわ。

 で、村の者に見送られて村と街道の境の松の木の所まで来た時にやられましたのじゃ。はい、いきなり体が宙に浮いたと思いましたらな、空をびゅうっと。慌てて足元を見ると地面は遥かに下ですわ。これは流石に怖かったですわ。手を伸ばして側にあったものに思わずしがみ付いたものですわ。はいはい、掴んだそれが風の神。わしも長い間生きてはおりますが神様にしがみ付いたのはあれが初めて。わはわはわははははは。人生ちゅうものはほんに面白いものですわなあ。
 細かい所はもう忘れてしまいましたがの、あのぎょろりと大目を向いた顔だけは忘れませんわ。風とて長い間吹いておれば精霊も宿る。そしてその精霊は大概が人の顔というものを持つものなのですわ。風の神は何もいわなんだが、その考えだけは不思議にわしにも伝わって来ましたわ。
 服装ですかの? 山伏の服を着ておりましたわい。祠に封印されたのは山伏なんぞが出回るよりずうっと昔のはずなのにどこでどうやって流行を知ったのやら。そういえば赤ら顔の鼻の高い顔じゃったの。もしかしたらこれまでもたびたび祠を抜けて、天狗なりなんなりに化けておったのやもしれません。
 その内、声が聞こえてきましての。まあ声というより心のつぶやきとでも言うべきかもしれぬが。
 ・・俺は長い間祠に閉じ込められてやっと自由になれた。ここで好きな様に吹いておるのに、お前の浅はかな入れ知恵のお蔭で実に動き難くて叶わん。報いは受けて貰うぞ・・とな。
 いやいや、さしものわしもこれには困りましたわ。暴れればこの高さから落ちる、かと言ってどのみちこの神に殺されるのは間違いない。そこでわしは必死の思いで言ったのですわ。鎌ですか、とな。鎌にわしを刺して晒し者にするつもりなのでしょう、とな。いや、自分でも思うのじゃが実に情けない声でしたわ。わはは。
 いきなり今まで飛んでいた向きが変わりよりましてなあ、どうやら風の神はわしの案が気に入ったようじゃ、今の今まで村人達の前にわしを落して殺すつもりだったようじゃが、一気に庄屋の家の屋根に地獄の針の山もかくやとばかりに立っておる鎌に目がけて飛びよりましたじゃ。

 はいはい、わしも必死ですわ。なんとか隙を見て庄屋の家の藁拭き屋根にしがみつこうと狙っておりましたが、そこはそれ、風の神も心得たもので、屋根にしがみつかれないように一番高い所に縛りつけた鎌へと向いましての。はいはい、そうです、わしが取りつけた鎌ですわ。それにわしが串刺しになるとは、これはもういったいどんな天の裁きなのやら。神さまわしが悪う御座いました、今度からは根岸の女の元に通うのは二日に一度にしますと、その時は本気で祈ったものですわい。
 わははははは、そりゃそんな都合の良い祈りなど通じるものでは御座いません。風の神に抱えられたまま、わしは真っ直ぐ自分のつけた鎌へと運ばれましたわ。一応飾る前に研いで置いた、その鎌の刃がぎらりと光るのが見えましてなあ。それからわしの体はどすんと藁拭き屋根の上に落ちましたのじゃ。いやもう、その時に横で上がった悲鳴と言いましたらじゃ、それはもう凄いものでしてなあ。鎌の鋭い刃に首を半ばから切断された風の神が叫ぶは叫ぶわ。わしの見送りに来なかった庄屋の家中の者すら何事かと出てきよりましてなあ。その目の前で風の神が死んで消えるをはっきりと見ましたのじゃ。

 わははははは。その間、わしと来ましたら屋根から落ちないようにしがみ付くのが精いっぱいでして。わはわはわはは。

 はいはい? 何が起こったのかと? 風の神が鎌に突っ込んだのかと?
 はいはい、風の神が突っ込んだのはわしの体ですじゃい。ところが鎌はわしを切らずに、その代わりに風の神をばっさりと。

 わははははははは。わはわはわはははは。

 道具は百年使えば化ける言いましたでしゃろ。あのケチな庄屋、物持ちは凄く良い方でしてのお、それはそれは古い鎌でしたわ。これはいけると踏んでおりましたでのお、わしはそれを研ぐ時にそっと鎌に耳打ちしておきましたのでなあ。わしの言う事を聞いたら祭ってやろうと、神としてあがめられる様にしてやろうと。
 わはははは。律儀な鎌ですわいのお。わしが飛んで来るのを見て、よもや鎌がすでに化け鎌になっているとは思わず油断している風の神を、ざっくりと切りましたのじゃ。
 わははははは。あれ以来長い年月が立ちましたでのう、わしもよう覚えておりませんのじゃ。果して、あの鎌。庄屋に言って祭り上げて貰ったのかどうか。
 わははは。もしまだあの家の屋根に縛られたままでしたら、そろそろ怒って何かしでかす頃でしょうな。
 わははははは。もし鎌化け退治の依頼が来ましたら、わしはどうしましょうかのう。相手が鎌だけに砥石でも持って出かけましょうかいのう。

 わははわははわはわはわはは。
 はいはい、また、おいでなせ。